先生および制作者について・・・PPH治療に取り組む先生を紹介

原発性肺高血圧症の診察、治療を専門とする病院は日本国内ではまだまだ少ないのですが、ここでは日夜治療に取り組む先生をご紹介します。PPHでお悩みの方で西日本にお住いの人は国立循環器病センターに、東日本にお住まいの人は慶應大学医学部または、東北大学医学部に連絡を取ってみてください。

国立循環器病センター内科心臓部門  京谷 晋吾先生

国立循環器病センター・心臓内科医の京谷晋吾先生です。(制作者の主治医でもあります)

<京谷先生からのメッセージ>

原発性肺高血圧症の治療に、日夜全力を尽くしています。治療について、疑問がありましたら、なんなりと質問をして下さい。

〒565-8565 大阪府吹田市藤白台5丁目7-1

国立循環器病センター内科心臓部門

慶應大学医学部呼吸循環器内科  佐藤 徹先生  

<佐藤先生からのメッセージ>

国立循環器病センター肺高血圧部門で5年間の診療経験を持ち(100人以上の肺高血圧症の患者さんを診療)、99年4月より慶應大学病院呼吸循環器内科で肺高血圧症および心臓病一般の診療を行っています。土曜日午前に内科外来20番で診療を行っています。(受付8:40〜11:00)。

〒160-8582 東京都新宿区信濃町35
慶應大学医学部呼吸循環器内科
e-mail: tsatoh@cpnet.med.keio.ac.jp

東北大学医学部附属病院循環器内科 白土邦男先生

<白土先生からのメッセージ>

東北大学循環器内科で診療に当たっている白土邦男です。原発性肺高血圧症の方は東北各地および関東や中部地方からも来院しております。比較的遠方からの方もおられるのは当院が肺移植実施施設であることも関係しております。木曜日午前に当教室の佐久間聖仁が原発性肺高血圧症の方の外来診療を行っております。問い合わせの際には下記の連絡先まで一報下さい。

〒980-8574 宮城県仙台市青葉区星陵町1-1 東北大学医学部附属病院循環器内科
TEL 022-717-7728(循環器内科外来)佐久間聖仁(さくま まさひと)

e-mail: sakuma@int1.med.tohoku.ac.jp

日夜PPH治療に取り組む先生たちにお願いがあります!

当ホームページでは、日夜PPH治療に取り組んでいる先生を紹介しています。
我こそは!と思う先生は当ホームページで紹介させていただきますので、メールください。

内容は画像とに取り組む紹介文(つまり自己PR)を送付してください。
なお、当方の都合により画像はjpeg形式で、紹介文は直接メールに書いていたただくか、テキストファイルを希望します。

紹介文は病院名や連絡方法(強制ではありません)などを書いていただくと、大変助かります。


このホームページの制作者について・・・このホームページを制作して

そして、左の写真はこのページの制作者です。

本名:小林直樹 生年月日:昭和47年3月4日の33歳
身長・体重:176cm体重68kgの大男
(誰も、病人とは思ってくれません(笑))

病気が分かったのは1995年。大阪出身のぼくは、当時仕事の関係で姫路に住んでいて、6月のある日野球をしていて倒れる。そのまま救急車に乗せられ最寄りの緊急病院へ運ばれる。次の日、兵庫県立姫路循環器病センターにて受診、PPHだということが分かる。

即、入院が必要と言われたのだが、身寄りが全くいない姫路の病院に入院するのはいろいろと問題があったので、地元の大阪は北千里にある、国立循環器病センターに転院し、京谷先生に巡り会う。

病気をしてからは、息切れが激しく、階段は上がれないし、50メートルの歩行も困難になり、布団を畳むだけで、激しく息切れし・・・と病状は悪化する一方。

このままでは、ヤバイかも・・・とあれこれと京谷先生と相談したところ、プロスタサイクリン治療の存在を知る。海外では原発性肺高血圧症治療は、プロスタサイクリン治療が普及しているが、1997年当時日本国内では治療が受けられないため、京谷先生と共に1997年9月に渡米、イリノイ州シカゴにあるRush-Presbyterian-St.luke'sMedical Centerに入院。プロスタサイクリン治療を受けました。

治療を受けてから今年の9月で治療後丸2年が経過するが、現在体調はよく、2〜3階までの階段でしたら上がれるようになりましたした。そして2〜3キロの歩行も可能になりましたし、また、布団も畳めるようになりました。そして98年4月より、仕事にも就いています。

現在、大阪市福島区在住。

追記(2005年5月19日)

