憲法を守ろう・市原市民連絡会 憲法記念日講演会

戦争の加害者にも
被害者にもならないために

 ---- われわれがいまできることはなにか?----


講 師  吉田 敏浩 (よしだ としひろ) さん
         ジャーナリスト、アジアプレス・インターナショナル所属

日 時   2005年 5月 3日(火祝)
          
13:00 開   場   16:30 終   了

会 場   YOUホール(市原市勤労会館)多目的ホール
              市原市五井8187−1(市役所通り保健センター隣
             0436(25)0125
   * 会場地図

入場無料 カンパ(一口 500円)をお願いします


街頭配布公式チラシ

プログラム


吉田敏浩さんの最近の著書

        



会場リポート

 日曜日には、宣伝カーを先頭にマイカーを連ねて宣伝活動を、連休直前には、朝の駅頭でビラまきをしてPRにつとめるも、前回ほどの盛り上がりは感じられず。前回は3000枚のビラをまいて350名。今回は1000枚もまいた実感がないので100名を切るのではないかと覚悟を決める。

 で、実際は、やはり少なかった。ステージ上で数えたところ、聴衆は100名は超えていた。スタッフも含めて、最大で120〜130名というところだろう。よく集まったと言えるのかどうか、わたしにはわからないけれど、やっぱりさびしいなぁ。
 運営スタッフも呼びかけ人を含む十数名で、ひとり何役もこなす。このメンバーが連絡会の活動の核になるであろうことが確認できた。


  ご自分では「大まかな性格」とおっしゃるのに、時間に関しては厳格なK田さん。きょうも予定時刻きっかりに、開演宣言です。

<オープニング・コンサート>

 司会が演奏者を紹介し、小学校の同級生と家族がステージに上がって行きます。

♪「あのすばらしい愛をもう一度」
 開演直後で、人の出入りも多く、会場はまだざわついているでしょう。だから、のびのびと声を出せる曲で、気分をリラックスさせ、雰囲気を盛り上げたいと思って選曲しました。でも会場は静かでした。だって…。
 平和憲法が出来たとき、人々は「もう戦争はしなくてよい」と熱烈に歓迎したはずです。再軍備がはじまると、「御国のために死ぬことが最高の名誉だ」と教育した教職員は「教え子を再び戦場に送るな」(1950)と誓いました。護憲政党は「青年よ、銃をとるな」(1951)と叫びました。その当時の平和憲法への期待を思い起こしていただきたいところです。
 会場には「退職女教師の会」の面々がそろっていました。感じとってくれたでしょうか?
 でも、この歌って、失恋の歌なんだよね。

♪「卒業写真」
♪「はこべの花は」 永井和子作詩 神野和博作曲

 ここは、ソプラノ・ソロ。
 2005年3月に開催された「東京大空襲 60周年のつどい」で披露された曲です。
 ヒロシマ・ナガサキ・東京と、銃後の民が被害者となりました。講演で言及されますが、日本はなぜ被害者となったのかを考えながら 聞いてほしかったのです。
 作詩作曲者に演奏の承諾を求めたところ、「歌は唄われてこそ意味のあるもの。どんどん唄って広めてください」とのメッセージをいただきました。プログラム6頁に、神野さんの連絡先を記しました。永井さんからは「入場無料で大丈夫ですか」とご心配いただきました。カンパに期待していましたが、今回はちょっと不安です。
 「卒業写真」では、二番をクラリネット・ソロとしました。「はこべの花は」は時間の関係で、残念ながら一番のみとしました。
 前日に風邪をひいたソリスト。よい出来でした。歌詞を間違えたのは油断ですか。一般の人は気づかなかったでしょう。
 K田さんが、はこべを摘んできて、披露してくれました。まだはえてるんだ!

♪「翼をください」
 コンサートもフィナーレです。
 日本国憲法は、戦争を放棄して平和国家を建設するという理想をかかげています。だから、理想に向かってひた走る若者を象徴する曲で締めたいと思いました。
 わたしたちは、平和憲法を守るだけでなく、世界に広め、発展させる努力をしたいと思います。
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 こんなことを考えていました。青臭いと言われそうですが。
 同級生のみなさん、たった一回の事前練習と直前のリハーサルだけで迎えた本番でしたが、予想以上の演奏でした。ありがとう。機会があれば、またお願いします。そして卒業後40年だということに気がつきました。15年ぶりの同期会をしましょう。
 それから、公私混同といわれても仕方がありませんが、斉唱指揮は長男にやらせました。活動の場を与えることで、飛翔のきっかけになればと思っての起用でした。よくやったと言えるでしょう。若者の参加につながるかどうかはわかりませんが…
 演奏者は長男に「気負わない」ように口添えをしてくれました。K田さんも引き立ててくれました。ありがとうございました。キミには理解者がいることを忘れるでないぞ!


