2009年8月27日(木)
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● きょうの予定は、ハイデルベルグからカールスルーエを往復する。
クラウンプラザのレストランで、ゆったりと朝食を摂る。約2600円、料理の内容からすれば妥当かなと思うが、スタッフの愛想が悪い=客にあいさつをしない。明るい内装、ほどほどの客、それなのに活気がない。Guten
Morgen の言葉が飛び交わない。客同士があいさつする雰囲気でもない。スタッフ同士は会話をしているのだが…。
当初は、きょうが市内観光で、あすがカールスルーエの予定だったのだが、明日トランクを転がしてカールスルーヘへ行くことのデメリットを考慮して、予定を入れ替えたのだった。
■ レンタカーの返却
朝食後の予定は、A氏がミュンヘンから運転してきたレンタカーを返却することだ。ガソリンを満タンにして、ホテル内のハーツ営業所に返す。ガソリンスタンドを案内してもらうために、C氏には10:00にホテルに来てもらうことになっている。
朝食後、A氏が営業所をのぞいていると、男が現れ、話しかけてきた。
「車を借りるのか。」
「いな、きょう、ここに返却する予定なのだ。」
「この営業所は、きょうから貼り紙の場所に移転するので、もう営業していないのだ。」
「それなら、わたしはどうすればよいのか。」
「ガソリンはどうなっている。」
「昨日満タンにしたあと、10qくらい走ったが…。」
「それなら、大して消費してはいないだろう。ガソリンは追加しなくてよい。車は、わたしが新営業所へ運んでおこう。」
このタイミングで営業所スタッフと出会わなければ、どうなっていたのだろう。危ないところだった。
しかしミュンヘン営業所では、ハイデルベルグ営業所の移転をつかんでいなかったのだろうか。客に、きめ細かい情報提供ができていないのだが、日本でなら、どうだったろう。太鼓判は押せないと思う。
C氏は予定通りに来てくれたが、仕事はなくなっていた。
■ ハイデルベルグの交通
昼近くになってホテルを出発。
ビスマルク広場まで歩く。自動券売機で乗車券を購入する。B氏によれば、ハイデルベルグ市内からカールスルーエ(市内乗り降り自由)を往復する乗車券も購入できるはずだというが、思うように操作できない。とりあえず、ハウプトゥ・バーンホフまでの片道券を買う。色とりどりのトラムがやって来る。だが、乗車したのは連接バスだった。
ハウプトゥ・バーンホフ前にあるオブジェ。
■ ハウプトゥ・バーンホフ
ガラス張りの近代的な作り。駅前にはおびただしい数の自転車。ドイツ人は自転車が好きだ。そのまま列車に積み込むこともできる。ICEにもサイクリスト専用車両がある。
「出札窓口は大変混み合い、係員の対応もノンビリしているので、乗車券は前日までに買っておいた方が良い。当日並べば、予定の列車に乗り遅れること必定だ」と経験者に言われてきた。
日本の銀行窓口と同じく、番号札をとって待っていると、5分と待たずに順番が来た。滞在者のC氏が出札窓口に進み、Bahn
Card を提示して購入。ハイデルベルグとカールスルーエを往復し、両市内乗り降り自由の乗車券(5人まで有効)が30ユーロで入手できた。30ユーロは両市間を一人で往復する運賃だ。
B氏はこの乗車券を、自動券売機で呼び出せたらしい。何ごとも慣れだと思う。
コンコース
発時刻案内板 当該ホームの列車表示板
カールスルーエ行き S6325。これは最後部。
B氏はEC390 フランクフルト行きに乗車、乗り継いできょうの目的地・ボーフムに向かう。小野伸二はこの街のクラブに所属している。
■ nach Kalsruhe
バーゼルからフランクフルトに至る大動脈の途中にカールスルーエは位置する。ハイデルベルグはその支線上にあるので、Sバーンが運行されている。
S6325 予定時刻にカールスルーエへ着いた。
ハウプトゥ・バーンホフの正面
当然ありますよ、トラム。
案内所は駅前にあった。必死の英語を口にする。
Citymap, please. I want to go to the Bundes Verfassungs Gericht.
