ホテル オークラ 東京

港区虎ノ門2丁目  ●03-3582-0111


     Hotel Okura 本館      
2015年8月 Standard Twin

 日本に外資系のホテルが次々と進出するまで、常に世界のホテルランキングの上位にあったホテルオークラ。

 その本館が8月末をもって営業を終了し、建て替えのために取り壊されるという。子どもが小学生のころ、年に1〜2回だが、ステイを楽しみ、エピソードも多い。本館の最後の勇姿を見ておくべく、妻を誘ってみた。最近はホテルステイに賛同しなかった妻だが、最後とあってか、誘いに乗ってきた。

<予約>
 近ごろはネット上で予約することが多い。ところが日航ホテルズを併合して以降、オークラクラブの会員特典も変更されている。サイト掲載の宿泊プランにおいて会員特典がどのように適用されるかを問い合わせたくて、久しぶりに客室予約課に電話をした。担当者は、わたしのシツコイ問いに根気よく答えてくれた。その上で、第一希望のガーデンサイトのテラス付きはすべて埋まっているそうなので、「ガーデンサイトのツイン」を朝食付きで予約した。
 ところが後日、サイト上で「会員向けプラン」を見つけてしまった。2食付きで、わたしの予約したプランよりも安価である。より割安なプランの存在を教えてくれなかったのか。昔、オークラ神戸に「お得なサマープランを紹介しなかったのはケシカラン」と抗議したことを思い出した。ところがよく見ると、食事は2食とも「ルームサービス」となっているではないか。「最後の食事」はレストランでしたいから、結局はこのプランを知っても選ばなかった。実害はなかったので、ブルーレターには記さず。

<当日 オークラ へ>
 上野で「生命大躍進展」を見たので、虎ノ門駅から歩く。金比羅さんの手前に道路が出来たためか、ずいぶんと遠く感じた。妻は「もう歩きたくない」と、子どもに帰った。
 本館宴会場入り口では、歩道を歩く人も写真を撮っている。閉館取り壊しは、相当に周知されているらしい。海外では「なまこ壁の貴重な建築物を残そう」と呼びかけた人もいるらしい(Save Japan's Modern Architecture −Tomas Maier in Japan)。


《左から2本目はオークラ東京の、その右はオークラグループの、その右は The Leading Hotels of the World の旗》

 宴会場玄関を入ると、広いロビーにスタッフがズラリ。やたら視線を感じる。平安の間で「久兵衛」のお得意様感謝の催しがあるようだ。「わたしは招待客ではありませんよ〜」と呟きながら、急ぎ足で通る。
<チェックイン>
 エレベーターでロビー階へ。玄関を横切り、ベルデスクをとおり、フロントへ。「ご到着ですか」との声かけはない。いつもなんだよな。宿泊客だと見抜いてもらうには、どうしたらよいのだろう。
 フロントがふさがっているので、しばし待つ。さあ空いたと進もうとしたら、ベルガールが滑り込み、フロント嬢と話し、コンピュータ操作をはじめる。結局これが終わるのを待つことに。フロント嬢は「長らくお待たせし、申し訳ございません」と詫びる。メンバーズカードを見せ、何も印字されていない宿泊者カードに、サインのみ記入する。料金の確認などはなし(これもいつものこと)。
 それでもカードキーケースに氏名は印字されていた。待たせたことをあらためて詫びられ、ベルキャプテンに引き継がれる。

<ベルキャプテン>
 ところがフロント嬢はキャプテンに「メンバー様です」と伝えなかった。キャプテンは、わたしのトートバッグだけを持ち、さっさと歩き出す。「ちょっと待って、連れがいるから、連れの荷物も持って」と呼び止める。カードキーケースに会員を示す「OCC」の文字がないので、キャプテンは「初めてですか」と聞いてきた。「何度も来ている」と返した。「営業終了が近くて賑わってるね」と水を向けると「間際になって、ますます混雑してきました」と応じた。
 その時点で、ハタと気がつくべきであった。レストランに予約を入れていないことに。そしてキャプテンも、「レストランは混み合っているから、早めの予約を」とか「ルーム・サービス」を勧めるなどの一言があって良かったと思う。非常口の説明もしなかったし、粋がっている割に、気の効かないヤツだった。

