成田全日空ホテル


●成田市堀之内  ●0476-33-1311

94年11月  ダブル

▲弟のように接してきた従弟の結婚式披露宴の前日に宿泊。金曜日の午後小学校を早退した子どもたちを連れて成田快速で空港第2ターミナルへ。改札を出、検問所で職場を早退してきた妻と遭遇。ホテル巡りのシャトルバスに乗車。夕方のラッシュなのか、空港敷地から出るのに大渋滞であった。チェックイン。ベルサービスは希望者のみ。夕食は子どもの希望が異なり、2組に分かれる。子どもとは添い寝をするのでダブル二部屋に分宿。わたしと寝た長男は、この日はとくに寝相が悪く、夜中に「おとなしくしろ」と声を荒げた。

▲当日。早めに起きてバスルームへ。洗面台と便器・バスタブとの間に衝立がある。これなら同時利用も可能と思われる。わたしは便器に座り、あいさつ原稿をチェックする。そう、わたしの役割は媒酌人。前日、妻が車中で朱を入れてくれてある。「涙がこぼれるほど感激した」とのメッセージとともに。妻の書き込みをさらに直して、原稿は完成。そして2度ほど音読して、準備は終了。
▲妻が着付けに行っている間、子どもを起こし、買い置きの朝食を一緒に食べ、「着付け」をする。わたしがコーディネートした衣装だ。妻が見違えるようになって帰ってくると、今度はわたしが衣装室へ。前日に合わせておいたモーニングを着て、客室へ。荷物をまとめてチェック・アウト。前日に入室したときからあった窓枠のハエの死骸はそのままにしておいた。もちろんブルーレターにはその事実を記しておいた。ロビーには式の参列者も集まり、クロークへの荷物預け、親戚とのあいさつに追われる。あわただしい。特別の配慮でわれわれのカップル写真を撮影することになっていたが、その時刻も過ぎ、あわてて写真室に向かおうとするとき、妻が客室冷蔵庫利用の伝票を出してくる。伝票をひったくって、またキャシャーへ。撮影はお預け。イライラ!! プンプン!!

▲その後は落ち着きを取り戻し、参列者とあいさつを交わす。そして、いよいよ、式には参列しない親戚の「励ましの視線」を背に、神前式場へ。
 ここでの仕事は「玉串奉呈」だけだ。
 お祓いがすみ、神官の祝詞が始まる。

 「○△□の媒酌のもと、□△○と△□○とが…」。
 おい名前が違うぞ! いったい誰のことだ?
 別の組の書類を読んでいるな。
 せっかくの門出だ、このままでいいはずがない。

 誰か間違いを指摘してくれないかな。
 誰も指摘しない。

 こうなったら、わたしが動くしかないのだろうか?

 新郎の父が隣に立つ若い巫女に何か言っている。
 巫女はニコッと微笑んだだけで向き直る。

 新婦の両親が囁きあっている。

 本人たちの表情は背後からはわかるはずがない。

 妻をみる。
 抗議にイケイケとの仕草をする。

 新郎の姉と目が合う。
 「お兄ちゃんが行くしかないよ」と目で言っている。

 ようやく覚悟が決まって、椅子を倒さないように脇に出る。
 蹴躓かないように慎重に歩を運び、年増の巫女の前に立つ。
 頭をたれたままの巫女に言う。

 「名前が違います。」

 顔を上げ、驚いた表情の巫女は、すぐに神官に耳打ちする。

 神官は直ちに祝詞を打ち切り、神殿の裏へ行き、別の用紙をもってくる。

 「大変失礼しました。やり直します」と述べて、祝詞を最初から唱えはじめた。その声からは動揺は感じられなかった。よくあることなのだろうか。

 その後はハプニングもなく進み、神官は新郎新婦とわたしに「失礼しました。申し訳ありませんでした」と述べ、そそくさと式場から出て行った。親族紹介も終わり、われわれも式場を出る。「支配人クラスが待機しているだろう。わたしはどういう態度をとればよいのだろうか」と考えたが、誰もいない。写真撮影が終わったところで、披露宴会場のタキシード君が名刺をもってやってきた。「大変失礼しました。[どうか穏便にお願いします]」と、その目は語っていた。

 披露宴会場に入場する前に、新郎新婦に聞いてみた。
 「まともな謝罪がないがどうする。」
 「客室予約課の知人に便宜を図ってもらっているし、このホテルとはこれからも業務で付き合って行く。だからことを荒立てたくない。」
 これが二人の意見であった。

▲さて披露宴。入場行進中、タキシード君は、ずいぶんと面白い仕草をみせてくれた。後方への足の蹴り上げを極端に大きくしてみたり…。われわれの緊張をほぐそうとしていたのだろうか?    
 壇上に位置して、いよいよわたしのあいさつ。「お辞儀をしたら、ユックリと頭を上げる」との母のアドバイスに従う。うわずることもなく、原稿を外れることもなく終了。息子たちが「父さん、かっこよかったよ」と言ってくれた! 決して身内をけなさない伯母が「普段から人前で話している人は違うよね」と言ってくれた? 「まぁ、良かったんじゃありません」と妻。料理を残さず食べて、宴もお開き。媒酌人初体験が終わった。

▲本人たちにも、わたしにも、上層部からのあいさつはなかった。ブルーレターへの返信もなかった。あれからまもなく8年。従弟も企業人としてのキャリアを積み、支店を任されている。家庭でも二人の子どもに恵まれ、今春、長女は小学校に、長男は幼稚園に入った。お宮参り、七五三と集っているが、名前取り違え事件が話題になることもない。
▲わたしはといえば、爾来、結婚式(披露宴ではない!)への参列が楽しみでならない!(02.07.05記)


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