思い出のホール
2014/05/30新設
2022/05/24更新

パチンコ日記の中では、1993年からの立ち回りが記録として残っていますが、それより前の時代、パチンコを打ち始めたばかりの頃、地元を中心にあちこちのホールで遊びまわっていたことを思い出します。当時はお店ごとに設置機種が全く異なり、また今のように情報もない時代ですから、初めて見るお店には必ず立ち寄り、試し打ちをしたものです。1989年頃からの思い出になります。

■浦和駅周辺

お店 コメント 設置台
ニューマイニチ 初めて友人に誘われて入ったお店。初打ちはたぶん、友人からもらった玉で打った「金棒くん」。この台で毎日粘りに粘って打ち止めにしてしまう常連さんがいて、感心したものです。ビッグシューターは、1と2(勝手に命名)の両方が設置されていて、役物V入賞率が違うのが不思議でした。「たぬき店長」と勝手に呼んでいた厳しい店員さんがいて何かと叱られたものですが、お店自体は緩い雰囲気で、店員さんはタバコを吸いながらのんびりと仕事をしていました(カウンター内に時々お偉いさんが顔を出していたので、たぬき店長はたぶん店員さんの一人だったのでしょう。他にヤセ、ノッポと呼ばれる店員さんがいました)。ちょっと変わったところでは、店内にパチンコ玉でジュースが買える自販機が設置されていました。系列店が北浦和と大宮にあり、大宮は2010年くらいまでがんばって営業していました(ニューペガをずっと置いていたのも懐かしい)。閉店してしまった後、例のたぬき店長がT店で働いているのを見てちょっと悲しかったです。 (1F)ビッグシューター、ドッキリマンSP、レッドライオンα、ファンキーセブン、アラシキング、ジャスティ、(地下)ビッグシューター、道路工事I、マジックカーペット、金棒くん、マジシャン、魔界組、ダンシングヒーロー、持ち上げ隊、パッキークラブ、スーパーロボット、スロットムサシ、後期ワンパクパルサー
新生
(後にプラザ)
フレンドリーに話しかけてくれる店員さんのいるお店です。小さい割には広い作りのお店で、隣のゲームセンター(セガ)と行ったり来たりして過ごしやすい環境でした。景品交換所では最後まで500円札の取り扱いがあったり、店内には5枚100円のメダル貸出機があるのが特徴でした。スロットは当初8枚の一回交換でしたが、777が斜めに揃ったら継続という謎の営業方法でした。当時から古い台の設置が多く、2003年の3月に閉店するまで、浦和で唯一CR機が導入されなかったお店です。 ウィンクル、ニューポート→スーパーウィンクル、コンチII、後期サンダーV
ファクトリー、キングスター、魔界組、安来名人、Theトキオ、スペースショベル、後期スパークマン、キングスライオン
スーパーコンビ、ベータ、パニックエクセル、E麻雀、スーパービッグセブンパートIV、Fレクサス、後にFマキシム
ピンボール
ミリオン パチンコを始めた頃、新規オープンしたお店。最初の一年は開店専門の店長が激甘調整にして、良く出してくれました。頻繁な釘調整(毎日多数の台)をするので、釘読みや、それによって勝つことを覚えさせてくれたお店です。一日4回くらい打ち止め台の抽選開放を行い、先に赤い印のついた当たり棒とハズレ棒をカウンターのおばちゃんが握って抽選するのですが、自分をひいきにしてくれていたようで、一人のおばちゃんがいつも、ハズレ棒を引きそうになると強く握って引き抜けないようにしてくれました。当たった後は裏に台番号が書いてあるタバコケースの切れ端を選び、その台を打てるというもので、運が悪いと好みでない機種や台になってしまいますが、これも切れ端を作ってるところが丸見えだったので、ある程度分かっていたことも多いです。
スロットのメダル貸出機が独特で、受け皿のところにさらに金属のお皿が重ねてあり、払い出されたメダルを丸ごと持ってくる仕組みがありました。他ではほとんど見たことがないので、独自加工なのかも。当時の他の多くのお店と同様、スロコーナーの椅子は高めにのものでした(椅子の下に足置き場があるタイプ)。
