オークラアクトシティホテル浜松

       ●浜松市板屋町111-2     ●053-459-0111

   
      <朝・北側から>        <夕・西側から>

2006年7月 Dx Single

 夏の静岡遠征、当初の計画では清水・藤枝・浜松であった。静岡拠点で手配していたところ、清水での仕事がキャンセルとなる。慣れ親しんだセンチュリー静岡を利用しないのは残念だが、利便性から浜松が妥当だろう。念のため、センチュリーハイアット東京のアシスタント・.マネージャーに意見を求めたところ、貴殿が納得できるのは、浜松ではオークラをおいてはないでしょうとの回答があり、ここに決める。
 インターネトで申し込むも、日曜夜が満杯らしく5連泊の予約は入らない。そこで月曜の格安プランだけを予約し、「ルームチェンジをしない5連泊希望」と注文をつけた。宿泊予約から希望事項確認のメールが届き、「キャンセル待ち」と返事をする。数日して、希望がかなったとの連絡が入り、めでたく予約成立。

■夏休みの日曜日、午後の「ひかり」。エキスプレス予約で乗車するも、満席。センチュリー静岡を横目にみて乗り続けるのは久しぶりだ。藤枝の某私立高校の横をとおり、しばらくして浜松。
 静岡県の経済の中心地で、人口も多いと聞いていたのだが、静岡駅を二回りくらい小さくした駅の造り。ホテルのあるアクトシティへの案内が途中で消えてしまう。「雨にも濡れずにゆける動く歩道」があるはずなのだ。駅舎を出て駅前ロータリーに至る前に広場があり、浴衣姿の若い女性、縁石に腰掛けた若い男性が目立つ。余所者とみられるのか、目つきが気になる。
 10年前と同じく地下に潜ってホテルをめざす。京劇の案内のあるホールをやり過ごして奥に進む。地下レストラン街の一隅にロビー階へのエレベーターを発見。前回はエスカレーターを利用したので、今回はエレベーターとする。ワンフロアー上がって降り、左へ曲がったらすぐ目の前にレセプション・カウンターがあった。ここではベルの力量を確かめることが出来なかった。

■チェックイン手続はスムーズに済み、荷物はベルマンに渡される。夕刻の時間帯、5基のエレベーターのうちの2基は展望ロビー用のため客室階には停止しない。混み合うも、和食堂階(31階)で下車があり、話も出来る雰囲気になる。以前から気になっていたことを尋ねる。
 「いたるところに楽器や音符がありますね。さすが、楽器の街だ」。
 「楽譜はショパンです」。
 こちらの問のひとつ先を答えてくれた。
 同情のカップルが「へぇ、そうなんだ!」と感嘆する。

         ★ エレベーターの扉            


■客室は南側。前回は北側だった。ベルマンとの会話。
 「駅前に浴衣姿が多かったけど、何か行事があるの?」
 「あちこちで、花火大会があります」。
 「この窓から見えるかな?」
 「花火は見えるか、わかりませんが、この眼下の通りの先の海岸が日本三大砂丘のひとつで、中田島砂丘です」と、浜松の名所を自慢。
 「三つというと、ここと鳥取と、もうひとつはどこなの?」と、単に興味本位で聞いてみた。
 「え〜とぉ、むずかしい読み方をする所なんですが、…。済みません、思い出せません」。ペコリ。

 ライティング・デスクには電気スタンドが置かれ、バスルームのアメニティグッズには男性化粧品も置いてある。東京で何度もリクエストしているので、その情報が共有されてのことだろう。センチュリーでは、東京と静岡でこうした情報交換はないようだ。しかし、スタンドは白熱灯に見えた。蛍光灯があれば、そちらに換えてほしいと希望する。と、
 「在庫を調べてまいります」と退出して行った。

 もどってくると、すぐに言った。
 「先ほどの三大砂丘ですが、もうひとつは千葉の九十九里浜でした。すぐに答えられず、申し訳ありませんでした」と。なんと九十九里とは。そんな説明を千葉では聞いたことがなかった。
 それから、蛍光灯の電気スタンドをセットしてくれた。パソコンを使う際に、これがないと画面が暗いのだ。



95年3月 ●開業記念プラン(ツイン朝食付き@9000円)

 95年3月20日といえば、地下鉄サリン事件の日である。奇しくもその同じ日、妻の父も薬石効なく、世を去った。葬儀などで子どもたち(小学5年生)を連れて岐阜との間を何回か往復した。そのとき、開業して間もないこのホテルに泊まってみた。

