第2日 2009年8月19日(水)
■ さあ、いよいよDB乗車だ
現地時間の04:00に目が覚めた。荷物を整理し、シャワーを使う。
07:00に Flavors(風味の意) でD氏と朝食。ゆっくり、たくさん食べられた。
09:00前にチェックアウト。昨晩様子を見た長距離ホームではなく、玄関を出てすぐのS-bahnホームへ。地下に降りる。空港駅(Flughafen Regionalbahnhof)の長距離列車はFrankfurt am Main Hauptbahnhof (フランクフルト中央駅)には寄らずに目的地に向かってしまうのだという。
始発列車だったので、編成を見て回る。最後尾の車両の車端にある1等座席に乗り込む。4ボックスのうちの二つに先客がいる。われわれがもう一つを占める。ジャーマン・レイル・パス(GRパス)の日付は昨晩書き込んでおいた。
発車してほどなく地上に出ると、線路の両脇は樹木でおおわれている。D氏の著作に出てくる「森の中を走る」シーンだ。日本の防風林と比べると樹林帯の幅が厚い。フランクフルトという大都市近郊のはずだが、市街地という感じではない。列車は右側の線路を走っている。途中駅で一人乗り込んできたが、1等座席が混んでいるからだろう2等へ移っていった。二つ目で中央駅に到着。
■ Frankfurt am Main Hauptbahnhof
ICE692 までの時間を利用して、駅構内や周辺を探索する。
駅正面の看板は Haupt Bahnhof 、地名はない。駅前広場は、日本と規模が違って広いと聞いていたが、路線バスとトラムが走り回り、わたしには雑然としていると感じられた。
路盤は石畳。キャリーバッグは安定しない。撮影の間はD氏の荷物番をしようと考えていたが、無用のようだ。バッグを器用に操作し、つねに脚の前に置いている。そしてNikonの一眼レフで、撮影に余念がない。
地上ホームは全体を一望でき、わかりやすい。端のホームにDBとは異なる塗色の列車を見つける。別会社の列車が乗り入れているそうだ。
掲示板は「発車時刻」順に表示される。
ホームには、ドイツ各地、いなヨーロッパ各地からの列車が到着する。列車止めはあるがATSの地上装置は見あたらない。
駅名標には地名が入っている。「ハウプトゥ・バーンホフ」はとても発音しやすい。ハウプトゥで口中に閉じ込め気味の空気を、バーンと開放して、ホフと口をすぼめる。この感覚が気に入った。
駅舎のドームの支柱。単なる装飾か、それとも巧妙な仕掛けか。
■ I CE692
発車番線は、電光掲示板か黄色の紙掲示で確認する。その番線に行く。だが、1等車はどの辺りに停まりますという停車位置のアナウンスはない。ホームの足下に乗車口の表示もない。あるのはホームの掲示板の「このゾーンに停まる」という案内のみ。それで停車する「ゾーン」を確認し、その付近で待機する。
わたしたちの乗る Intercity Express 692 が姿を現した。
この列車はミュンヘンを06:28に出発し、Augsburg → Ulm → Stuttgart → Mannheim を経由して、10:08 ほぼ定刻に到着した。
列車の到着。日本では指定席券を持っていても、当該車両の混み具合はどうか、自身の席の周囲は埋まっているかと車両内部をのぞき込む。乗車前の「ワクワクする」瞬間だ。だがドイツではできなかった。ホームが低く、車両内部をのぞき込むことができないのだ。
停車時間は5分。1等車は二両、手近な乗車口に付く。扉が開く、下車客は軽装の者がほとんど。さあ乗車だ。バッグを引っ張り上げる。そこは開放席だった。まずは席を確保。
