POSTEIOS 法話:  平成11年10月
欲望の価値観

  先日の葬儀でのことです。亡くなったのは6歳の男の子でした。通夜、葬儀の式場には新品のランドセルや自転車があり、ご遺族のお話では、昨年の秋より入院生活を送り心待ちにしていた小学校にも通う事は出来なかったとのことでした。親としては大変辛いことであったと思われました。通夜、葬儀を通してのご両親の姿を見るにつけ、お気持ちを考えるにつけ、私も一人の子を持つ親として気の毒に思えました。

  ところが、葬儀の最後に「息子は、短い人生でしたが、すばらしい人生を見せてくれました。」という御挨拶の言葉に触れたとき、私はハッとさせられました。

  私達は人の価値をどこで見ているのだろうか。
  人間は、「生きたい」という欲望が一番強いだろうと思います。そしてより長く生きていたいと願います。その為には健康でありたい、出来れば若くありたい。健康で若若しく長生きなことが良いことだ。そんな思いが「健康第一」「死んで花実が咲くものか」などの言葉の裏に見え隠れします。
  しかし、永遠に生き続ける人はありません。命の長短を他人と比較することになります。あの人よりもこの人よりも少しでも長く、と。

  命だけではありません。健康、若さ、お金、地位、学歴。私達は周りと比べては、その多い少ないで一喜一憂を繰り返し、価値を見出そうとしています。その為に人は悩み、時には傷つき苦しむのでしょう。

  その結果、死や病や老いを価値の低いものとしてはいないでしょうか。確かに死や病に出会うことはつらく悲しくことです。しかしそれによって人の価値が決まるのではないはずです。

  欲望を価値観とするのではない。短い人生であっても「素晴らしい」といえる。ほとけ様に見守られた世界で生きている私であったと改めて教えられた言葉でした。

                 藤井 芳弘
 

ご意見、ご質問、情報などはこちらへ
Email
POSTEIOS研究会 目次へ
一段上に行く