<講 演> 「戦争の加害者にも被害者にもならないために」

 吉田敏浩さんのお話は、論旨がハッキリしていて、参加者には、考えの整理に役立ったことでしょう。

 横須賀や沖縄の米軍基地、イラクの映像を交え、日本が米軍の出撃基地、兵站基地として米軍の戦争に加担しているサマを示してくれました。
 それは「極東における国際の平和と安全」を守るために日本の基地を利用するという日米安保条約の目的からは逸脱した姿であり、日本が「軍事力を何よりも重視する」アメリカの世界戦略に組み込まれている姿でした。活動領域は日本周辺とされているはずの自衛隊が、空中給油機を導入し、海外展開能力を高めている。ハワイでは陸自が市街戦訓練をしている。これは日本の安全とは関係のない、アメリカの戦争に協力するためのものである。
 こんな状況で憲法を変えたらいったいどんなことになるのかを考えてほしい。

 核心は necessary cost でした。
 イラクの米兵は、彼らが戦争をしてまで「解放」しようとしたイラク人の犠牲を necessary cost と表現する。「戦争にとっての避けがたい犠牲」というのだ。アメリカは自国の安全を守るために先制予防攻撃をしかけたのだが、アメリカの子どもの安全を守るためには、イラクの子どもの犠牲はやむを得ないという理屈だ。日本なら、石油の安定供給という「国益」のためには、イラク人の犠牲はやむを得ないということになる。
 しかしこれを認めることは、米兵自身の死さえも necessary cost であることも認めることである。米兵も使い捨てなのだ。それをごまかすために「国のための尊い犠牲」と持ち上げる。慰霊、追悼に工夫を凝らしている。
 他方で為政者の側は安全な場所にいて、兵士の犠牲のうえで昇進し、復興事業で企業利益をむさぼっている。

 有事法制の論理を元防衛庁長官の発言からひもとくと、90人を救うためには10人の犠牲はやむを得ないという、 necessary cost の論理が働いている。戦争をしないことが政治の最大の責任だというのに。最高の安全保障は、他国との緊張関係をつくらないことなのに、いまの日本政府は何をしているのか。

 自衛隊員は「目的は復興支援だから」と葛藤をもちながら派兵されている。海外任務はいまは「付随任務」なので希望制である。だから希望の有無をアンケートで確認される(集計結果は「防衛上の問題」を理由に公表されない)。しかしそれは「踏み絵」となっていないか。隊員の自殺率は一般社会のそれよりも高いのも、こうしたことが影響しているのではないだろうか。

 日本国家は、国家総動員法において、人間を人的「資源」と標記した。消費、使い捨ての対象である「資源」と。三矢研究における統幕文書にもこの人的資源の表現がある。国家の連続性を見て取れる。戦争に負け、憲法が変わっても、国家、政府の発想や思考は変わっていない。

 necessary cost の論理を認めることは、攻撃を受ける人々の犠牲をやむを得ないものとし、それは攻撃する兵士の犠牲をもやむを得ないとし、さらには攻撃する側の民衆の犠牲をもやむを得ないとすることになる。
 われわれはこの論理を見抜き、戦争と戦争への協力を拒否しなければならない。
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 国家は国民のためにある。その国家が国民の犠牲を「やむを得ない」とするとき、国家の存在価値はなくなるでしょう。
 また、どんなに軍備を整えても、戦争となれば犠牲は避けられない。だから国家としては、軍備に躍起となるより戦争を起こさない努力をしなければならないのです。そういう国家を実現しようとする平和憲法は、その核心である第9条は、だからこそ、守らなければならないのですね。



<呼びかけ人 リレートーク>
 トップはわたし
 母が3月9日朝に江東地区から千葉へ疎開したことを話す。会場からざわめきが起こる。母は来場する気はあったのだが、このところニトロを舐める事態が頻発しているので、迷惑となるといけないと、留守番を選択。
 日本の銃後の民、一般市民が被害者となったのは、日本が侵略戦争をしかけたから。戦争を肯定し、相手国の将兵や市民、自国将兵の犠牲をやむを得ないものと受け容れる考えが、日本の市民をも犠牲者にしてしまったのだ。
 時間を気にしながら、忠霊塔の話も。敗戦時の人口3883人の海上村からは127名の戦死者が、約10万人の市原市全体では2557名の戦死者が出ている。忠霊塔に新しい戦死者が刻まれることがないように、連絡会の活動を続けたいと結ぶ。
 (詳しくは、本サイト「戦争を語り継ぐ」コーナーをご覧ください。)

 二番目はO木さん
 女学校四年生で志願をし、仙台から横須賀の軍需工場へ働きに。親の反対を押し切って。爆撃を受け、仲間が犠牲に。戦争はこりごりです。

 三番目はHさん
 3月9日に家族を疎開させ、ひとり残った父は、その晩から行方不明になった。
 千葉の師範学校で空襲に。生徒に犠牲者が出たが、校長たちが真っ先にやったことは、ご真影を守ること。生徒の人数を確認したのは、ずっと後だった。教員への不信感が募った。

 四番目はY川さん
 6月の東京山の手空襲。当時1歳半。母におぶわれて近所の防空壕に入るが、激しく泣く。遠慮した母は防空壕を出て、火の海へ。火勢に追われてお寺に逃げ込み、助かる。あとで防空壕をみに行くと、蒸し焼き状態で、みな死んでいた。「オマエのお陰で助かった」と母に言われ続けた。
 懇親会の席で続きを聞く。
 栃木へ疎開する列車が、艦載機に襲撃される。Y川さんの耳から血が流れている。銃弾がかすめたらしい!! のちに、その地に講演に行くと、そのときの列車の台車が保存されていたという。

