2009年8月21日(金)
Berlin
 ドイツ滞在の四日目。疲れているはずで、自宅だったら10時間以上眠るだろう。それなのに、06:00には目が覚めてしまう。
 自宅にメールを打ち、その後の経過を質す。弁護士と連絡が付き、「イザとなったら、職場に乗り込む」と言ってくれたそうで、妻も安心したようだ。長男が職場で上司に事情を訴え、どのような反応があるのか、それはまだ不明だ。

 きょうは一日、ベルリン観光だ。07:30ころ、朝食中に30分程度の雷雨があった。少しはしのぎやすくなるだろう。
荷造りに手間取り、09:00の予定を大きく過ぎて、チェックアウト。今夜の宿は、ポツダム広場近くの・このツアー唯一の五つ星ホテルだ。一刻も早く行きたいところだが、旧西ベルリンの玄関口をしっかり観察する。

Zoologischer Garten 駅(通称Zoo駅)
 エクセルシール・ホテルのあるこの駅の裏側はさびれた感じを受けたが、表側は賑やかだ。人通りが多いし、市内循環バスの100&200系統は、ここが始発。DB(ドイツ鉄道)の長距離列車はかつての玄関駅に敬意を払わず、通過してしまうが、市内交通の要衝である。
 <写真左>手前の看板の横でデイパックを背負い、キャリーバッグを脚の前に置き、撮影に余念がないのはD氏。
左下隅の女性は、ドイツで見かけた平均的女性。おととい、アドロン・ケンピンスキー近くでわたしのガイドブックをのぞき込んだのも、こんな体型の女性だった。<写真右>バスの発着場。           
 

カイザー・ヴィルヘルム記念教会
 第二次世界大戦の際の爆撃で破壊されたままの姿をとどめている。<左>は駅から見た様子。<右>は反対側から見た様子。


Kurfuerstendamm (通称:クーダム)
旧西ベルリンの繁華街。Uの文字が見える。これは地下鉄の入り口だ。
<写真右>はZoo駅ホームにある改札機。ホームに入場するのは誰でも可能だ。日本のような改札のラッチはない。乗客は乗車券にホーム上の装置で日付を記帳する。



ベルリン・ハウプトゥ・バーンホフ
 二日ぶりにやって来ました。地上のこのホームでは、たくさんの乗客が待っています。I CEでも来るのだろう。車両はでかい。明日、また来ますよ。


 8月に開通したばかりの地下鉄。電気は第三軌条から採る。DB列車と比べたら、それは小さい。
 キャリーバッグを車内において、外回りを撮影していたら、係員が周章てていた。不審物に見られたのだろう。


 ドアは、開閉ボタンを押すと開閉する。「よし、押すぞ」と構えていたが、後ろから手が出てきて、押されてしまった。せっかちな奴がいるもんだ。


 ハウプトゥ・バーンホフを発車して、連邦議会議事堂、そして終点ブランデンブルク門。壁崩壊から20年だからか、壁に関わる写真が広告スペースに貼ってあった。
 乗り換えのために、ホームを回り込むと、ウンター・デン・リンデン駅。ここから、ポツダム広場まで乗車。


 リッツ・カールトン、DB本社前を通って、グランドハイアット・ベルリンへ。


 ホテルでは、チェックイン・タイムには早かったが、部屋にはいれた。早速ランドリーを依頼した。エキスプレスでなら、今夕までにできあがる。今朝までいたエクセルシオールとは違う。
 最終的には、壁の残る地域へ行く。そのルートはD氏の裁量。わたしは付き従う。ホテルのすぐ側に、ベルリン・フィルのコンサート・ホールがある。ホール前の通りの分離帯には雑草が…。日本ではあり得ない光景だ。顔をあげれば、ハイアットだ。



壁のある風景
 昼食もとらずに、傘を差して歩き続け、チェックポイント・チャーリー手前の壁に到着。「うわぁ、壁だ、壁だぁ」と歓声?を上げたら、通信博物館玄関で雨宿りをしている人たちのうちの日本人の視線が刺さってきた。壁の右側を「脱走阻止設備」を備えた姿に復元しようとしているらしい。


 この壁跡の右側では、ゲシュタポの活動記録を屋外に展示していた。

チェックポイント・チャーリー
 1961年8月13日、東ドイツは東ベルリンと西ベルリンとの境界線上に壁を築きはじめた。はじめは鉄条網を張っただけだったが、徐々にコンクリート製の壁に置き換えられていった。壁は両市間の境界線上だけではなく、西ベルリンを包囲する形で形成された。
 壁ができても、東西間の往来は7カ所の検問所で可能だった。絵はがき中の4がチェックポイント・チャーリー。ここは軍人専用の検問所だった。







ベルリンの壁博物館
 館内撮影禁止に気づかずに撮影。<左>東から西へ脱走する際、車のボンネット内部に隠れた者もいた。気球を使った者、トンネルを掘った者もいた。<右>ベルリン危機(1948)の際、西ドイツから西ベルリンへ物資を運び、パラシュートでも投下した米軍機。
 冷房設備のない館内は、湿度が高くて閉口した。映写室で椅子に座ったとたん、D氏と二人で、大きく船を漕いだ。売店で、コンクリート片や写真集、絵はがきを購入。Tシャツを購入する気にはなれない。カードで支払おうとしたら、「現金のみ」と断られる。


 <写真>は出口の外に残る壁の跡。


 スタバで、遅い昼食。パサパサのサンドウィッチを、バッサーで流し込んだ。


市内循環バスの車窓から
 <写真左>ヴィルヘルム通りはイギリス大使館前で通行止めとなる。バスは右折して、左折して、ウンター・デン・リンデンに出て、アレキサンダー・プラッツへ向かう。<写真右>は東ドイツが作ったテレビ塔。


 博物館島にある旧博物館                   フンボルト大学


 連邦議事堂前の共和国広場               動物園正門


 ベルリン・ヒロシマ通り(Y.NAGATA撮影)



 きょうも、よく歩いた。さあ、夕食だ。しかしポツダム広場、ソニーセンターでは入りたい店もなく、雨模様なので、ホテルに引き揚げる。(09.10.05記)

 ホテルについては、こちら