法 話
 
伊東 英幸 

先日、私は、熊本のおばあちゃんが亡くなり、家族で葬儀にいきました。その際、私が受付を担当することになったのです。お通夜の開式が近づくにつれ、参列者の方々が続々と来ました。「この度はまことに・・・」といういつもの台詞に、こちらは、「お忙しい中、ありがとうございます、こちらにご記入お願いします」と挨拶をし、御香典を受け取るのです。その仕事が一段落した時に、その香典袋には全て「目覚」と書いてあることに気づいたのです。普通は「御香典」「御霊前」「御仏前」などと書いてあるのにと不思議に思い、地元の方に聞いてみました。意味ははっきりしないが、熊本ではこれが常識なのだそうです。気になったので、次の日にお坊さんに聞いてみました。 「目覚」と書くのは、お通夜の晩だけで、しかも、熊本独特の習わしだそうです。その意味は、三つあり、一つは昔はお金ではなくて、米や食物に「目覚」と書き、これを食べて目を覚まし、線香を絶やさないようにしろよということです。もう一つは、亡くなった愛しい方に対し、もう一度「目覚めてほしい」という意味です。最後の一つが、私は大変印象的だったのです。それは、愛しい方の死をご縁にして「仏様の 教えに目覚めろよ」という意味だと聞きました。つまり、亡き方の死を無駄にしてはいけないよということです。 あるお寺の方にお聞きした話です。お寺に遊びに来た子供たちに、「みんなお葬式に出たことあるかい、その特どう思いましたか」と質問したそうです。「悲しかった」など予想どおりの答えの中に、一人の女の子が「楽しそうだった」と答えたというのです。「どういうこと」と聞きましたら、「みんな、おばあちやんが死んだのに、お酒飲んで騒いでた」というのです。子供は鋭いですね。 どうも、現在の葬儀の様子は、子供の言ったとおり、ただ、お酒飲んで食事して、大声出して騒いでいるようにしか見えない場面が多いようです。子供にとってその様子は「おばあちゃんが死んだのに、どうして楽しそうにしているのだろう」としか、映らなかったのでしょう。 葬儀は、亡き方から残された者が学ばせていただく大切な場です。「お前も死んでいかなければならないのだよ、今、安心して生きていますか、安心して死んでいけますか」と亡き方が、「仏様の教えに目覚めよ」と私たちに呼びかけて下さっている、その願いを残された者が大切に聞きどどめてほしいと思います。葬儀は 、亡き方を偲び、我が身を振り返る大切な場なのです。どうか、お酒はほどほどに・・・。


ホームページに戻る