■長良川鉄道、高山本線、東海道本線と経由して名古屋に到着する。
 帰路は、美濃太田から「スーパービュー ひだ8号」を利用する。この日は、「春休みで自由席は満員のため、指定席車両のデッキに乗車してもよい」との場内放送があった。それに従い、ロザハザ合造車のデッキに乗車した。空席があれば、車掌の目こぼしで座って行けるかと期待したのだが、岐阜で降りる客もなく、約40分立ち続けた。優等列車で座れなかった初めての体験となった。
 浜松までは在来線利用の予定だったが、いつの頃からか、乗り物に酔いやすくなった次男 F は、名古屋で休憩を主張した。名古屋ターミナルホテル(現在の名称:「ホテルアソシア名古屋ターミナル)のコーヒーハウスの禁煙席で話すうち、「早く着きたいから新幹線」で行くことに決めた。子どもたちには、はじめての「こだま」の旅となった。また浜松での下車もはじめてであった。「ひかり」で何度も通過はしてきたが。

■浜松に着き、駅の北側に高いビルがあるのだが、通路が整備されていない感じで迷いながら地階に到着した。そこからフロントへ出るのも一苦労だった。

 ドアやガラスをはじめ、館内の至る所に楽器のイラストがふんだんに配されていて、みているだけで楽しくなる。さすが楽器の町である。コンサートホールも隣接している。

 子ども連れで、それぞれが小さくないバッグを持っているのだから、チェックインの客だと見分けることができるであろうに、ベルマンは歩み寄りが遅かった。
 チェックイン手続きはスムーズに済み、45階建ての44階、客室としては最上階の北側の部屋に案内された。周囲には高い建物がまったくないので、眺望はすこぶるよい。だが、人家もそれほど多くはないので、百万ドルの夜景とは行かない。

 電話機には、番号ボタンとは別に「フロント」「客室係」などのボタンも設置されていた。いまでは大型ホテルでは当たり前の設備だ。

 ダブルベッドで3人が寝るのでは両側から挟まれてつらかろうと、ツインを選択した。Fがわたしと寝て、長男Hがひとり寝となった。セミダブルサイズだったが、もう添い寝はつらいと感じた。後日Hが「あのときはぼくが我慢をして一人で寝たんだぞ。今度は君が一人で寝るんだぞ」とFに告げているのを聞いた。

 バスルームはやや狭いが、バスタブは広い。トイレはウォシュレット付き。
 タオルが二人分しかないのでもう一組をリクエストしてみたら、すぐに持ってきてくれた。バスバブルは用意してはいないとのことだった。
 このアメニティの件と、夕刊のリクエスト、そして部屋への案内は、同じベルマンが担当した。いわゆる客室係はいないのだろうか?

■夕食はホテル近くのPARCOに出かけるが、子どもたちの入りたい店が一致しなかった。長い話し合いの末、ホテル内の「鉄板焼 さざんか」と決まり、引き返した。だが、あいにく満席で、部屋で待機することとなる。電話を受けて出向くと、席がすべて埋まっているわけではなかった。
 定番のコース料理ではなく、肉とご飯と味噌汁だけを注文した。本店の「さざんか」を利用したことがあるので、Hは焼き方に「よろしくお願いします」とあいさつし、Fは並べられたタレについて講釈をはじめる。これで警戒したのか? はじめのころ、焼き方の態度は硬かった。終わりごろ、ようやくやわらいできた。料理に満足して、引き上げる。
 外出した際、マックシェイクを購入しておいたが、冷凍庫で固まってしまっていたので、スプーンをリクエストした。ルームサービス係が、ナプキンとお皿と大小のスプーンを持ってきてくれた。固まったシェイクを砕くには大げさだが、さすがの配慮である。

 朝食は「レストラン フィガロ」のバイキング。
 子どもたちの食がすすまず、トイレを訴えたりしたために、堪能することができなかったのが残念。

■チェックアウト手続きもスムーズだったが、待機中のベルマンは仲間と談笑中であいさつをしなかった。開業間近のための訓練不足ゆえであろう。改善方を楽しみに後日の訪問を期すが、いまだ実現してはいない。

■PARCOの地下食品売り場へ行き、「京樽」において鉄火巻やカッパ巻をアラカルトで購入、「こだま」車中で食す。0系車両の普通車指定席は席番でいうとABCDの4列に改造されており、肘掛けも幅広く、ゆったりとしていた。子どもたちは、食後は東京到着までゲームボーイに没頭していた。Fも好きなことをしているときには、乗り物酔いと無縁であった。(8年後の03.08.14記)