法 話 

  飽食の時代といわれて久しい現在の日本、グルメという言葉は誰にでもあてはまり、皆こぞって美味しいもの珍しいものを口にしようと考えています。 そこには「生きるために食べる」という生き物本来の食欲という本能以上に、自らの果てしない欲望を貪る貪欲という「煩悩」に振り回されている人間の悲しい性が見え隠れするのであります。これらは私たちの生活のいたるところで見受けられるもので、もちろん信心のあり方についても言えることです。「仏(さとり)の教え」という仏教の本質を忘れ、商売繁盛・合格祈願・縁結び等の加持祈祷、お守り、占いに振り回されてはいないでしょうか。次から次へと湧き出る自らの果てしない欲望を満たすために、さまざまな宗教を貪り食っている姿がそこにあるのではないでしょうか。

  浄土真宗の妙好人(*1)でありました源左さんというお方は「米よりうまいもんはないでなぁ」と、お米のあじわいをのべられました。 毎日いただいても美味しくいただけるもの、 日本人の食生活を根本から支えているもの、それがお米です。 生涯、仏法を聞き続けた、み仏のみ教えを叙情的な言葉で表現する源左さんらしいあじわいかたです。源左さんは、信心のあり方についてもその本質を忘れませんでした。 煩悩を抱えた私たちを仏(さとり)へと導いて下さるお方は、阿弥陀如来さまただおひとり、真実の心の拠り所は、阿弥陀如来さま以外にいらっしゃいませんとあじわっておられました。


  蓮如上人は、私たちの揺れ動く妄念妄執の心を振り捨てて、 阿弥陀如来ただ一仏のお誓いを信じて念仏申せよとおしめし下さっております。


  浄土真宗は、一切衆生(差別なく、すべての人々)が仏になれることを私たちに教えて下さいます。 その教えの根本は、 阿弥陀如来さまの願いです。私たちに仏になれるあじわいをお教え下さる真実の心の拠り所、阿弥陀如来さまに日々感謝の生活を送りたいものです。

(*1妙好人 浄土真宗の熱心な信徒)



加藤 孝充 


POSTEIOS研究会 目次へ
一つ上に戻る