●ザンネンながら次点
十七日夜、多賀氏は新潟市内の県教職員組合会館で、
「良いスタッフを付けてもらい、多くの人に支えられながら勝利できず、
私の不徳の致すところ」と頭を 下げ、「ここまで引き継いできた火は
消してはならない。様々な選挙でここに集まった方々の志は、必ず成る
と信じている」と真正面を見つめ話した。
多賀氏は 休職状態になっている早大教授の職に復帰する予定。
苦渋の表情で敗戦の弁を述べる多賀氏。
(17日午後11時ごろ、新潟市内で)
◆ 多 賀 秀 敏 さん (ガ タ 先 輩)◆
職場で友人から、「多賀さんが知事選挙に出るらしいよ」と聞かされた。
ボランティア団体のヘッドもやっていたし、大学院の学生に、「就職がな
かったら、地方議員になれ」なんて言っていたし、実際には国会議員まで
輩出しているのだから、あり得ない話ではないと思った。
帰宅したら、封筒が届いていた。「やっぱり!」
多賀さんは、早稲田の大学院から新潟大学法学部の教員になり、国際
関係論を担当した。「よく学び・よく遊べ」がモットーで、学部ゼミ生を加えて
サッカーをやったこともある。その時のプレー(3人のパス回しからウイング
を走らせ、センタリングをシュートする)は、中学の伝統的練習パターンであった。
その後、多賀さんは、早稲田の社会科学部に移った。当然住まいも移す
と思ったが、、住まいと家族は新潟に残し、東京との二重生活を送ってきた。
新潟に決まった時、「新潟は父親がその昔に赴任していたことがあるんだ」
と言っていた。思い入れの深い土地になっていたのだろう。
封筒の中身を確かめる前に、新潟に電話をした。Kさんが最初にでて、
本人に替わった。
多賀さんとわたしとは3学年の開きがあるが、中学・高校・学部・大学院と
ずっと同じ学校だった。国際関係論と憲法という専門の違いはあっても、
よく面倒をみてもらった。結婚披露宴の司会までしてもらった。
その晩、ホテルに落ち着いて、御礼の電話をかけたら、折り返しかかってきて、
「いま、ホテルのロビーにいるから、すぐに降りて来い」と言われ、すっかり
その気になった。ホントウに着替えようとして、大笑いされたっけ。
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いったい、選挙はいつなんですか? 「10月17日だよ。」
準備期間がないじゃないですか? 「うん、短期決戦なんだ。」
新潟には、日銀OBの知事がいたでしょ。現職とぶつかるんですか? 「イヤ、彼はもう出馬しない。」
じゃぁ、自民党候補とぶつかるんですか? 「いや、候補者が6人いるんだよ。」
早稲田は辞めなくてもイイんですか? 「それは大丈夫だ。」
いろいろな国を訪問してるから、その経歴を悪用されませんか?