<レストラン探し>
 お茶を飲んで一息。18:00を廻ったところで、「テラス・レストラン」に電話を入れる。最後の夕食は「ロースト・ビーフ」にしたかった。ところが、いくら呼んでも電話に出ない。そのうちに「話し中」になってしまった。手ごろな価格のローストビーフが人気を呼んでいるのだろう。
 あきらめて「スターライト」。ようやく出てくれたが、即座に断られる。「さざんか」、出ない。ずっとメールを打ち続けている同室者に「館内探訪がてら、行くぞ」と声をかけると、「見てきてよ」と言う。「わたしは、使いパシリはしない」と返すと、語気の鋭さに気がついたのか、メールを止めて付いてきた。
 「さざんか」で。「20:00、21:00まで待っても、席はないか」と問う。「21:00スタートの部でも満席」と断られる。神谷町駅近くのラーメン屋さんが、頭を過ぎる。何度も利用している。
 ロビー階へ降り、和服の女性に「レストランがどこも満席で困っている」と告げてみた。「カメリア・コーナー」を勧められる。すぐに休業中と気付いたようで、玄関横のクローク女性に引き継いだ。その女性はすぐに受話器を取り、「桃花林、21:00」を見つけてくれた。アシスタント・マネージャーデスクを案内して済ませることも出来たのに、自ら電話をしてくれたのは、有り難かった。だが、まだ19:00。2時間も待つのは辛い。
 撮影する人の多いロビーを横切って「オーキッド・ルーム」に寄るも満席。また戻って、階段を降りて「山里」へ。ありましたよ、20:00が。1時間なら待てる。ここに即決。クローク女性に報告後、ロビー上階で過ごす。

 日本人はほぼ例外なく、写真を撮る。それぞれが思い入れをもっているのだろう。待ち人と落ちあうと、エレベーターホールへ歩いて行く人もいる。きっと予約しているレストランに行くのだろうと想像する。空腹をかかえる身としては妬ましくもある。そして、ホテルのレストランは宿泊客以外も利用することにも気がついた。ここでふと思った。<予約>に書いた「サイト上の会員向けプラン」は、混雑をルームサービスでフォローしようという窮余の策ではないのかと。


  《わたしも撮りました。やっぱりオークラはランタンですね》

<山里>

     《一の膳〜たこ、お造り、小吸い物》                 《炊き合わせ〜冷たい煮物



       《牛フィレ肉と温野菜〜醤油だれ》                      《うなぎ雑炊

 山里は朝食での利用ばかりで、夕食は初めて。20:00、仲居さんたちがにこやかに迎えてくれた。満席ではない、意外!
 料理は写真の他に、《焼き物〜太刀魚、鴨のロースト》《お肉の前のサラダ》《果物〜マンゴー、ぶどう》も付いた。
 炊き合わせ「冷たい煮物」で、面白いことがあった。わたしの器には、茄子が入っていなかった。同席者の器には、ウド?が入っていなかった。板前さんが不足分を直々に持ってくるかと思ったが、仲居さん別の器で運んで来た。うなぎは、蒸してから焼く関西風。ふっくらしていて美味しかったぁ!
 閉店時刻を過ぎて、入店した女性客一人。仲居さんたちと親しげで、お蕎麦を食していた。

<ルームサービス>
 食事のあとは、冷たくて甘いものがほしくなる。せっかくだから、部屋にもどり、ルームサービスでアイスクリームを頼んでみた。「せっかくだから」というのは、友人の子どもがRS部門に配属されていると聞いたから。その彼女が注文を受けてくれた。でも届けてくれたのは、別のスタッフだった。