国際興業バスの浦和車庫から歩いてくることができる距離にあり、運転手さん?が空き時間に打ちに来ているのも見かけました。
スタジアム、レッドライオンα、オールスター、安来名人、ゼロタイガーキング、パチンコ大賞、とらさん、たこやきSP、たぬき丼、さめざんす、ニュートキオ(新要件)
ドリームX、ファンキー7、Fフラッシュ、サファリ
キャラバン、ジャスティ
アニマル→スーパーセブン、リバティベルIV
高砂 駅前の百貨店裏にあるお店で、小学生の頃から存在を知っていました。子供の頃に入り口から覗き見していたことを思い出します。当初はあまり寄らなかったのですが、後に優良店(甘い状況が続きやすい)と気づき通うようになりました。カウンター内にはいつも店長さんがいたような?店内の大当たり自動放送が独特でした。ベンハーの頃だったか、パチスロのシマ全体で漏電していて、筐体を触るとビリビリすることがありました。立地も悪くないのでリニューアルしてがんばっていたのですが、2010年あたりに閉めてしまいました。蕨にも系列店あり。
ベンハー、ゴールドベンハー、スーパープラネット、ドリームW、Bエクシード、ダービー物語、VツインII、後に祭、アステカ、大花火、NEOプラネット
かめ 小規模店。売りの機種に力を入れるため激しい機種が多かったかも。あまり打てるお店ではありませんでした。コンチネンタルは裏返っていて、一日1台必ず爆発するのですが、何故か大箱+中箱で出玉が止まってしまいます。このお店の近くにもゲームセンター(セガ&タイトー)があって、高校の頃はよく通ったものです。北浦和と大宮に系列店あり。 コンチI(裏)、びっくりマン
第一会館 小規模店で売りの機種有り。雰囲気の怪しいお店でしたが抜け穴もたくさんあり、結構勝ちやすいお店でした。東大宮に系列店あり。かめと第一会館は近くにあり、行き来していたのですが、東口再開発のだいぶ前に無くなってしまいました。 コンチI(ノーマル)、レーザースペーシー、キャラバン、ターゲットI
サン あまり出ないけれども旧台天国。当時駅前では唯一平台(チューリップ)が残っていました。結構早い時期に閉店しましたが、建物そのままで家具屋さんとして営業していました。セルゴトを見ましたね。 ブロードウェイ、ゼロタイガーキング、チューリップ台、ニューポート、スターダスト
ミリー 現在の流行りを先取りしていたのか、新装で出さない、出玉(釘調整がシビア)や空き台管理が厳しい、玉の引っかかりでサービス無し、羽根モノでも台移動不可、食事休憩無し、常に目を光らせている責任者がいる等々で居心地が悪かったのですが、遊べる台がたくさんあったのでそれなりに通っていました。いつもロッキーの音楽がかかっているのが不思議。浦和駅前の当時のお店の中で唯一現在まで生き残っていたお店です(2020年コロナ休業後、2021年頃まで営業権を維持していましたがその後再開発に伴い閉店したようです)。 バニーガール赤→コンチIII→ニューパル、ザ・拳法、ロボスキー、ゼウス、スーパービンゴ、ヤマト、ゴリコップ、シャトル21(途中で同機種の新台に更新入替)、ファミリー、ジェットライン、外輪船
セントラル 新しくできた割にはすぐに無くなってしまったお店。スロット専門で新装の時くらいしか通っていませんね。ミリーとセントラルの近くにもジャレコのゲームセンターがあって行き来していました。 コンチII、マジカルベンハー
遊覇王 このお店は?いつ出来たのか分かりません。たぶん昔はなかったと思います。スロット専門店で色々入ったので時々打ちましたが、全然勝てない印象でした。 タッチダウン、ドリーム7jr裏、後期サンダーV、ドクターA7、大漁2
浦和駅前総括

高校生時代に通っていたゲームセンターからの転身ですが、風営法8号と7号ですから、とても近くの地域にありました。自費での初打ちは89年夏かな?ミリオンのスタジアムで500円負け、悔しい思いをしましたが同年冬の新装開店で安来名人を打ち止めて7000円を手にしてから、金銭感覚が一気に10倍になりました。

