POSTEIOS 法話: 平成11年2月 | |
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暖冬とはいえ、寒さが身にしみる今日この頃。夕刻には早くも「暖かい風呂に入りたい」と思ったりするのですが、皆さんお風呂の温度はどの位にしていますか?
先日、「お風呂の温度」をテーマにしたテレビ番組が放映され、その番組を観ていた祖母が、「お風呂のお湯は38度が一番身体に良いらしい」と話してくれました。ところが私は元来熱い風呂が好きな性質で、大体普段は42〜43度、時にはそれ以上の温度にするのが常で、「身体には良いかもしれないけど、38度ではぬるすぎる」と反論。他の家族も巻き込んで、「私は何度が…」とか「俺はこの位が…」と、それぞれの意見が飛び交いました。一応モノは試しとその晩38度で風呂に入ってみましたが、どうも私にはぬるすぎる。やはり人それぞれ、自分に適した「良い湯加減」というものがあるはずで、「良い加減」というのは、実は自分だけに当てはまる「イイカゲン」なものだということを痛感したことです。 また少し前のこと、満員電車で私の前に立っていたお年寄りに席を譲ろうとしたところ、突然その人が怒りだしてしまった、ということがありました。「席を譲られるほど私は老いぼれていない」ということだったのですが、私は「せっかく席を譲ってやろうと思ったのに…」と腹が立ってしまいました。後で考えてみると、お年寄りの立場に立てばそういう受け止め方もあるだろうなあと思いましたし、「良いこと」を「してやろう」と思っていた自分が何と「おこがましい考え方をしていたのだろうか」と反省させられました。自分が「良い」と思っていることでも、違う人・違う側面から見れば決して「良い」ことではないかもしれません。また、そういうことを「してやる」という相手の人を見下したような思い上がりの心が自分にあることにハッとさせられました。 親鸞聖人は正像末和讃の中で、
とお示しくださっておられます。そして、その「小慈小悲もなき身」とは、まさに、自分勝手な「イイカゲン」な「良いこと」を「してやろう」と思い上がっているこの自分なのだと気づかされます。自分自身を気づかされ、そんな自分にこそ願われている仏さまからの願いをしっかりと聞いていかなければと、あらためて思うことであります。
隆 康浩
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