<人とのつながり>
 オークラでは、ブルーレターの関係で、料飲部次長と電話で何度も話したことがある。会いたいと思った時には、定年退職間際の有給消化に入っていた。ローストビーフのソースについて「意見」を書いたのだ。そうしたら、すぐに電話がかかってきた。その中で「味の素」を入れたかどうかで、客の反応が異なると話してくれた。ここのレストランで化学調味料を使っているのか、日本人の舌は、それほどまでに味の素の影響を受けているのかと驚いたものだった。20年くらい前の話。
 職場の同僚の配偶者が、食器管理の電算化を成し遂げたそうだが、親しくはならなかった。レストランスタッフから名刺をもらったことがある。嵐の夜のスターライトで、客はわたし一人。ずっと話し相手になってくれた方。オーキッド・バーに移ってからは会う機会がない。スターライトがラウンジだったころ、カクテルの試作品をご馳走してくれた方も、オーキッド・バーに移っていた。当時の名刺を持参して、話しかけてみようかな。
 どうしても知り合いのいる方へ、人間の脚は向くものだ。RSの彼女が成長すれば、オークラを利用する誘因になるだろう。期待しよう。

<部屋>
 希望通り、ガーデンサイトのツインがアサインされたが、6階だった。予想したとおり、30平米くらいの部屋で、それでもソファが二つあった。卓上には電気スタンドが。今日は仕事をもってきてはいないので、不要なのだが。バスルームはシャワーカーテンだった。それでも男性化粧品が用意されていた。
 屋外プールの真上の位置だったので、窓を開けてみたら、・・・・・プールよりも先に、5階のテラスの屋根を補強しているのであろう「錆びた鉄パイプ」が眼に入った。50年も経つと、こういうこともあるのだろう。視線を遠くに向けると、東京タワーがあった。妻との初デートで登った。
 プールでは次男が、平泳ぎで200bを泳ぎ切ったことがあった。水深が180pなので、おぼれたらすぐに飛び込むつもりで、ビート板を持って待機していたこともあった。なぜ、ビート板? それは、わたしが泳ぎに自信がないから。




<朝食 テラス・レストラン>
 09:00。混雑のピークだが、待たされずに席に着けた。フレンチ・トーストを期待したがなし。カメリアの朝食にはあったのに。
 こらえきれずにシャンパンを飲んだので、泳ぐのは取りやめ。ビュッフェの料理が片付けられるまでマッタリして、庭園を散歩。
 ローストビーフは、9月からはカメリア・コーナーで提供されると聞いた。




<チェックアウト>
 アメニティ・グッズをカバンに収め、12:00ちょうどにフロントへ。3〜4人の待ち。ベルキャプテンが誘導してくれる。
 カードキーケースだけをもらおうとしたら、「せっかくですから」とカードキーもくれた。明細を確認。領収書は折りたたんで封筒に入れて渡される。

 神谷町駅へ向かうが、別館への屋内ルートは閉じられているので、玄関を出て、左に折れて、別館の裏へでる。別館フロントへ通じる「竹林の道」が出来ても、駐車場の隅の通路を通って宴会場地下玄関から入るのが、われわれの入館ルートだった。途中、目立たないところに市価よりも安価な自動販売機があり、よく利用したのだった。なくなって久しい。

            《2019年には、どんな建物ができあがるのであろうか》

(2015.8.27記)


● 2013年


● 2011年9月 Standard double


● 2011年1月 Standard Doubje


● 2009年5月 Standard Double


● 2008年5月 Superior Double


● 2008年1月 Stanndard Double


2004年8月 Suite


2004年7月 Standard Double




2003年8月 Standard Double

 地方巡業を終えたわたしには、納涼屋形船への誘いは「打ち上げ行事」であり、さらに仕上げとしてのホテルステイを選んだ。妻は不平を漏らしたが。
 列車に乗る前に、駅から電話を入れる。日曜日なので、簡単に予約はできた。途中のデパートでお酒と食料を買い込んで、虎ノ門下車。本館宴会場からはいる。いつもどおり、アッシャーとは無縁。