しばらくは友人たちと一緒に、色々な遊び(ゲームセンター、バッティングセンター、ボウリング等)の一つとして、浦和駅やその周辺を自転車で走り回っていたのですが、パチンコは勝てば勝つほど面白くハマっていくものですから、そのうち一人であちこち出かけるようになりました。

一番お気に入りのお店はミリオン。毎日必ずどこかしらの釘を弄ってくるので、それを見つけるのが宝探しのようで面白く、また勝ちやすかったです。朝9時40分頃にウォークマンでお気に入りの音楽を聴きながら、ミリオンの開店10分前に到着する、という生活パターンが続きました。他のお店でも当然釘調整は行われるのですが、新装の時に開け、少しずつ締めて行った後に万年釘というパターンが多かったです。

当時は半休日というのがあり、(確か)毎週水曜と木曜に、地域の半分のお店が交代で休むという決めごとがありました。当然この日は開いているお店にとっては稼ぎ時なので締め気味の営業、さらに土日が稼ぎ時となると、必然的に月、金あたりが甘い調整になるんですね。半休日のおかげで釘調整にメリハリが出ること、お客にとっても他の店を覗く機会になるということで、良い循環が出来ていたと思います。隣の地域では半休日も違っていたので、そちらに足を伸ばす機会にもなりました。


■浦和の周囲
(自転車で通える範囲)

お店 コメント 設置台
国道17号ことぶき 自宅近くなので長らくお世話になった店です。それこそ、子供の頃に親に連れて行ってもらって手打ちの台を少し打った記憶もありますし、小学生時代から併設のゲームセンターに入り浸っていました。通用口からスロットコーナーを覗き、何故毎回3枚入れるのか、出玉が15枚しか無いのか不思議に思っていました。店長さんか主任さんが必ず店内にいましたね。自販機コーナーのグーテンバーガーも懐かしい。

デジパチの調整が苦手なお店で、一発台や権利モノ、羽根モノに力を入れていました。今思うと、短時間遊技のお客さんが多かったせいかもしれません。長期休暇に締めてくる典型的なタイプのお店で、特に正月はガチガチに締められ、玉が通るのか?というような釘調整を見たことがあります。お客さんは少ないながら長らく営業を続けています。このチェーンは自社ビル所有で余裕があるのでしょうか(追記:2022年5月15日に閉店した模様)。

羽根モノの釘を開ける時は、1チャッカーと2チャッカーの両方を開けてしまうので分かりやすく、夜間アルバイト明けの朝イチに行っては打ち止めて帰る、みたいな日々を送ったこともあります。
ベータ、スパイラルI、アメリカンドリーム、ビッグポーター、アニバーサリー、スーパーバニー、スペーススペクター、コンチI、ミスターマジック、チェリーバー、ニューパルサー、ポップアート、ナイトドラゴン、びんびんバラエティ、OL娘、オロチョンパ、たぬ吉、玉ちゃんファイト、スカイキッズ、バニーズII
国道17号メリット 昔から存在だけは知っていた(バスや自転車で南浦和方面に行くとき、曲がり角の目印になっていた)のですが、通った回数はそれほどでもないです。機種ラインナップはそれなりに楽しそうだったと思います。 ビッグベン、Mr.フォール
武蔵浦和チャンピオン 埼京線高架下に新規開店したお店。建物が完成し、ピカピカのパチンコ台も導入されたものの認可に時間がかかったのか、半年後にようやくオープン、開店前に導入されていたドリームX等、ほとんどの機種は最新台に入れ替えられてしまっていました。風営法に関連するお店は認可のためのダミーを設置することも多いと聞きます。

スロットは8枚交換でしたが、毎日必ず高設定が入っていたのか、ノーマルのバニーで4箱以上積んでいる台が必ず一台あるのが印象に残っています。

店員さんがハッピを着ていて、それに「丸金」と書いてあるのが何だか分かりませんでしたが、お店でなく会社の名前なのでしょうかね?
フルーツパンチ、バニーガール、コンチIII、CR球界王
戸田美女木 駅前大宮バイパス沿いにいくつかパチンコ店が固まっていたので、ちょくちょく顔を出していました。典型的な郊外店で、お昼にお弁当屋さんが来たりするのが駅前店と違って良い雰囲気でした。

