POSTEIOS 法話:  平成11年5月

偽らざる姿

     映画「タイタニック」は1997年度のアカデミー賞を総なめにし、世界各国で大ヒットしました。主演はレオナルド・ディカプリオ。彼の美少年ぶりについてはいまさら説明の必要もありません。舞台は1912年、当時史上最大の客船タイタニック号。イギリスからアメリカに向けての航海中、北大西洋上で氷山に衝突し、1500名を越える犠牲者を出しました。その海難事故をめぐってストーリーが展開されます。

     この映画で印象に残っているのは、タイタニック号沈没の際に、我先に救命ボートに乗り込み、また、助けを求める人々を見殺しにし、必死にオールを漕いで船から遠ざかる人々、このような目を背けたくなるような人間の本性が赤裸々に描写される部分です。まさに地獄絵図ですが、これが私たち人間の偽らざる姿と言えましょう。私たちは普段、このような自分自身に潜む醜さ、愚かさを、見て見ぬふりをしているのではないでしょうか。

  まことに知んぬ、悲しきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、 定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥ずべし痛 むべしと。

     これは『教行信証』の中の一節です。ここで、親鸞聖人はご自身を厳しく凝視し、激白されています。私たちは自分の良いところを誉められるのはとてもうれしいものです。しかし、悪いところを指摘されるのはとてもイヤなことです。まして、自分自身の醜さを凝視することはなかなか容易なことではありません。このような私たちの姿を、阿弥陀さまは「かねて知ろしめして」おられたのです。阿弥陀さまは人間の「良いところ」「悪いところ」をひっくるめて、すべてお見通しなのです。そのような阿弥陀さまの大きなお慈悲の心に気がついた時、私たちは、自分自身の偽らざる姿をありのままに直視することができるのでしょう。




千田 知子 

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