ウェスティンホテル大阪
 

大阪市北区大淀中1−1−20 ●06-6440-1111

94年4月 
開業記念プラン\19500(朝食)税サ込 ツインのシングルユース

 94年度といえば、子どもたちは小学5年生。長男Hは妻と妻の実家へ出かけたので、わたしと次男Fは、彼がかねてから行ってみたいと言っていた大阪へ出かけた。全国紙の第二社会面で、このホテルの開業記念プランが掲載されていたので、ここを選んだ。
 初日は、三年前に廃業したK学館に立ち寄って用務をすませ、女性職員にFを披露したあと、「ひかり」自由席で大阪に向かった。途中、日本橋のデパートで「ソース焼きそば」を仕入れたのだが、Fはわずかにシナモンの香りがすることを理由に、箸を付けなかった。車販からサンドウィッチを購入したが、マヨネーズは嫌いだと手をつけなかった。新阪急ホテルにチェックインしたあと、スマップ主演の映画『シュート』をみることに決めていたが、梅田近辺では上映していなかった。地理不案内のミナミで上映館を探すよりは神戸にで向いた方が早いと、新快速に乗車した。
 地震のために損壊し、取り壊された映画館で干渉した。昼から水しか摂っておらず、機嫌もよくなかったFが、あるシーンでは大きな笑い声をあげた。そのあと、これまた取り壊されたデパートで食事をしたあと、新阪急に戻った。
 その晩は、室温調節がうまく行かず、夜半には窓を開けてもらった。窓から見えるウェステインを指して、「明日の夜はあの新しいホテルだから、快適に眠れるよ」となだめた。

■翌朝は目と鼻の先のウェスティンまで、タクシーに乗った。運転手に「大阪ではいろいろなホテルが開業しているが、評判のよいのはどこか」と尋ねた。「阪急インターナショナルがいいですよ」と応じたが、阪急タクシーであってみれば、当然の答えであったろう。
 出迎えた若いベルマンはかなり熱心で、職務に忠実であったが、無我夢中という感じで、知っていることは何でも伝えたいと意気込んでいて、先輩ベルマンが苦笑するシーンもあった。10:00前であったが、部屋へ通せるかをフロントに尋ねることもなく(当方もそれを求めることもなく)、ランドリーの手続きをし、荷物を預け、シャトルバスでJR大阪へ戻った。

■環状線に乗り弁天町。交通科学館を見学。昼食はナシ20という食堂車ではなく、駅弁を食べたはずだ。JR西日本吹奏楽部の生演奏もあった。
 つぎは大阪城。大阪城公園で下車したあと、天守閣まで強い風の中、露天商とバンドの喧噪の中をとにかく歩いた。近代設備の整った大阪城にFは興をそそられ、千葉の祖母に電話をした。
 「おばあちゃん、大阪城ってスゴイよ。エレベーターもあるし、公衆電話もあるし、水洗トイレや望遠鏡もあるんだよ。昔の人って、スゴイね」と、屈託のない笑顔で冗談交じりの報告をした。

■シャトルバスから一番に下車し、ロビーアテンダントにチェックインだと告げると、直ちにフロントに案内してくれた。それはそれでありがたかったが、あとに続く客の案内は誰がするのだろうかと気になった。
 ロビーは椅子の数が少ない。満席で、大きな声で話しており、「これが大阪か!」という印象。

 レジスターカードに住所・氏名を書いたのは久しぶりだ。フロントクラークには落ち着きがあった。ベルマンは、朝とは別人だったがこれまたゆとりがなく、部屋にはいるまで無駄な言葉を発しなかった。エレベーター内の、廊下を歩きながらの一言が客をリラックスさせる大きな効果があるのだが、そのことに気が付くのにどれくらいかかるのだろうか。
 案内された部屋は、12階西側。あさ預けたバッグは、クローゼットに収められていた。ベルマンは部屋の設備などを丁寧に説明してくれた。ダブルで予約したが、ツインだった。外資系の新しいホテルは初めての体験だったので、部屋の広さに驚く。40uくらいあっただろう。
 バスルームももちろん広く、シャワーブースもウォシュレットもあったが、バスローブはなかった。バスバブルもあり、アメニティは充実。ハード面ではオークラも負ける。
 ミニバーには梅茶があった。関西のホテルではよく見かける一品だ。
 ターンダウン・サービスもあり、見ている前でテキパキと作業をした。制服から見て、外部委託を受けた係員のようだった。

■室温調整もうまくゆく。風量調整の「弱・中・強」だけでなく、温度設定ができるのが当時としては新鮮だった。
 Fは勝手にベッドに潜り込み、先に寝入ってしまったので、わたしは別のベッドでゆっくり休むことができた。

■夕食は「コーヒーショップ アマデウス」。「マナーがよくないので」と告げると、目立たない最も端の席に案内された。それはそれでくつろげたのだが、スタッフの目からも漏れてしまうらしく、料理の注文をなかなか取りに来てくれなかった。たしか、わたしがハヤシライスで、Fはカレーライスだったと思う。あのころはカレーライスを食べたのだが、いまは食べない。
 朝食もアマデウス。今度は真ん中の料理台に近い席だったが、わたしはアメリカン・ブレックファスト。Fは大好きなメロンとピラフを注文。途中でトイレに行き、「ピラフには高菜が入っているから食べられない」と残す。食べ物には終始苦労させられた。なお中座中には、料理に保温措置を施してくれていた。

■新梅田の高層ビルを探索し、人工庭園で遊んだあと、チェックアウト。ビルを確認したあとカードを渡す。領収書を折りたたんで封筒に入れ、手渡してくれた。
 シャトルバスまで、ベルマンが荷物を運んでくれたかどうかは、覚えていない。大阪駅から新大阪へ。ひかり自由席で帰郷。
 この日、Fが昼食に何を食べたかも覚えていない。たぶん、京樽のカッパ巻や梅紫蘇巻だったと思う。

■外資系ホテル初体験で、わたしの当時の採点基準で「87点」と記されている。ハード面とフロント、レストランスタッフの落ち着き、ベルメンへの期待を込めた数字であった。現在は経営母体の業績不振から会社更生法の適用を受けて再建中である。
 祈る、再建!! (思い出して03.08.15記)