釘調整は大雑把だったのか、甘いまま長期間放置されることも多く、一度良い台をつかんだらしばらく通う、というパターンが多かったです。
ハニーフラッシュ
戸田パレス 美女木の姉妹店。こちらの方は覗く頻度が少なかったのですが、新装開店の時にデジパチの釘を開けすぎて、いくら回しても玉が減らず、かといって当たらないので、閉店時に放置して帰ったことがあります。

当時はその程度だったのですが、後に優良店ということに気づき、2000年以降よく通うようになりました。店長さん、店員さんたちがいつも元気に走り回っていてお気に入り店舗だったのですが、残念ながら2016年11月に閉店してしまいました。
当時の設置台記憶無し
戸田ピノキオ 戸田ではこちらが本命(と思っていた)で、よく通ったお店です。ただしあまり勝ちの記憶がないので、優良店ではなかったのかも。 ゴールデンクロス、ダイナマイト
北浦和第一チャンネル 東口駅前2階にあり、寂れた雰囲気であったが珍古台の宝庫でそれなりに常連客が付いていました。あまりにも古い台ばかりなので怖くて(?)数回打った程度です。 レッドライオン初代、ベルアルファマーク3
北浦和セントラル(?) 地下のスロット専門店。一度打った限りかな? ジャックポットIIIA
北与野ベガス 北与野の埼京線ガード下にあったお店。田山プロの言うローリングマシーンというのが浦和近辺では見当たらなかったのですが、ここでようやく見つけました。 ローリングマシーン、スーパーコンビ
与野駅前? 寂れかけたお店。珍古台ばかりで、ものめずらしさに覗いた程度です。 応援団?ちんどん屋?ベースボール?
与野駅前? 新装開店でバニーを打ったのですが、スロット自体が初めてですぐに止めてしまいました。換金所が普通の自転車屋さんだったのには驚きです。 バニーガール青
大宮西陣 初心者の頃に何度か通いました。ディスクジョッキーという羽根モノが面白かったです。 ディスクジョッキー
大宮キューピッド 羽根モノが多数ある地下のお店で、良く通っていました。セル板を使ったゴトをやっている現場を見ましたね・・ 桃太郎、エンタープライズ、ファンシー
大宮サンエー 古めのスロット専門店だが、計数器ではなく重量で枚数を概算する計量器を使っていたのが驚きでした。何を打ったのかは記憶にない・・

大宮ベルサイユ

南銀の奥の方にあったお店。隣にスターダストというお店もあって記憶があいまいだが、この辺りでたぬき丼を打ったのを覚えています。周りが静かだったので、大当たり中の音楽が綺麗だな〜と思っていました。それから、玉2500発*2でスーパーファミコンが取れたのが衝撃的でした。

たぬき丼

大宮ニュートーキョー

南銀に入ってすぐ右側にあるお店。地下に羽根モノがあって何かしらと通ったがあまり勝った記憶がありません。

CR-Vスペシャル

大宮ことぶき 当時からイベントを多発していたお店で、一番恩恵を受けたのは「バカ台」。羽根モノの釘がバカみたいに開いていて、打ち始めて30分くらいで打ち止めになってしまうというものです。基本抽選開放なのですが、朝イチだけは早い者勝ちなので、先頭にならんで3台くらい押さえ、友人たちと共に打ったものです。スロットの新台入替で、ブレザーだけ脱いで同じ色のズボンに白シャツの、どう見ても高校生の集団が定期券で台確保していたのを覚えています。彼らは補導されなかったのでしょうか?浦和以外で唯一店長さんの印象を覚えているお店です。(2022年5月13日に閉店したようです)

ビッグシューター1、うちのぽち2、ファンキー7、メガトロン、サファリラリー

浦和周辺総括

この辺りは自転車で通える範囲の、準地元みたいなものです。基本は高校時代に通っていたゲームセンターやディスカウントストア、ラーメン屋などへのルートでおなじみの場所でしたが、パチンコ店の開拓という意味では二歩目を歩き始めたというところでしょうか。