■ロビー階に上がってロビーを横切る。ベルマンの目にとまることなく、フロントデスクに到着。荷物を足下に置いて手続き。隣には、ベルに案内された客が登場。「ご到着です。お名前は○○さまです」と、テキパキと引き継がれる。わたしの方は、禁煙フロアの屋外プールが見える部屋をアサインしてくれた。リクエストが、宿泊予約からフロントへ正確に伝えられていた。K宮さん、ありがとう。
 「キャプテン、ご案内をお願いします」の呼びかけでベルマンが現れる。荷物を足下に置いたまま「これを頼む」では失礼だろうと思い、手で持ち上げて渡す。デイパック一個なので「これだけですか」と聞かれる。胸に番号札をつけた新人もついてくる。入室はしなかったが、実地研修なのだろう。声をかけてあげれば良かったと、あとで気がつく。
 エレベーターを降りる際、「左手にお進みください」などのさりげない声かけには感心する。
 フロントクラーク、ロビーアテンダント、客室係と新人が入り若返ったようで、館内が明るくなったように思えた。

■通された部屋は、はじめての最も狭いタイプだと思うが、ソファベッドになるであろう二人用ソファと一人用ソファとが配置されていた。テーブルは足の低いもの。
 ベッドサイドのコントロールパネルが、ひどく傷んでいた。メッキがはげているのだ。よほど乱暴な使い方をする客が続いたのだろう.
 もう一点、FAXの用紙受け皿の付け根部分が折れており、正常な位置に取り付けることができない。そのためか、排出される用紙が詰まってしまっていた。こうなるとさらに気になって、ミニバーのお茶パックを取り出してみた。茶殻はこぼれていなかった(2000年12月の記述参照)。

 バスルームはアルミ引き戸で、シャワーブースはなし。ベイシンの主排水口の一部には褐色の水垢が、手前の副排水口には全面に水垢が付着していた。ターンダウンでは、引き戸の水滴まできれいにふき取ってくれたのだが、「見えないところにも気を遣う」という心がけはどうしてしまったのだろう。
 いつものことながら、電気スタンドとヘアートニックとリキッドをリクエスト。電話の男性客室係は「はい、給わりました」と、感じが良かった。声からして、2000年12月の黒服氏だと想像する。

 屋形船から帰ったのが23:00近く。宴会場玄関では男性が二人、それはそれは丁寧に絨毯に掃除機をかけていた。
 エレベーターを降り、自室のあるウイングに入り、Privateの扉を過ぎるとすぐ、その扉から人が出てきて、わたしの背後を歩いてきた。振り向くのも不気味だったので、そのまま歩き続けた。わたしが自室の前で立ち止まると、声もなく追い越していった。警備員だった。肝を冷やした瞬間だった。

■屋外プールのパウダールームは相変わらず狭い。60年代の建築であろうから、拡幅の余地はないのだろう。「タオルは規定枚数を超えて使用する場合には別途料金をとる」旨の表示があった。立ち居振る舞いから不快感を受けることはなかったが、金髪にピアスの青年が数人おり、異彩を放っていた。
 退場するとき、受付に「お世話さま」と声をかけたのだが、業務中で伝わらなかった。「相手の目を見て、シッカリ話す」。あいさつにも気合いが必要なのだ。

■昼食は久しぶりに「スターライト」に行った。新装開店のカメリアは混み合っているだろうと予想し、上層階にあるスターライトや「さざんか」なら、どちらかに空席があるだろうと予約なしで向かった。いざ店の前に立つと、親しく話したことのあるスタッフのいる方に入ってしまった。
 オープン・キッチン前のカウンター席だったが、しばらくすると彼が通りかかり、声をかけると思い出してくれた。客はピークを過ぎていたので、また話ができた。
 調理場に注文を通し、しばらくして戻ってくると「つゆそば」ができあがっている。調理場から「あがったよ」との声がかかる場面はなかった。どのスタッフもタイミングを熟知しているのだろう。

