渡 辺 位 講 演 会

● 主 催   けやきの会

● 後 援   NPO法人 市原市こどもセンター
         市原市教育委員会

● 講 師   渡 辺 位 さん (児童精神科医、元国立国府台病院医長)

● 日 時   2003年3月23日(日) 14:00〜16:00

● 会 場   市原市五井公民館会議室

● 参加者   県内各地から 60名

◆ リポート  講演内容

         質疑応答

         参加者感想

         

講 演 内 容

不 登 校 ]
 不登校とは、心理的社会的要因で学校に行けないこと。
 生き物としての防衛反応であり、腐ったものを食べたときの発熱や下痢と同じ。
軍の精神病院であった国府台病院にたくさんカルテが残されている戦争神経症も、人間の防衛反応であり、不登校と同じと考えられる。
 社会の態勢に従わないという点では、晩婚・非婚も同じだろう。
 大人は、大人の考え方、社会の仕組みにあわせようと子どもをしつける。不登校はそれになじめない行動である。

 子どもの問題は大人の問題である。
 子どもは大人社会の見方で自分の現状をみてしまうから、不登校を否定すべきものとみてしまう。
 子どもは、物心付いたときから保育園や幼稚園などの集団に入れられていた。集団になじめないと、子ども自身がなじめないことを異変だと思うのだが、それを洗い流す見方が、この社会にはない。子どもの不安を助長させる大人の考え・対応しかない。

教員、気に入らない子どもへの暴力 アメリカのイラク攻撃と同じ
大人社会の基準が子ども社会には別だという二重基準のおかしさ


引きこもり
 社会に対して自分の存在をはばかるがゆえに社会と距離を置くこと。
 社会参加している大人にもいるのではないか?


医  療
 人は誰しも自分自身でありたいと願っている。
 しかし、社会の仕組みにあわない自分との葛藤が、「神経症状」「強迫」「乖離性同一障害」などの症状となって現れる。

 統合失調症(分裂病)は鬱病との混同されることが多い。統合失調症の原因は不明だが、脳の物質代謝の変調、神経伝達物質分泌の異常だと考えられている。生物学的検査では決められない


精神医療の現状
 脳も臓器の一部だから、故障はあり得る。だから、中枢神経系を対象とする医療は存在しうる。

 ガン患者への精神的ケアは進んでいるが、脳の場合は難しい面がある。人であることと臓器の異常とを分けて考えにくいから。

 医師は、病名を付けるとその病気にのみとらわれてしまい、病名をつけられたその「人」の存在を忘れてしまいがちである。その上に、3分診療や薬漬けが生じている。

 不登校している人間がいることを忘れている。
 現象はイコール人間であるのに、現象や症状への投薬で終わってしまい、人間をみていない。罪を憎んで人を憎まずという言葉のように、症状を発している人間をシッカリとみるべきだ。

 登校しないのは病気? 結婚しないのは病気?
 これらの現象を考察する社会的心理的アプローチがあって良い。
 社会の枠組みが正しくて、それから外れると「人でなし」と、医者も考える傾向にある。
 具合が悪いからそれを改善するために薬を処方しているのに、患者に真摯に働くよう諭す医者がいる。そのおかしさに気づいていない。

 医学界には『診断と統計のためのマニュアル』が出回っている。症状や検査結果が何個適合したら○○症と、機械的に判断するしくみになっている。利用しても良いところだが、利用には二の足を踏むところだ。

 従来の枠組にとらわれすぎる社会こそ問題だ。
 不登校は、ひと、命の見方に帰結する問題だ。


 猫とともにある。猫と人と区別する必要がない関係、命と命との関係をつくることができる。あることにとらわれると現実が見えなくなる。

 固定観念による決めつけ
 診断に対応する治療のみ



 命の営み。それぞれが違っていい。違っている存在同士が共存するのが社会である。

 常識や枠組みにとらわれない。
 一つひとつの命がある中での社会。 祖国愛は目的ではなく結果。
 一人ひとりを認め合う。

 富国強兵政策をとっていた戦前日本では、国家の目的にかなう・枠組みにそう教育が行われていた。

 ものはそれ自体として存在し得ない。相互的関係の中で存在する。ペットボトルは常温常圧の中で存在する。
 兵士のカルテをみると、兵士の医師を見る目が、否定的なニュアンスを込めていろいろと記されている。だが医師の態度で兵士の態度がきまるのだ。自らを戒めなければならない。る
 相互関係から兵器を持つなりの理由があるはずだ。

 不登校をする本人に、みなと違う特別な存在と思いこませている。
 トラの居場所は動物園ではない。
 地球は命と命が共存する世界。
 不登校→可哀想→何とかしたいと考えてしまう。可哀想と思わせる。

 参加者は新たな認識を得たら、他の人にも広める。自らもあらためる。

 教員、医師は、自分たちこそ良いことをしている。相手を何とかしてやろうと思い上がっている。そのことを忘れるな!