2005年の2月に、仕事の関係で神戸市に引越ししました。通勤時間を短縮して体を休めるのが狙いです。引越ししてから3ヶ月は後片付けなどに追われ、バタバタしましたが、最近になりようやく落ち着いてきたので、久々にHPをメンテナンスしているところですが、全然メンテナンスしていないので、すっかりネタなどが古くなっていますね(^^;)

体の方は良くも悪くもなく、フローランを開始してから7年以上が経過しました。今は話題になっているボセンタンを待つばかりです。

このホームページを制作して

ぼくは1995年6月に原発性肺高血圧症(以下PPHと省略)と診断されました。最初、病名を聞いたときは、初めて聞く病気であったため、ピンときませんでしたが、不治の病であること、余命がどうこうだと説明されると、さすがに驚き、それから二年余り、プロスタサイクリン治療を受けるまでは、死ぬ恐怖感、不安感から不眠に襲われ毎晩、眠剤(睡眠薬)に手を出すようになりました。

睡眠薬を飲むと、不安感などを忘れ、スムーズに眠りに入ることが出来るのですが、次の日の朝目が覚めると、ものすごく頭と体が重いのです。当時はなんとか仕事を続けていたのですが、病を患い、睡眠薬が残った身体では、午前中は仕事になりません。のらりくらりと仕事をしてるフリをして、なんとか午前を乗り切り、お昼休みを利用して昼寝をして、午後から午前に溜まった仕事を掃くというスタイルを取っていました。

だが、身長は176センチ、体重68キロの巨体は、パッと見たら健常者そのもの。大病を患っていると思ってくれる人は職場にはいません。(苦笑)(残念ながら、そのときの職場ではごく一部の人しか、当時のぼくを理解してくれる人は居なかった)のらりくらりした仕事のペースに不満を感じてる人もいたみたいです。

プロスタサイクリン治療を受けてから、ぼくの生活のスタイルは変わりました。まず、積極的に歩いて外出するようになりました。治療を受ける前も外出はしていたのですが、僅かな歩行であっという間に息切れしてしまうので、車を運転して外出することが多かったです。例えば、僅か200メートルしか離れていないコンビニに行くのにも、わざわざ車を運転していたのですが、今は200メートル位の距離だと普通に歩いて行きます。あと、電車に乗る機会も増えました。電車に乗るということは、駅まで歩かなければ行けません。駅まで歩くのがとても辛いのです。そして激しく息切れしながら駅までたどりつくと、今度は階段を上り下りしなければなりません。階段を下りるのはそんなに苦しくはないのですが、上るのがとても辛く、一段一段上がる度に休憩を取らなければなりません。結局、階段を上がる辛さを考えると、移動時間に倍以上かかる慢性渋滞した大阪市内を車で移動していました。

しかし、今では階段が多い地下鉄も積極的に利用できるようになりました。プロスタサイクリン治療を受ける前のことを思い出すと、とても考えられないことです。毎晩、薬を毎晩調合する作業は、はっきり言ってめんどくさいですし、まして仕事で疲れた夜などに調合するのはとっても苦痛ですが、プロスタサイクリン治療を受ける前のことを思い出すと、苦痛でもなくなります。それくらいプロスタサイクリン治療の効用は大きいんです。

話は変わりますが、いまでこそ、病院で知り合った人や、このホームページで知り合った人たちと連絡を取り合うことで、あまり不安感やこころの辛さなどは無くなりましたが、当時は、同じ病気を患った人と話をしたことがなく、世の中に不幸な人なのはぼくだけなのかなぁ、と思うと当時はとても辛かったです。しかし、1997年の9月に渡米し、プロスタサイクリン治療を受けてからは、たくさんのPPHの患者さんたちとお会いすることができ、その人達と情報交換が出来るようになりました。PPHはマイナーな病気だから、同じ病気の人と会うことは無いだろうと思っていたので、本当に驚きました。また、このホームページは1997年の終わりに立ち上げたのですが、ホームページを通じて、日本全国から沢山のPPHの方からメールを貰いました。「PPHはマイナーな病気なのに、こんなに沢山PPHで苦しんでる方がおられるのか」と改めて驚きました。

年間に一千件もアクセスがあれば十分だろう、と思って立ち上げたホームページですが、予想を遙かに上回り、一年半ちょっとで一万件を越えるアクセスがあり、これまた驚いています。作った本人が言うのもなんですが、お粗末な内容のホームページなんですが・・・。

今後も日本を代表する(笑)PPH関連のホームページにしたいと思います。よろしくお願いします。

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