■そのサービスを使うつもりはなかったから実害はないのだが、ミスもあった。利用した宿泊プランにはワイシャツのランドリー券、またはズボンのプレス券がつくはずだが、それがなかった。期間限定のサービスだったのだろうと合点していたが、帰宅後HPをチェックしてみると実施中であることがわかった。この時期にはいろいろなプランがあるために、フロントクラークは混乱していたのだろう。
 オークラでさえこうなのだから、新規開業ホテルのサービスは推して知るべしだと思う。かくして、このホテルの宿泊記ばかりが増えて行くのだが、客室の清掃・整備ミスが続いている。。ブルーレターへの返信が楽しみだ。(03.08.07記)
■ブルーレターは9月にはいって投函し、10日付で総支配人から返信が来た。フロントの対応、部屋の不整備について「謹んでお詫び」し、次回のステイでは、電気スタンドと三点セットを用意しておくと記されていた。
 かつて、「次からはタオルスツールのある部屋をアサインする」と約束されたことがあったが、守られたのは一度だけでしたな。(03.09.14記)



2003年3月  St.Double−Single Use

■虎ノ門駅で下車、本館宴会場入り口からはいる。
 エレベーターで上がり、ロビーを横切っていると、ベルマンがすぐに荷物を持ち、名前を聞いてフロントに告げてくれた。東京では初めての体験。チェックイン手続もスムーズに終わる。部屋まで遠かったので、ベルマンと話も出来た。
 「本日は10組の結婚式がある。ということはウェスティンなどの新しいホテルでは、もっとたくさんあるでしょう。若い方は、格式よりも新しい方がお好きなようです」とのこと。

■部屋は禁煙3階の一番奥、廊下の突き当たり。通路に直角にドアがある。
 内部は、突き当たりにクローゼットがあり、90°左に折れるとベッドがある。玄関の真上にあるがゆえの苦肉の造りである。
 窓を開けると、駐車場のはずれで排気口のようなものもみえるが、庭園の緑も目にはいる。ベルマンは「眺めが悪くて…」と恐縮していたが、「向かいのビルと駐車場しかみえない反対側の部屋よりはイイですよ」と応えておく。
 ベッド幅は160p、椅子は2脚。無料のインスタント・コーヒーが消えていた。
 加湿器はいつも備えておいてくれるのだけれど、電気スタンドはなぜか覚えていてくれない。

■バスルーム。
 客室はいつもスタンダードタイプ。それでも、シャワーブースがある部屋・ない部屋、バスタブの仕切がカーテンの部屋、アルミ製引き戸の部屋とさまざまである。ブースは改造の際に取りつけたため、バスルーム全体を窮屈にしている。
 バスタブが小さい、窮屈!! シャワーカーテンを引いたら、細くて長い髪の毛が落ちてきた。
 シンクの排水口の水あかが目につく。家で妻がやっているように歯ブラシで擦ってみたら、あらかた落ちたが、残滓はある。ターンダウンの際に指摘して、仕上げてもらった。係が二重三重にチェックしているはずなのに、この始末。
 アメニティ・グッズも削減され、男性化粧品はアフターシェ−ブローションだけ。近ごろ「おやじ臭」を指摘されるので、ヘアートニックを使うようにしている。所望したら、ヘアーリキッドも加えた三点セットが来た。かつて常備されていたものだ。

■宅配便を利用する際はいつも、ベルマンに部屋に来てもらって手続をしていた。しかしこれだと、コールしてから数分待たされることがあるし、今回は少量なので、チェックアウト寸前にベルキャプテン・デスクに持参した。
 みな用務をこなしており、その傍らの研修生の前に立ち、視線を合わせた。そしたらなんと、彼は視線をそらせてしまったのだ! わたしは、ひどくキツイ目つきをしていたのだろうか? 受話器を置いたアテンダントが対応してくれたが、これまた無愛想!
テキパキと処理してくれたが、笑顔一つなし!! よほど多忙だったのだろう。

■夕食は、お茶の水・銀座アスターで、廃業した職場の同窓会。昨年はわたしが幹事で「さざんか」で開催。費用の差は五千円だが、昨年の方が満足度が高かった。
 朝食は「山里」。家族と一緒の時は「テラス」や「カメリア」のバイキング。休日の07:30なのに、年配者が集まる山里はほぼ満席。いつになく早起きし たわたしだが、これには唖然。カウンターにまわる。禁煙席だから、異存はない。家では食べない干物だが、この日は骨ごと食べてみた。うまい!