北浦和、与野方面は電車沿いですが、線路の両側にお店があるので、あちこち歩き回ったものです。大宮は当時通っていた予備校の通り道にあるお店に偏っていました。ソニックシティを建設中で、今のマルシェあたりに外で食べる立ち食い蕎麦屋さん、ディスカウントストア(まゆずみ質店、2019年頃閉店)、安売りカメラ店(カメラのニシダ)なんかもあり、当時何もかも新体験でワクワクしていましたね。南銀方面は開拓しきれていません。こちらも駅前に大きな蕎麦屋さんがありましたね。

戸田方面はあまり覚えていないのですが、おそらく戸田のロジャースにちょくちょく通っていた(安い家電に興味があった)ので、そのついでに覗いたのが始まりだと思います。


■東京進出

お店 コメント 設置台
代々木大王 予備校の夏期講習(?)のために代々木に通っていた時代に良く立ち寄った小さなお店です。羽根モノに目がない時代で、とりあえずエセ釘読みと開放台を立ち回っていればなんとかなりました。周りも同じ境遇の人間が多く、居心地が良かったですね。
マッハシュート11、ビッグシューター3、(地下)プラトーン2
池袋東口プリンス 地下でコンチネンタルIをシコシコ打っていました。大勝ちの記憶もないですが、大負けもなかったです。2Fが大型のゲームセンターで、こちらもよく通いました。 コンチI
池袋東口スターフィールド 建築物の関係か、少し変わった形のお店です。パチンコにはあまり記憶がないのですが、新装で銀河IIが入りしばらく通いました。レバー無し、ストップボタンも深い上に目押しが難しいという台で、完成度が低く感じました。貯金モノとは知らず、出た台の後を狙って単発ばかり食らってました。近くに500円のかき揚げ天丼屋さんがあり、ミスドと共に好んで通っていましたね。 デートライン銀河II
池袋東口アテネ ノーマルアレパチ(雀球?)専門店です。専用メダルを買って1ゲーム16発打ち、役に応じてメダルが払い出されるという方式でした。 雀球
池袋東口ラスベガス こちらはサンシャイン通りのお店です。コンチIのモーニング狙いで通ったのですが、店員さんが手回しでモーニングを入れていたため、リーチ目が出たままだったりして取りやすかったです。その代わりREGということも多く、場合によってはREGを消化してモーニング2台目を取ったりということもやってました。 コンチI
池袋東口キングス ハンズ前の3〜4階建てのお店です。ユニバ系の機種が多かったと思います。 センチュリー21
池袋東口ミラノ2 サンシャイン通りから少し入った怪しげな場所にあるのですが、リバティベルIIIの払い出し音が好きで時々立ち寄っていました。 リバティベルIII
池袋東口大番 この辺のお店であまり勝てる感じがなかったのは、ほぼスロットばかり打っていたからだと思います。大番では羽根モノにも力を入れていたようで、旧要件最後や新要件になっても導入されていました。 スケボーキッズ、フライングカーペット(新要件)
池袋東口菊色91 当時の西暦を店名にしたのでしょう。新しいお店で台もピカピカでしたが、見た目の釘はいいのに出ないので何か変だな?という印象を持っていました。お客さんも少なかったです。 レッドライオンα
池袋東口パチスロデパート151 パチスロ専門店で、フロア毎に2機種ずつぐらいの設置でした。ちょうどグリンピースの新宿南口店みたいな感じかな?お客さんは少なかったのですが、ワイルドキャッツの兄弟機、セブンボンバー見たのはこのお店だけです。大当たりのファンファーレを聴くためだけに打ち、見事当てた時は感激しましたね。 セブンボンバー、ロックンロール
池袋東口やすだ あの界隈で強いお店。3店舗くらいありました。新装でコンチの後継機、オリエンタルというのが入ると聞いて並んでみましたが打てませんでした。後ろから見ていてもコンチほど面白そうでもなく感じましたね。 オリエンタル
池袋西口やすだ 高換金率(3円)、定量4000発という、地元にないギャンブル性の高いホールでした。スーパービンゴを打ち、400円で3000発程度まで出たのですがその後玉がどんどん減って行き、途中でヘタレ止めしました。2.5円だったら打ち込んでしまうのですがね。

