法 話 

  私の好きな言葉

  「われかならず聖なるにあらず、かれかならず愚かなるにあらず、ともにこれ凡夫なら
くのみ」(聖徳太子『十七条憲法』)


  仏教説話の中に、「ある王様が、象を知らない何人かに目隠しをし、象に触れさせ、象とはいかなるものかを聞いた。ある者は象とは柱のようだ。ホースのようだ。大きな葉のようだと。自分の触れたものの思いを象とし、主張し譲ることなくそれぞれに述べているうちに、争論となり喧嘩が始まった」というのがあります。


  私もよく経験することですが、私たちには、真実が何なのかを確かめることなくただ自分の見解のみを正とし、挙げ句の果てに勝ち負けのみの口論に陥ることが多々あります。自分が見、思ったことが正であり善であり間違いのない見解であり、他の見解を愚とする傾向が強く、好き嫌いが激しく、自己中心的に見る癖が強く、見落としが多く、見る場所が異なれば物は異なって見えるのが常であることを忘れてしまうなど数えあげればきりがありません。


   目隠しをした人達の象の印象はそれぞれ間違いではありません。でも、象の全体を表現していることにはなりません。


  聖徳太子は、私たちはみな凡夫であることを自覚するように呼びかけています。私たちの真実を見る目はまことに不確かなものです。だからこそ、自分の思いこみに頼ることなく、みんなと語り合い、語り合う中に物事の善し悪しを確かめていく努力が大切なことであることを示してくださっています。


 意見を交わす時、よくよく太子の意を肝に命じていかなければなりません。

岡崎 照幸 


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