■夜半に肌寒さを感じる。室温設定はしたが、吹き出しをオンにしていなかった。冷暖房の切換の季節に室温調整がうまく行かない時は、室温を好みに設定して「風量を切ると良い」と聞いたことを思いだした。(03.03.18記)



2002年8月  St.Double−Single Use

■ブルーレターの評価が、「大変満足・満足・普通・やや不満・大変不満」の5段階となった。
 これは、わたしが学生・生徒から受ける評価と同一である。記入していて、「大変満足」には簡単にはチェックできないことがわかる。こちらの信念と学生・生徒のニーズと、どうやって折り合いを付けるか? 試行錯誤するしかない。 (02.08.31記)

■別館地下2階入り口を入ってすぐ左のトイレでのこと。
 入ると掃除のおばさんがいた。「舐めるように」という表現がぴったりで、便器の中に顔を突っ込み、入念に汚れをチェックしている。ここまでやっているか ら、便器がきれいであることが強烈に印象づけられた。しかし、用を足している最中のわたしの足元をモップでこれまた入念に拭かれたのには、いささか閉口し た。(02.09.29思い出して追記)



2000年12月  St.Double−Single Use

 トップホテルでも、あきれることがある。
■第一。チェックイン手続を終え、客室へ向かう途中、ベルマンとの会話。
 「最近の『週刊ダイヤモンド』のホテルランキングでは、あまり芳しくない結果でしたね。」
 「イヤー、アンケートというのはいろいろな制約があるので、気にしていません。」

 学生・生徒のアンケートに身をさらす者として、この発言は看過できなかった。前段はそうであるとしても、後段のような姿勢では謙虚さが感じられない。そこでフルーレターに、
 「自他ともに認める日本のトップホテルの従業員であるならば、低い評価を下された場合、全面的に納得しないまでも何らかの改善点でも見つけ出す姿勢がないならば、さらなる進歩・発展は期待できないではないか!」
と記した。返信には、スタッフ教育に力を入れるとあった。

■第二。ベイジンに頭髪が残っていた。ポットのノブ?を押してもお湯がでない。スカスカである。よく見ると蓋がキチンとはまっていない。お茶パックを抜く と容器に茶殻が残っている。清掃にこうまで手抜きがあっては、一言言わざるを得ない。客室係を呼ぶ。中年女性がやってきた。

 まず、ポットの件を指摘する。
 「あっ、蓋が閉まっていませんでしたね。これくらいは仕方ありませんね。」

 この言いぐさには納得できないので、ベイジンの件を指摘。
 「ベイジン全体を拭き直しました。」

 さらに、パック容器の件。
 「わたしは、悪意があるわけではないけれど、お茶パックを抜いてご覧なさい。茶殻が残っていますよ。」
 茶殻を確認して、
 「ここまで粗相があっては申し開きは出来ません。責任者を呼んでまいります。」

 直に先の女性と白服の男性がやってきた。男性云く、
 「この部屋の清掃員とチェッカーの目は“節穴”でした。何とも申し訳ありませんでした」
と、二人で腰を直角に折った。ルームチェンジを提案するかなと予想していたがなかった。コーヒーなどの差し入れがあるかなと予想したが、これもなかった。

■第三。こうした失態があった場合、チェックアウトの際、フロントクラークから改めてわびの言葉があるんだそうな。ところがそれもなかった。
 ミスは内輪で処理するという組織の論理が優先するのだろうか。それとも組織が大きすぎて、連絡事項が伝わらないのだろうか? ブルーレターへの返信では、清掃業務を見直すとあった。
■こういうところからも、日本の衰退が見て取れると思うのだが、考えすぎだろうか? (02.08.31記)



91年8月 ●別館ツイン

(1) はじめて宿泊したのは91年夏。妻の家族との旅行が定例化していた夏休み、TDLを目的地に上京してくることとなった。わたしたちを含めると13名。“添 乗員”として企画を練った結果、ホテルにこだわることに決定。なかなか足を踏み入れる機会のないトップホテルに電話をしてみる。木訥(ぼくとつ)とした口 調でラックレート(定価)の説明をした後で、「しかし、こちらのプランの方がお得ですと、サマープランをすすめてくれる。他のホテルは、こちらから尋ねな いとプランの話は出なかった。だからオークラは利用者の立場に立っていると判断して、ここに決める。        実際の予約は、旅行社に勤める従弟を つかい、社員割引価格にしてもらう。

