法 話 

  カナダの青年にこんなことを言われたことがあります。「 日本はすばらしい、夜一人で出歩けるのだから」 私はそれを聞いたとき、「 そんなことがうらやましいのか」と思いました。しかし彼にとっては、考えられないくらい日本は治安の良い国ということなのです。しかし、日本も昨今の犯罪状況を考えると、そうも言っていられなくなってきています。


  ここ数年で、犯罪は若年齢層に広がり、また凶悪化しているようです。最近も中学生による事件が頻発しています。そんな時決まって向けられる矛先は教育の現場ですが、ある中学生がナイフによる殺傷事件を起こした際、校長先生が「命の大切さをもう一度生徒達に伝えていきたい」と言っていました。私はそれを聞いた時「具体的にはどうやってそのことを伝えるのだろう」と思いました。


  私もよく経験することですが、私たちには、真実が何なのかを確かめることなくただ自分の見解のみを正とし、挙げ句の果てに勝ち負けのみの口論に陥ることが多々あります。自分が見、思ったことが正であり善であり間違いのない見解であり、他の見解を愚とする傾向が強く、好き嫌いが激しく、自己中心的に見る癖が強く、見落としが多く、見る場所が異なれば物は異なって見えるのが常であることを忘れてしまうなど数えあげればきりがありません。


   「命の大切さ」これは言葉で言うのは簡単です。しかし当然のことですが、聞く事と実際そう感じるかは別問題なのです。この問題は大人も子供も関係なく、すべての人が向かいあわなければならないことといえます。そして、このことを仏教的視点で捉えるなら、人間存在としてまず、私が「生きている」というこの不可思議な事実、そして私が生きるためには「他の生き物の命を奪って生きている」という現実とが見えてきます。そして、大切なことは、この二つのことを自分自身の問題として自ら問いかけるということです。私は、このことなしには「命の大切さ」を感じる第一歩は踏み出せないのではないと思います。


  このことはある意味、自分自身の自己矛盾の認識でもあります。そしてこのことに向かいあうことは意外に難しいことなのです。私たちは自己中心的にものを考えるため、「あたりまえ」と思い、尊さ、不思議さになかなか気づくことができません。しかし、私たちはそのことに気づくことによって初めて、今まで見えなかった真実(仏智)の世界が見えてくるのではないでしょうか。そして、それが仏の教え、すなわち仏教なのであります。

竹柴 俊徳 


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