「報 恩 講」

 全国二万ケ寺をこえる真宗寺院最大の行事が、報恩講です。報恩講は私たちにみ教えを伝えてくださった宗祖親鸞聖人のご苦労を偲び、そのみ教えを聞いていく一年でもっとも重要な法要です。

 何十年も昔「報恩講さんは半年がかり」という話があります。そのころ、在所ではほとんどの家が野菜は自給でした。菜っ葉類だけでなく、人参、ゴボウ、などの根菜もつくりました。とりわけゴボウは、かなり高く土を盛って周囲を板で囲った畝をこしらえねばなりません。

 ある家で、それまでのゴボウの畝をふやしました。すると近所の人は、ああこの家は今年おめでたがあるとさとったとのお話しがあります。おめでたがあると家族がふえます。家族がふえると報恩講に参る人がふえ、お斉に欠かせぬゴボウをまず多く植えておかねばならないからです。このように報恩講は土の上に絵を描くような営みでもあったわけです。半年ががかりで報恩講の支度をする人々の姿は、残念ながら今の私たちには実感がわきてきません。

 大気汚染、森林資源の乱伐など、いま地球の荒廃が人類的課題になっています。しかし、これもまた現代生活には実感が乏しいです。私たちの生活の中に自然がいつの間にか遠のいてしまい自然との一体感が失われてしまったからなのでしょう。そこで現代に農民的、自給的な生活体験の復活を提案します。たとえば、ちょっとでも土地を持っているなら、トマトや胡瓜を植えるのも素敵ではないでしょうか。私の「いのち」は一粒のお米、一個のトマト、一本の胡瓜によって支えられているのだということのありがたさを次代をになう子供たちと共に確かめ合いたいと思うからです。

 教育者であり、念仏者である東井義雄先生の詩を思いうかべます。
       六日夜
       かぼちやの切り目が三片出た
       おいしかった
       自然の恵みにみちた南瓜
       仏さまの願いのあふれた薬であったのだ
       光って見えた
       「かぼちゃさま」と拝んでいただいた。

 さまざまな動物や植物の「いのち」をいただいて生かさせてもらっていることへの感謝の心を、報恩講をむかえるにあたって、あらためて確かめたいものです。 

勝田 淳 

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