(2) 学生時代にロイヤルホテルや都ホテルの茶室でバイトしたことのある義妹が、「タクシーで乗り付ける方がサマになる」というので、東京駅から3台に分乗して向かう。目的地を告げると「あんたら、本当にオークラに泊まるの?」と聞かれたグループもあったとか。
 日本ではトップに、世界でも3位にランクされたことのあるホテルである。「スタッフの応対は如何に」と楽しみであった。しかし多人数なだけに荷物も多い。タクシーから荷物をおろす段からもたもたし、フロント前でわたしが荷物の個数を確認する羽目に。
 フロントでも、名乗ってから朝食券やプール券を作成する始末。ベルマンは「まいりましょうか」、フロント・クラークは「しばらくお待ちください」。「何 だ、これが世界のオークラか!」とガッカリしたものだった。しかし館内や客室の雰囲気は素晴らしく、スタッフの心遣いも嬉しく、滞在しているうちに気に入 り、あのもたつきも、スムーズに運ぶよりも人間くさくて、かえって好ましいのではないかと思えるようになる。旅行好きの岳父も、何かにつけ「オークラはよ かったですね」と口にしていた。

(3) 初ステイではハプニングが続いた。
 @まず、出発当日の朝、妻が職場で転び、肘を打撲し腕を吊って参加。痛みが引かないので医務室を訪れたところ、ずいぶんと親切にしてもらった。
 A次に、親戚を見送ったあとプールで泳ぎ、お茶しているうちに子どもが寝入ってしまった。背負って帰宅する元気も失せていたので、もう一泊することに。 フロントに出向き申告するとチェックアウト後だったので、前夜までのルームNoを聞かれる。画面で確認したあと、デポジット(保証金)を求められる。 「ムッ」。しかし、「プランの方がこれだけお得ですから」と電卓を叩いて勧めてくれたので機嫌を直す。後年「ここまで気を回せる人はそう多くはない」と、 事情通から聞く。
 Bきわめつけは、最寄り駅で列車を降りたとき。窓枠に乗車券を並べたまま降車。ホームで気がつく。発車ベルは鳴り終わっていたが車掌に向かって腕で「×」を合図し、ドア締めを遅らせ、とってくる。
 目の前を通り過ぎる車掌に、みんなで「礼」。
 ホームで友人に会う。妻を見て、「また怪我したの!」。そうそう、前年は直前に膝を骨折し、旅行そのものをキャンセルしたのでした。

(4) その後、サマープランを中心に年に一泊くらい利用する。旅行気分を味わえるという点で、交通費をかけて遠方へ出かけるよりも合理的だと思う。  ちょうど 誕生日に宿泊したこともあった。本館12階のスターライトラウンジで、誕生日だと申告すると、シャンパンのサービスに加えて、ワゴンを押してきて目の前で カクテルを作ってくれ。カクテルコンテストへの出場者を決める部内審査の直前だったため、試飲を頼まれる。“Seven's Heaven”という名のカルピスやオレンジを加えたカクテルは、甘くまろやかで何杯でも飲める感じであった。
 後日「社代表にはなれなかった」と知らせがあった。なお同ラウンジは現在、チャイニーズレストランとして営業している。その後、彼には会っていない。

(5) 本館5階にはテラス付の部屋がある。どうせなら、駐車場側ではなく、屋外プール側(ガーデンサイトと呼ぶらしい)の客室がよい夏はとくに目の保養になる。初期のステイで、このタイプの部屋をアサインされ(割当られ)たことがある。後に Marcy のサイトに「混んでいなければ、サマープランでも割り当ててもらえるのではないか。今度は交渉してみようと思っています」と書き込んだ。その直後のステイでは、5階ガーデンサイトがアサインされた。関係者はこの手のサイトをチェックしているのかも知れない。


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