マルクト広場までトラムの○系統で行き、そこから歩いて、ここがGericht
ですよ、と教えてくれた。
目的地への行き方がわかったので、空かした腹を満たす。もう14:00だ。
駅構内のイタリアン・レストランで、メニューを見てスパゲッティを注文。しばらくして料理が来たと思いきや、さっきのメニューは先週の分で、今週のメニューにはスパゲッティはないから、別のものを選んでくれと言う。
仕方がないので、パスタを頼んだが、これが辛いばかりでちっともうまくなかった。その間、係はメニューを今週のものに取り替えていた。もう木曜日だというのに、4日間も気がつかなかったんだね。というか、注文する人がいなかったんだね。不人気な料理なんだ。マズイからなんだな、きっと。
他人の料理がうらやましかった。
■ Bundes Verfassungs Gericht (連邦憲法裁判所)
マルクト広場で下車、道標にしたがって歩くと、カールスルーエ城が見える。この一帯には、大学や官公署が集中している。
お目当ての憲法裁判所。
建物の周囲には警察官がいる。近づこうとすると寄ってきて、「何の用だ」と聞く。裁判所を見学したいというと、「旅行者の見学はできない」という。まあ、あっちへ行ってごらんという感じで、玄関を指した。玄関に行くとスタッフが待っていて、「フリの見学はできない」と言い、英語のパンフレットをくれた。
日本の最高裁の建物は異様で、権威の権化という感じだが、こちらはまったく違う。三棟の真ん中に国旗がはためいている。左の建物の1階部分にはたくさんの写真が展示されている。歴代裁判官ではないかと想像する。
たくさんの写真が見える。この部屋だけでも入れてくれればいいのにね。
左端の建物、これは法廷だろうか。
結局、見学はできなかったのだが、日本から問い合わせてみるとか、当地にいるC氏に手続を頼むとか、知恵が回らなかったのは残念だ。とりわけ、著名な研究所に組属するC氏のルートは効果があったと思われる。それにC氏の同室者はアメリカからやって来ているという。アメリカの違憲審査制とドイツのそれとの比較研究をやっているに違いない。あわよくば、その研究者の話も聞けたであろうに…。返すがえすも残念である。先立つものは言葉であるが…。通訳してくれるつもりで行程を変更してまで同行してくれたA氏には、本当に申し訳なく思う。
せっかく来たのだから、いまは博物館になっているカールスルーエ城を見学。16:00で閉まってしまう塔に登る。
前庭
<写真左>前庭から眼を左に転じると、サッカー場が見えた。この街のクラブは「カールスルーエ・スポーツクラブ」。そのホーム・グラウンド「ヴィルトパルク・シュタディオン」に違いない。今シーズンはブンデス・リーガ2部に所属。かつては「空飛ぶゴリラ」こと、オリバー・カーンが在籍し、日本人では永井雄一郎が在籍した。WC2006では、ここでも試合が行われたはず。<写真右>連邦憲法裁判所
同行のC氏とA氏
城の背後には広大な森が広がる。市民は芝生部分で、思い思いに時を過ごす。
ハウプトゥ・バーンホフへもどり、ハウプトゥ・バーンホフをめざす。
■ nach Heidelberg
すでに入線していた列車は、各ボックスに一人がいる状態。内気なわれわれ三人は、そこに入り込むことができず、先頭の自転車用車両に乗り込む。西日が差し込み、冷房が効かず、疲れているのに眠れなかった。
自転車が乗り込み、車椅子も乗ってきた。車椅子氏は隣のわれわれには声をかけず、対面の自転車氏に対し、下車の際のホームとの段差を通り抜けるサポートを依頼していた。話しているときには、内容はわからない。下車の様子から、あとになってわかったのだ。
幹線からは外れていても、じつにさまざまな列車が発着する。
■ in Heidelberg
復路はトラムでビスマルク広場へ。新旧さまざまな車両が使われている。
ホテル・クラウンプラザに立ち寄って、今夜も旧市街へ。
今夜もドイツ料理が食べたいというA氏の要望で、昨晩と同じレストランをめざす。
アレッ、マネキンの顔って、日本と同じだ。日本で作っているのかな?
20:00の旧市街メインストリート。若いスリムな女性もいました。
著名なツム・リッター・ホテル。日本からのツアーは必ず立ち寄るそうだ。レストランも
あるが、周囲の店より割高らしい。冷房設備がないので、往生する人が多いらしい。
マルクト広場の中心・聖霊教会。
パラソルは、レストランのテラス席。
■ Hacker-pschorr
ミュンヘンで15世紀から営業してきたお店の支店なのだろう。
きょうは陶器製のジョッキーで供されるビールを頼む。ところがウェイトレスが聞き間違えたのか、透明ジョッキーで運ばれてきた。注文と違うと告げると、イヤな顔をせずに、直ちに引き取った。その素直な態度に免じて、今夜はデザートも食べた。
メインの料理は、量が多く、食べきれず。
22:30を過ぎて、ホテルへ帰る。テラス席は店終いされ、店もほとんどが閉店している。もちろん、人通りはぐっと減っている。(09.11.02記)