シートは2−1の配列。革張りだが、幅は狭い。フットレストはあるがレッグレストはない。リクライニングの角度も深くはない。方向転換はできない。前席の背もたれからテーブルは出てくる。向かい合わせで中央にテーブルのある席、そのテーブルが2倍に広がる席など、バラエティに富んでいる。もう一両を見に行く。コンパートメント(区分席)が付いているが、どの部屋も先客がおり、「入らせるものか」とばかりに荷物を広げている。開放席に落ち着く、区分室はつぎの機会だ。
車内はとても明るい。同じ間接照明のJR新幹線グリーン車と比べて、とても明るく感じられる。窓が大きいのと季節が夏だからか。
よく見ると、頭上の網棚に文字が浮き出ている(用紙を差し込むこともあるそうだ)。「Goettingen - Berlin」と読める。「41番座席は、この区間は予約されているよ。この区間以外は誰でも座ってイイよ」という意味だ。GRパスでも指定をとれば500〜600円を別途に支払うことになるそうだが、少額なので、予約客が現れないことも多いそうだ。
ICE692はこのあと、Hanau→ Fulda→ Kassel-Wilhelmshoehe→ Goettingen→ Hildesheim→ Braunschweig と停まりながら、Berlin をめざす。
トイレは、飛行機のそれを想起させる。ウォシュレットは付いていない。
乗車してほどなく車掌が来る。車内改札と思いきや飲み物はどうかと聞く。あとで食堂車に行くからNeinだ。二度目にやってきて、車内改札だ。わたしが手書きした日付の下にスタンプを「刻印」する。パスポートの提示は求められなかった。またやってきた。何かと思ったら、チョコレートだという。慣れているD氏はその横の横長の袋もとった。お手ふきだそうな。
もう三十年になるだろうか、「日本の鉄道に乗っていても輪の中を走っているだけなんだから、海外に出でよ」と言った先輩のこと思いだし、レンタルケータイからEメールを打ってみた。しばらくして返事が来た。
「わたしは明日から、チェンマイとナイロビです。D氏によろしく」
先輩とD氏とは模型仲間だ。チェンマイとナイロビ、どういう関係があるんだろうと、2人で首をひねった。
大きなピザやビールをもって、時に乗客が、時に車掌が通る。車掌が販売員を兼務しているようだ。
昼時をはずし、空いたころだろうと食堂車へ行く。しかし、食堂車は満席だった。調理室をはさんだ位置にあるビュッフェにする。相席しようとしたら、ちょうど空いたので、すかさず移動。ビールとポテトでご満悦のD氏。1両の車両に食堂スペースとビュッフェスペースがある。1両が26bあるから可能なのだろう。ちなみに日本の車両の長さは、在来線:20b、新幹線25bだ。日本国鉄には1両に2等座席と食堂車を収めた「半車食堂車」と呼ばれる車両があった。確か、オシ17だった。1962年冬に下り急行「佐渡」で利用した。
窓外には草原(それとも畑か)と「森」とが交互する。旧東ドイツに入ると、風力発電の風車が草原の至る所に立っていた。
14:05、ベルリン市内最初の停車駅「シュパンダウ」に到着。シュパンダウはベルリンの行政区の名前だが、監獄の意味もある。14:19、ハウプトゥ・バーンホフに着くも、まだ降りない。終着駅まで乗り通すのが、列車に対する礼儀だ。
ICE692の終着は Berlin Ostbahnhof、ベルリン東駅だ。14:30到着。写真は翼を休めるICE692。
撮影をしたあと、Zoo駅まで戻り、ホテルにチェックイン。とって返して、ベルリン・ハウプトゥ・バーンホフを時間をかけて探訪する。
■ Berlin Haupt Bahnhof
ベルリン中央駅は、2006年ワールドカップを機に建設された。伝統のドームではない。しかもガラス張りだ。両脇の建物はドイツ鉄道(DB)の本社が入っているのかと思ったが、本社は別の場所にあった。
