POSTEIOS 法話:  平成11年9月
母はどうしているでしょう

   先日、あるお宅にお参りに伺った時のことです。

   お勤めの後でお話をしておりましたら、そこの家の奥さんが次のようにおっしゃいました。

   「亡くなった母は、今頃どうしているでしょうね。お浄土で仏様にならせて頂いているとお聞きしておりますし、そうであろうなと私も思っておりますけれども、やっぱり、気になるんですよ。父の時には、全然気にならなかったんですけどね。ハハハ・・・。」

   なるほど、故人の事が気になるというのは遺族の偽らざる気持ちでしょうし、それだけ故人を思う気持ちが強いということの表れでもありましょう。しかし、目蓮尊者のような神通力を持たない我々には、亡き人がどうしているかなど分かるはずもありません。そこで、私は次のようにお話しさせて頂きました。

   「亡きお母様がどうしているかを知ることはできません。しかし、よくよく考えてみれば、今こうしてお話ししているのも、先ほどご一緒に読経し、お念仏申させて頂いたのも亡きお母様のお陰ではないでしょうか。そうでなければ、このような機会はなかったわけですから。亡きお母様は今こうして私達に尊い仏縁を恵んで下さり、仏の悟りへと私達を導こうとはたらいて下さっているのです。このはたらきこそ仏様のはたらきなのです。」

   亡き人が迷っているという人もありますが、実は亡き人が迷っているのではなく、残された人の方が迷っているのでしょう。せっかく亡き人から頂いた仏縁を無駄にしないようにしたいものです。

                 柘植 芳秀
 

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