POSTEIOS 法話:  平成11年11月
私の姿

  最近テレビ番組で、夫婦問題や男女問題のトラブルを芸能人がトークする番組が放送されています。私も人ごとのように芸能人とその番組に出ている参加者との言葉のバトルを面白く見ています。中には自分の欠点を言われ頭にきて怒り出す人もいたり、泣き出す人もいます。たしかに知らない人に自分の欠点を指摘されると頭にきます。しかし人に指摘されないと自分の欠点に気づかないことも事実です。私たちは、他人の欠点はよく見え、先のようなテレビ番組もおもしろいのですがなかなか自分の姿を振り返ることをしません。迷っている事さえも気づかないのです。たとえ親しい人に自分の欠点を指摘されても不愉快な思いをして、受け入れることが出来ないのです。それは何故なのでしょうか、私たちは自分に都合のよいことならすんなりと聞き入れることが出来るのですが、自分にとって都合のわるい事や関係のないと思っている事は、聞き入れようとしません。

  仏教も自分には関係のない事と思われがちです。仏教は人が亡くなったときだけ必要になるとか、法事のとき必要になるだけだと思い、仏様の教えを聞こうという耳をもつことがないのです。

  たとえ教えを聞いてもまるで他人ごとのようにしか思わず、自分のこととして聞くことができないのです。素直に教えを聞くことが出来ないのは、自分のことしか思えない心(迷い)を取り払うことが出来ないからではないのでしょうか。その事にもかかわらず、仏さまは私たちに呼びかけて下さるのです。このような私たちだからこそ、呼びかけられずにはおられないのが仏ごころなのでありましょう。

  11月は報恩講の時期でもあります。各寺で報恩講の法要が勤められ、またご法話も行われますので、忙しい日々を送られている中で、なかなか仏法を聞くご縁がない方も、まずは、お寺に足を運び、仏さまの教えを聞き、み教えを心の鏡として、自分の姿をふりかえりるご縁をもってはいかがでしょうか。

                 新田 了英
 

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