まだこの駅を訪れていなかったD氏。彼のベルリンでの用事とは、この駅を取材することだったのだ。「まだ見ぬ我が子に会った」気分だったと思う。
吹き抜け構造になっているこの駅は、高架ホームから地上階のコンコース、地下ホームまでを見下ろすことができる。高架ホームと地下ホームとは直角に交わっており、別の方面の列車が発着する。
高架ホームで、ドイツ鉄道のものではない列車を見つけた。ワルシャワ行き、ポーランドの列車だ。さすがヨーロッパ大陸だ。乗車率は低かった。
発車時刻が近づくと、D氏はやおらビデオカメラを取り出した。定刻になっても、まだ出ない。どうやら、遅れのICEの接続をとったらしい。D氏はホームの端に立って、見えなくなるまでカメラをまわしていた。
明後日、再訪することを訳して、ハウプトゥ・バーンホフをあとにする。D氏、わたしがいなかったら、終列車近くまで、この駅を歩き回ったことだろう。
■ nach Brandenburger Tuer
つぎに目指すはブランデンブルク門だ。木造の橋でシュプレー川を渡る。日光浴を楽しむ人、遊覧船、賑やかだ。
スイス国旗を掲げた建物が見えた。こんなところに大使館かと思ったが、あとで連邦首相府だと知った。
堂々たる連邦議会議事堂が見えた。正面には Dem Deutschen Volke と刻まれている。フィヒテの「ドイツ国民に告ぐ」だと思ったが、それは Rede an die deutsche Nation だという。皇帝ヴィルヘルム二世の1914年の演説はAn das deutsche Volk だという。結局だれの言葉かはわからないが、「ドイツの人々のために」となるらしい。
入場を待つ人々の列が見える。だが、先を急ぐ。
議事堂を左に回り込むと、もう見えるかと思ったが、近そうで遠い。公園を通り抜けてやっと見えた、門が。
写真左は門の裏、西ベルリン側から見たもの。門の右の方には陸上トラックのラインがひかれ、仮設スタンドがあり、雑然としていた。開催中の世界陸上のマラソン競技で使われるのだろう。
門をくぐり抜けて、表、東ベルリン側へ。だがそこはパリザー広場となっており、大道芸のようなものをやっていた。それを入れずに門をとることはできなかった。仕方なく、上部だけを写した。
門のそばに、アドロン・ケンピンスキー・ホテルを見つける。ドイツ統一後、戦前の外観そのままに再建されたドイツ屈指の名門ホテルだ。ホテルの泊まり歩きを趣味とする者としては、是非とも泊まりたかったが、ヨーロッパには厳然として階級社会が残っていると聞き、気後れしてしまったのだ。言葉も喋れないし。
ホテルを通り過ぎたところで、D氏がバッグからガイドブックを取り出し、地図に見入っている。良からぬ輩が足下のバッグに近づかないか、周囲に気を配った。
そのうち、わたしも地図を見たくなり、ガイドブックを取り出し、現在地を確認していた。門のそばだから、そこはすぐにわかる。さて、D氏はどこをめざしているのだろう。ふと気がつくと、すぐ隣に人の気配。わたしのガイドブックをのぞきこんでいる輩がいる。若いけど太いお姉さんだ。目が合うと、現在地を指して、Here,here と言う。わたしも、Here,hereと応じた。そうしたら、連れのもとへ戻り、女3人でウンター・デン・リンデンを東へ歩いて行った。
D氏が「どうしたの」と寄ってきた。「わかんない。冷やかされたみたい」と応える。わたしの方が危なかったのだ。ケンピンスキーのテラスでお茶しながらやればよかったと思う。
