POSTEIOS 法話:  平成11年6月
ぶっ きょう  とう ぜん
仏 教 東 漸

     仏教はインドでお釈迦様が説いてから次第に東に伝わりました。これは『仏教東漸』と言われ、ゆっくりとした穏やかな広まりは仏教の大きな特色といえましょう。

     「それは強力な組織による伝道布教という形をとらないで、仏教を信仰している人々が少しずつ生活の場を移し、あるいは仕事の都合などで移動するのに従って、その移動と共に教も伝えられて来たものです。シルクロードとはまさにそういう積み重ねの上にできたものではないでしょうか」 と、西本願寺の大谷光真門主が書いておられました。

     明治以降、仏教は中国や日本の仏教徒がハワイや南・北アメリカ大陸に移住するという形で伝わりました。それも、教団が組織的に僧侶や布教使を送り込んだのではなく、移民をした人々が心の拠り所としてお寺を造りそこに僧侶を招いたわけです。このことを私は若い頃「何だ、現地の人に開教したのではなく、移民した人の後を追いかけて行っただけなのか」と、ずいぶん頼りなく思いました。

     しかし、近頃の宗教を原因とした果てしない紛争や、歴史の上での宗教を伴った侵略を見るとき、仏教が相手の国の宗教や文化を根絶やしにして上から押しつけるということではなく、非常に穏やかな形で伝わってきたという歴史がすばらしいことだと思うようになりました。

     反面、仏教は穏やかに生活に根ざしながら伝わってきたので、その土地の習慣や文化、他の宗教、さらには権力者の都合までも仏教の中に入り込んできました。このような仏教をもう一度お釈迦様の教えに帰って見直そうという動きが鎌倉時代の仏教です。

     鎌倉時代には新しく宗派を起こした道元・栄西・法然・親鸞・一遍・日蓮と言った宗教的天才が出ております。これらの祖師方に共通する特徴は、いろいろなものが入り込んだ仏教の中から「私にとってお釈迦様の教えの神髄はこれだ」、と一つの道を選んだことと、それ以外のものを切り捨てたことです。ただ、自分にとってはこれだ、という選びでも、他人に対しては親鸞聖人が「面々の御計らい」というようにその人の自由な選びです。

     さて、『仏教東漸』という穏やかな伝わり方を、これからの国際社会の中で手本としてゆくことは、紛争を解決し、世界の平和に貢献する智慧ではないでしょうか。

     争いは所詮人間の欲望の現れです。この欲の多い人間が暴力的に相手を屈服させるのでは紛争は解決しないどころか、新たな争いの原因になります。穏やかに教えを伝えてきた仏教の精神と、その穏やかに伝わった教えを絶えず元の正しい教えに振り返る視点は、世界の平和を考える智慧だと思います。

     『仏教東漸』と言う精神を平和憲法を持つ日本から世界に輸出したいものです。

                                  遠山 博文
 

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