 医師は医師でない人間になって、我が身を振り返ることが大切。
 精神科の患者は、外界に対する認識にゆがみができ、そのために不安が起こっている。
 人間的信頼関係がない中で患者は薬を飲まない。自分が相手にどういう態度をとっている人間か?を考えなければならない。謙虚になることが必要だ。
 教師も親も、同様である。


            固定観念による決めつけ



質疑応答


質問者A
:わたしが所属するNPO法人では、不登校児の学校復帰をはかるためのひとつの方法として、パソコン教室を開設する。不登校児との経験や知識もないのだが、何かアドバイスをいただきたい。



発言者B:数年前、東京シューレが主催した「ログハウスでの集い」に参加した。そこで、渡辺先生から「学校へは体調がもどって、行けるようになってから行けばいいんだよ」と言っていただいて、娘ともども目からウロコが落ちる思いだった。そのおかげで、娘は高校四年生ですが、来春には卒業できる見込みである。いま苦しんでおられる方にも、我が家の例から、暗く長いトンネルの先に明るい世界が待っていると、申し上げたい。ありがとうございました。

参加者の感想

* アンケートに書かれた内容をわたしなりに解釈し、表現を変えた箇所があります。
◆テーマが大きすぎる感じで、講演される方も難しかったと思った。もう少し具体的な身近なテーマでお話を聞きたかった。質疑応答の時間は良かった。

◆あまり参考にならなかった。尊重はとっくにしている。

◆渡辺さんの講演を二度ほど聴きました。医者としての反省をふまえて話されることを聴いて、最近考えることがあります。やはり親自身も自分の子ども時代から体験した解決(消化)できない問題がいっぱいあったことに気づかされました。その糸口になったのは子どもの不登校だし、辛かったときもあるけど、いろんなことを考え、体験でき、前を向いて歩けそうです。渡辺さんをお呼びくださり、ありがとうございます。あちこちでの場所案内、ありがとうございました。JRの駅、公民館の近くに立っていてくださるともっと良かったと思います。

◆命の大切さ・・・・尊さ・・・・。頭で少しわかっても・・・・。自分が努力して明るい心にならなくてはと、あらためて思わされました。ありがとうございます。
◆渡辺先生が書かれた本を読んで感動し、新聞で講演会を知りました。今日の話を聞き、親として感じている不安や動揺をもっと大きなもので包み込んでいただけたような気がします。

◆本日はありがとうございます。共感できるところがあり、自分自身を振り返る時間となりました。親として、教師として、強要する部分が強く思い返されました。「 との関わり」「自分は変えられても相手を変えることはできない」と再認識しました。

◆自分自身のことを振り返ることができ、とても良かった。「相互関係の中で人が存在する」という言葉をなるほど、と思いました。

◆「人間として皆がそれぞれ違いを認めながら、共に在る」ということに感動しました。子どもを変えるのではなく、親として人として、自分が自らも根源的な命を考え、肯定的に相互的に生きて行きたいと思いました。

◆子どもが不登校になったばかりのころ、子どもが学校に行きさえすればすべてうまくいく、自分の体面が保たれる。中身なんて全然ないのに、まわりだけ取り繕おうとしていました。いかに自分が世間の常識や枠組みにとらわれていたか、子どもの心というものを無視してきたか・・・。今日は、とても元気づけられました。

◆私も固定観念にとらわれている人間の一人だと痛感しました。子どもが社会と関わりを持たない、いえ、持てなくなってから、私自身どうしてこうなってしまったのかと毎日悩んできました。今日の先生のお話をうかがって、社会のゆがんだ見方に流されている私が、小さなものに思えます。少しでも自分を変えていくことからはじめていこうと考えています。自分を好きになることから。ありがとうございました。

◆とても良いお話でしたが、哲学的で少し難しかったです。子どもと向き合う前に自分と向き合う方が先なのかな、という感想です。現実、切実な状態と日々向き合う中、親子とももがき苦しんでいる多くの人たちの希望が、遠くに見えた気もします。抜け出すきっかけは「コレ」なんて事柄はないのはわかっていますが。苦しみから逃れる近道はないといったところでしょうか。今、我が子は登校していますが、不適応といいますか、もしかするとやがて行く道かもしれません。子どもを受け入れ、認め、ゆっくり歩いていきたいと思います。

◆生命があって、社会、決まりがある。問題に直面したとき、相手を批判する前に、一人の人間として自分はどうなのか? とまず考えると、素直に考えることができる。質疑の際、「NPO」の方が、不登校に対する経験も知識もないのに事業をはじめると言われ、それに対して渡辺先生は、無理解な人がそのようなことをされることを「半分怒っている」と言われました。その言葉の中に、人として本当に大切なことが含まれているようで・・・、それを私なりに少しつかみ取れました。

◆・・・「NPO」の方の質問は反面教師として聞きました。しかも渡辺さんからの一言が、きちんと参加者に投げかけられたので、効果的だったと思いました。最後の質問は白熱して、しかもとても本質的で、みずからを振り返る良い機会になりました。親の会、講演会とかでもなかなか表に出ない真剣勝負で、質問者にも、その子どもさんにも、お礼を言いたいと思います。真剣な命の発露として。

◆最後に質問された内容、胸にグサッときました。渡辺先生の言葉に、一生懸命やってこられた、心を砕いてこられたご家族の気持ちは傷つかれたことでしょう。思って心を砕いても、仕様のないことは先に延ばすということは、他の多くの故人から私も学んできたことと似ています。この傷を大きなストレスとして、生きるエネルギーに変えていただければと、心より思います。

◆大変共感できるお話でした。一つひとつうなずけることで、引き込まれました。また、日頃の活動の再認識でもあり、良かったです。計画してくださったスタッフの方々、ありがとうございます。親の会が主催してくださったことがうれしいです。たくさんのお方が参加してくださっているのをみて、「良かった」と思いました。ありがとうございました。参加して良かったです。