D氏はカバーを掛けたガイドブックを書店の袋に入れ、それをバッグにしまった。ポツダム広場をめざして歩き出す。地理を把握するには歩くのが一番だ。角を右に曲がってヴィルヘルム通りに入ってまもなく、イギリス大使館だ。車止めを抜けて、ドンドン歩く。通りの左はオフィス街という感じだが、右には住宅もある。ライプチヒ通りまで行ったのか、その手前だったのか、また右に折れ、西陽に向かって歩く。だんだん人通りが増える。ガイドブックに見入る日本人もいたぞ。やっと着いた。
■ ベルリンの壁
人だかりがしているのは,ベルリンの壁跡だ。
1989年11月に壁が崩されてから20年。ほとんどが取り払われている。壁というのは最後のころは高さ3b、幅120a、厚さ10aくらいのコンクリートブロックを連ねていたという。もちろん目地を詰めて固めてあっただろう。この一画では、そのブロックを所どころはずし、そのすき間にパネルをはめ込んで、当時と現在の壁の彼我の様子や市内地図を紹介している。足下には Berliner Mauer 1961-1989 と刻まれたプレートが埋められている。
英語の説明も付いていたので、あとで読むつもりでカメラに収めてきた。
東ベルリン側では、壁に簡単に近づけないように無人地帯が設けられ、監視所があり、パトロールが行われ、厳しい逃亡阻止体制が敷かれていたのに対し、西側では壁のすぐそばまで行けた。ある映画では、壁のそばで遊んでいてサッカーボールが東側へ落ちてしまうシーンが描かれている。だからというか、壁の西側はさまざまな落書きで埋められていた。その落書きも一部は残されている。
■ ソニーセンターポツダム広場の一画に、ソニーセンターがある。
一風変わった屋根の下は、レストラン広場になっている。周囲のビルにあるレストランのテラス部分だ。ドイツではテラスは喫煙可能、室内は禁煙となっている。わたしたちは紫煙が大嫌い。だから室内に入る。蒸し暑いが仕方がない。こんな繁華街の店でも冷房設備がないのだ。
入ると、店内にも客がいる。同類がいるのだ。この店では案内がない。勝手に座る。誰も来ない。まだかなぁと焦れだしたころ、やっとウェイターが来た。まずはビールを頼む。種類は覚えていない。0.31gと線の入ったグラスで運ばれる。料理はザワークラウトとソーセージ。あ、逆だ、ザワークラウトは付け野菜だもの。はじめてブレッツェルを食べる。塩味の効いたパンだ。Heidelberg在住のC氏は、その形から「NTTパン」と呼ぶ。日本電信電話会社のマークに似ているからだ。
先の品だけで満腹となり、店を出る。テラス部分はまだまだ賑やか。大画面には世界陸上の映像が映し出されている。食事をしながら、パブリック・ビューイングだ。写真左は、ソニーセンターの屋根。
ポツダム広場駅で入ったトイレ、50k。男性便器の位置が非常に高い。わたしはかろうじてとどいた。ドイツ人はでかい。男も女も、高さも幅も奥行きも。あんな人間と闘うアスリートは、それだけで尊敬する。女性は胸の谷間を隠さない。妊婦も体にぴったりの服を着て、お腹を突き出して歩いている。
■ U-Bahn 2
ここからZoo駅までは地下鉄2号線で乗り換えなしで行けるはず。だが、その乗り場がわからない。さんざん探し回り、最後にD氏が売店で聞いて、やっと判明。途中、犬を連れた男が近づき、話しかけてきた。「犬のえさを買う金をくれ」というようなことを言うらしい。
ホームに降りると、ちょうど電車が入ってくる。そのまま乗ってしまえるのだが、乗車券は購入しなければ…。無賃乗車が見つかると、40ユーロを徴収される。だが、「何よりも、行き先を確認しなければなりません」と、D氏は落ち着いていた。でも、乗車券を改札機に通すのは忘れた。
少し飲み足りない気がしたので、駅の売店で缶ビールを買う。500_しか売っていない。今夜の部屋はヤニ臭いので、さっさと眠ろうともしたのだが、飲みきれず、ポンコツ冷蔵庫に入れておいて、翌晩も飲んだ。(09.09.27記)
● ホテルについては、こちら。