「それは覚悟してるよ。終盤に自民党がやってくると思う。
でも、大丈夫だよ。」
わたしは新潟県にはまったく知り合いがいないので、
直接の紹介は出来ないけど、知り合いの伝手をたどります。 「ウン、よろしく頼む。」
奥さんはどうなんですか? 「覚悟を決めて、応援してくれてるよ。スゴイ働きだよ。」
とにかく、体には気を付けてください。 「ウン、ありがとう。」
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早速、新聞をあさってみた。そうしたら、読売の新潟版に「特集」があった。
社会民主党と民主党の一部と連合新潟の微妙なバランスの上に立つ候補
であるらしい。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/niigata/kikaku/072/2.htm
みなさん、新潟県に知り合いがいて、多賀候補の主張に賛同できるのでしたら、
お知り合いへの推薦をお願いします。
多賀さんの選挙サイトです。 http://www.taga.join-us.jp/
選挙運動の様子がわかるサイトです。 http://www.chinami.net/
<カンパ振込先>
三条信用金庫 鳥屋野支店
普通預金 No.8325537
多賀ゼミOB会
◆ 『朝日新聞』新潟版から
■多賀 秀敏氏(54)無新 社民推薦 −−立候補のきっかけは 多くの人から背中を押されたことが大きい。新聞に名前が出て、知らない人から「頑張れ」と 声をかけられることもあり、心を動かされた。 −−目指す知事像は 県民との直接対話型だ。県民が、どういう意向を持っているかが一番大事なので、そこを意識 する知事でありたい。 −−学者という立場から、新潟県政をどのように見ていますか 根底から少しずつ変わりつつある。地域づくりのために、政治が必要だという意識が高まってき たと思う。地域活動に参加する人も増え、良い方向だと感じている。 −−現在、全国に学者出身の知事はいません 一般的に分けるのは賢くない。私は、現場とデスクワークを半分ずつやるような立場だが、そうで ない人もいる。官僚には「公約数」があるかもしれないが、学者という領域で、一つの分野を作るこ とはない。 −−教師として、学生に言い聞かせることは 私も父親に言われたのだが、「勉強は人のためにするものだ」と。真理だと思う。それと、どんな 大きな現実も、ぶつかって行けば突破口があり、変えることができるということ。人類の歴史は いつもそうだ。 −−県庁内の組織はどのように改革しますか 県庁は最大のシンクタンク。その機能は十分に引き出す。あと、仕事を明確に分けるのは良くない。 1人が2役も3役もこなす必要が出てくるだろう。災害の時など、素早くチームを組む機動性が求めら れる。 −−財政再建で、人件費削減の課題もあるが 頭の痛い問題。公務員ですから、いきなり首は切れない。合併が進み、新潟が政令指定都市にな れば、人員が余るところもあるので、配置は見直す。きちんと情報を公開し、下から議論を積み上げたい。 −−プロ野球チームの創設、県立野球場の建設に対する関心は高いが 仙台ばかりが話題になって、悔しい思いはある。ただ、すぐプロ野球の誘致というわけでもない。 球場を作れば、喜ぶ人も多いが、県民すべてが使えるわけではない。国体もあり必要性は認めるが、 財政難の中だし、県民とよく対話して決めるべきことだ。 −−県立病院は赤字続き。どうしますか 全国すべて赤字ではなく、成功例もあるので、よく勉強したい。交通網や情報網の整備が進む中、 あちこちに同じような設備が必要かという思いもある。高齢化社会に欠かせない分野なので、何の 議論もせず、統廃合はしない。じっくり進めたい。 −−公約には「欧州、米国からの直行便が就航できる空港整備を」とあります。新潟空港の滑走路 延長を進めますか 3千メートルの滑走路は、のどから手が出るほどほしい。新幹線の、空港近くへの乗り入れも要に なると思う。もちろん、今の財政でできるかという根本的な問題はあるが、やるべき公共事業の中では、 優先順位が高いと考える。東アジアの大交流時代に乗り遅れてはいけない。 ■こんな人 新潟大教授を経て、96年から母校・早大で教鞭(きょうべん)をとる。新潟から東京へ、新幹線で通う 日々だ。「私にとって新潟はもはや故郷。離れる選択肢はなかった」。内務官僚だった父親も、新潟県庁 で勤務経験がある。 幼い頃、ジャーナリストにあこがれた。以来、現場に行き、自分の目で見たいという感情は「どんな立場 でも変わらない」。途上国の教育改革、砂漠の植林、難民キャンプ−−。フィールドワークで訪れた国は、 60を超えた。 座右の銘は「巧詐(こうさ)は拙誠(せつせい)に如(し)かず」。たくみにあざむくより、つたなくても誠意 があるほうがいい、という意。「誠実であることは大切。その姿勢は、絶対に崩さない」 環日本学会、新潟NPO協会、新潟国際ボランティアセンターなどの責任者を務めた。活動を通じて、 地域の発展に尽くしてきた自負もある。 飼い猫と遊ぶのが、落ち着くひととき。「もう少しで日本語を話しそう。賢いですよ」。愛読書は「アルプス の少女ハイジ」。悪人が登場しない、心温まるストーリーが元気を与えてくれる。 |
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