 最後はM川さん
 弁護士らしく、憲法の内容などをクイズ形式をつかいながら解説。
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 わたしの喋り出しが引き金となって、戦争体験談が次々と繰り出された。会場には年配者が多かったので、被害体験を共有し、「戦争はもうコリゴリ」との思いを新たにしたことだろう。
 この体験から、アフガンやイラクで、つまり米軍の空襲下で何が起こっているかを想像することができるはずだ。そうすれば、米軍の一方的な戦争を身近なできごとと感じられるはずだ。そうすれば、戦争反対の決意も強まるはずだ。その点の念押しが足らなかったと思う。

 フロアでは、参加者同士で戦争体験が語り合われたらしい。「父はボルネオで捕虜になった」、「父は陸軍の飛行教官だった。特攻隊員を養成していた。亡くなったとき、親戚からはじめて聞かされた」とか。
 戦後60年経ってはじめて「体験を共有した」わけで、こういうことがこれまで行われてこなかったことを不思議に思う。齢七十を超えた直接の体験者は、体力の面から「もう限界だ」という。「書き残す」「聞き取る」という作業が急がれると思う。


<質 疑>
 「軍事力は必要だ、という主張にどう反論したらよいのか」
 吉田さん:議論の土俵を変えて、軍事力が何をもたらすかを考えてもらえばよい。

 「憲法改正国民投票法案の内容を知りたい」
 M川さん:おもに選挙運動のメディアに対する規制措置について解説。
 「改正」後のメディア規制が予測でき、社会の雰囲気が想像できてしまう。


<事務局からの連絡>
 本日を期して、署名運動をはじめる。
 9条の会など多くの団体は、署名を集めることを目的とし、その使い方を明らかにしていない。しかし個人情報保護法も施行され、プライヴァシー意識が高まっている今日、目的のない署名集めは賛同を得られないだろう。
 そこで当連絡会は、「憲法第9条の文言を変えることに反対する」署名を集める。市民の過半数の署名を集め、それを市長に提出し、市長としての「反対の態度表明をしてもらう」と考えている。署名をするだけでなく、集める活動にも参加してほしいと願っている。ご協力をお願いする。
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 当初は市議会に「反対決議」を求める請願として提出する予定だった。市議会には共産党、市政研究会、市民ネットが紹介人となった請願は採択しないという暗黙のルールがあるという。仮に過半数の署名が集まったとして、不採択という市民の意志を無視する事態になれば市議会の保守性が明らかになる効果があると考えたからだ。
 しかし、市議会への請願には、署名者の印鑑が必要なのだそうな。そうすると署名を集めにくいので、「市長の態度表明」を求める方がよいのではないかとの提案があり、それに決まったのだ。
 ところが、その決定の場に居合わせた呼びかけ人から、当日の会場で、「市長を名宛人にしてしまうと、市長支持者の賛同が得られない。文書を回収して練り直したらどうか」と異議が出された。
 しかし、入場者に配布してしまったものをいまさら回収することもできないし、このままで行こうということになった。
 請願文と署名呼びかけ文は、わたしが書いた。5月3日にスタートさせようと、あせってことを進めたことは事実だが、議論を重ねても結論は変わらなかったと思う。


<閉会のあいさつ>
 すべてが終わって、16:25.予定より5分早い。 punctual なK田さんの面目躍如でした。
 ご苦労様でした。そして、ありがとうございました。


<今後のこと>
著名な講師は、人集めにはよいけれど、政治漫談で終わる危険性も高い。12.11講演会では講師の選定にあたって、この点をハッキリさせなければならい。
 講演会は人集めに徹した方がよい。署名集めの中心となる人々が集まる普段の学習会では、キッチリとした理論的な話のできる講師を呼べばよい。アーミテージが反対を表明した「東アジア共同体の可能性」などのテーマは、学習会でやろう。

新聞社にも知らせたが、前回同様、とりあげてはもらえなかった。
 これからは学習会についても、イベント欄への掲載を求めてみよう。読売新聞へも求めてみよう。
 Y川さんが知り合いの記者に取材を要請したところ、「わたしたちが記事を書いても、護憲のそれはデスクが取り上げてくれません」と応えたそうだ。わたしも知り合いの朝日の記者にメールを送ったが、なしのつぶてであった。

街頭宣伝活動では、思い思いにマイクを握った。
 N野さんは、こう訴えた。「市原だけでみれば、このような運動をやっているのはわれわれだけ、ごく一部の人間だけにみえますが、全国では、実に多くの方が講演会に参集しています。みなさんも、心の中の素直な思いを表明し、9条を変えることに反対しましょう」。
 素晴らしい呼びかけであった。今後は学習会においても、参加者の意見表明の機会を設けよう。講演会のリレートークも、呼びかけ人以外に範囲を広げよう。
                                                2005.05.06記


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