法 話 

   バブルの絶頂期には限定何台と生産台数を限定された車が自動車メーカーからたびたび売りだされました。そうしますと発売前の予約の段階で規定台数に達してしまい、運良く手に入れた車にはプレミアがついたということです。
 私たちは限られたものに価値を感じる傾向があるようです。グッチやシャネルの小物を持つのも、ビィンテージもののジーンズが何十万もしたり、レアもののスニーカーが何万もするのも、人のはいていないモノなら、たとえ大金をはたいてでも欲しいという心理によるのかもしれません。皆んなが同じものを持つのも気持ちのいいものではありませんし、個性を認めあうことは大切なことですが、そのようにして希少価値を求めていく、私たちのあり様はやはり何かおかしいような気がします。
 浄土真宗が大切な経典として戴いている『仏説無量寿経』というお経に説かれています法蔵菩薩(阿弥陀仏が仏に成る前の名)の発した願いは数多くありますが、そのすべての願いの上に一切衆生(生きとし生けるものすべて)というフレーズがあります。そこには限定何人という言葉はありません。そこに私たちが受け入れられていく世界が開かれているのです。その願いを自らのこころに受けていかれた方が、浄土真宗の開祖親鸞聖人です。限定何人という枠にこだわり、そこに幸福や価値を求めていく生き方とは確実に違った世界がそこには開かれています。
 そこに開かれる世界はそれぞれの人が自らの世界を持ちながら、それを希少価値ということで誇るのではなく、存在自体の価値をあるがまま感じていく世界であり、その世界を私たちの身に受けていく道であります。お念仏は、本来開かれた世界の中にありながら、それぞれの価値観にこだわり、閉じられてた世界を構築している私たちに対する警鐘でもあります。
酒井 淳 


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