ロマンティック街道の旅
ネルトリンゲン Noerdlingen



2009年8月24日(月)

 ABD三氏とわたしは、レンタカーでアウクスブルグを出発するはずだったが、街を出て、国道に入るまでが一苦労だった。同じ地点を何度も通り、やっと国道に入ることができた。妻の車の後部座席が定位置のわたしにとって、助手席で地図をもたされても、それでもって指示を出すことなどできない。
 後部からB氏が、結構的確な意見を言い、Aドライバーも、それをもとに判断している。わたしの出る幕はない。

 あとは道に迷うことなく、ネルトリンゲンに到着。観光案内所をめざす。B氏と合流してからというもの、街に着くとまずは案内所を訪ねるというパターンになっている。彼女は街の紋章を集め、A氏とともに城壁の街から国道への入り方を入念に聞いている。

 わたしは、その間に暑さ対策としての帽子Cap と絵葉書を購入。「旅先からの絵葉書は、幸せを運ぶ」という言い伝えがあると、A氏がしきりに言うからだ。言葉は通じた。
 帽子は4ユーロ、安い!!made in china だった。
 ネルトディンゲンの街の紋章の付いた帽子をかぶる奴なんて、日本にはいないだろうなぁと考え、いっときは得意になったのだが、街中で「ロマンティック街道」という日本語表記を見つけたときに、日本人がたくさん来るんだなぁ。じゃあ、この帽子も日本では出回っているんだろうなぁと予想した。だったら、この帽子を都会でかぶるのはやめよう、自宅周辺でだけ、かぶろうと決めた。

 15世紀に隕石が落ちてきて、その跡にできたと言われる街。上空から見ると、城壁に囲まれていることがよくわかる。
 この街では、写真を一枚も撮っていない。

 D氏とはここでお別れ。
 わたしたちはディンケルスビュールまで行くが、その街は鉄道から離れている。彼は、明朝ミュンヘンを立ち、イタリアへ向かう。そこで奥さんと合流し、帰国する。だから、きょうはミュンヘンに戻る必要がある。ここらで引き返すのが無難なのだ。
 7日間、一緒に過ごした。「今度は道を自分で調べてください」とは言わず、いつも案内してくれた。ガイドブックのていねいな扱いのさまは in Berlin で書いたが、この二日くらいは書店のポリ袋には入れずにバックに収めていた。それはともかく、ほんとうにお世話になりました。
 いろいろと言葉を並べると、不覚をとりそうなので、あっさりと別れたが、それでも言葉に詰まった。

 後ろ髪を引かれる思いで、車に戻り、つぎの街をめざした。ドイツの旅、後半のはじまりだ。
 D氏はしばらく街を散策したあと、15分ほど歩いてDBの駅へ行ったはず。「気動車が来ると予想して
いたが、最新の電車4両編成が来て、驚いた」と、夜、メールが来た。

 この街からは、順調に抜け出し、国道に出られたはず。(09.10.22記)