今月の法話


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更新日 98/12/01


南無阿弥陀仏の響き



 私の家内は長崎の諌早市の出身です。東京の私の所に嫁いで、十年以上になります。

 正月の2日にこんな事がありました。年の暮れに、私の友人達が奥さんは諌早の出身だから、九州出身の者で、わが家で一杯やろうということになりました。その事を家内に言うと、正月ぐらいはゆっくりすごしたいという気持ちがあったのか、機嫌が悪くなってしまったのです。正月の事ですから、暮れから用意をしなくてはなりません。私の顔を見る度に、何人来るのか、食べ物はどうするのか、酒はどの位飲むのかと、何か一言いいたい様子で支度を始めていました。その日が近付いてくると機嫌の悪さも前に比べて増してきて、ついに当日には、頭がいたい、お腹がいたい等と体の不調まで訴え始めました。しかし、そんなことを言いながらも、きちんと支度を整えてくれました。やがて、友人達が集まり、宴が始まりました。友人達は九州出身ですが最初は東京弁で話しています。しかし、誰ともなく九州弁を使い始めると、いつの間にか私を除く全員が九州弁で話し、急に盛り上がってきたのです。家内はというと、それを聞くとさっきまで機嫌が悪く、体の不調まで訴えていたのが嘘のように、急に生気を取り戻したように元気になり、にこにこしながら話に加わっているのです。私はきょとん として今までのあれは何だったのだろうかと思いました。

 私はあとでこう思いました。きっと、九州弁という幼い頃から聞き、使ってきたなつかしい言葉の発音、抑揚、地声のつかいかた、間の取り方等が複雑に音として響きあい、体の奥底に潜んでいた人間の安らかな心地でいられるという心の源の何かを呼び起こしたのではないかと。

 私は、南無阿弥陀仏という音の響きに出会うと、家内が九州弁を聞いて自分の何かに響いて急に元気になったように、とても大きなものに抱かれているんだという、何物にも妨げられない安堵感に満ち、南無阿弥陀仏の声が自然に出てくるのです。それはきっと、私の体の中の奥底に、知らないうちにいらっしゃってくださった南無阿弥陀仏様が響いて下さっているのだと思っています。


白川 淳敬 

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