やすだ独特のシマ構造で、台の下皿の下に4000発の箱が2個まで重ねられ、たくさん出ても店員さんの助けを借りる必要がないという、今で言うセルフサービスを狙っていたのかもしれません。椅子も全て移動式だったと思います。
スーパービンゴ
池袋西口パール 山楽とやすだの中間にありました。今でも甲子園パールという名で営業しているはずです。山楽の隣で、いつもFザウルスの音が外に響いているのが印象的でした。打たないで居座っていた外国人が追い出されそうになっているのを目撃したことがあります。 Fザウルス
池袋西口山楽 田山プロの通う池袋S店、池袋中を散々探し回った挙句、最後にようやく西口で見つけたお店です。本物の田山さんを見たときはドキっとしましたね。その日彼が触れた後のローリングマシーンを打ったら、あれよあれよという間に4000発定量まで出てしまいました、ごめんなさい・・。このお店は定量管理が補給玉のコントロールによるものでなく、台ごとに4000発の補給用の玉が裏側に用意してある古いタイプのもので、田山プロの言う「裏玉」という意味がようやく分かった次第です。

ローリングマシーンの音楽が気に入って、カセットテープに録音しに行ったこともあります。隣のお店(パール)からはいつも、Fザウルスの回転音が聞こえてきたことも思い出しますね。
ローリングマシーン、ビッグシューター2、おジョーズランド、後にニューモンロー、ジェットライン、謎の一発台(UFO?)
池袋西口ひかり? やすだやパールの並びの道路手前にあったお店、2階だったかな?スマートボールが置いてありました。他の機種はこの店だったかどうか、あまり記憶が定かでないです。 スマートボール、初代ビッグシューター、Fキング
池袋西口ビッグプレイ ロサ会館のカド、山楽の向かいにあるアニマル専門店。モーニングありでそれなりに出していたので、時々通っては遊んでいました。アニマルはREG比率が高いので、意外と遊べるんですよね。 アニマル
池袋西口フジ? 西口界隈には古い機種を設置しているお店が多く、ここで初めてトロピカーナを見ました。1.5号機はシステムをよく理解していなかったので、ほとんど打ちませんでしたね。

トロピカーナ初代、アメリカーナマグナム

池袋西口エイト 新装開店でトロピカーナの4号機が入った時に行ったのみです。ノーマルでしたがBタイプで連チャンしやすく、きっちり勝たせてもらいました。

トロピカーナ4号機

東京進出総括

基本的には、予備校に通うことになったことで、その周辺のお店に手を出し始めた次第です。地元と違って羽根モノはそれほど多くなく、当時大ヒットしたコンチネンタルからスロットにハマっていきました。もちろん、何も情報がなければ勝てないので、モーニングや新装中心に立ち回っていました。でもこの時代のスロットでトータルプラスにした記憶はなく、主な収入源は地元での羽根モノだったかもしれません。


■その他

お店 コメント 設置台
川越ラージ
( 入間川付近)
高校卒業後、学校に訪れる機会があり、近くで発見したお店です。典型的な郊外店でお客さんも少なかったですが、なかなか面白い台があったので2回ほど打った覚えがあります。
ビッグベン
川越駅付近 独特の雰囲気のお店がいくつかありました。が、何が独特だったのか・・記憶にございません。高校時代は散々通った川越サンロードですが、パチンコ店の存在に気づいたのは卒業後です。 記憶に無し
南浦和オアシス 南浦和方面はほとんど来なかったのですが、羽根モノを扱っているオアシスには時々立ち寄っていました。後に隣のオメガに通うようになるのですが、当初はオアシスの方が多かったです。 空中ブランコ
南浦和オメガ このページで扱った「その頃」の記憶は少ないのですが、90年代後半から月末の週終わりに開催するオメガ祭というのによく通っていました。一番甘かったのは朝並んでいる人だけ設定6に変更してくれたことかな。 Fクイーン
後期大漁2、ハローサンタ、サンダーV、アステカ
上野ライジングニューセブン リノ専門店です。大当たり後、一枚がけで連チャンを促進する打法がありましたが、店員に見つかると叱られるので見てないときだけやっていました。 リノ
巣鴨? どこのお店だったか覚えていませんが、ワイルドキャッツを延々と打っていた記憶があります。貯金方式なので、適当打ちだとボーナスを消されてしまうのですが、基本的に毎ゲーム777を狙っていたので、それほど損はしていないかもしれません

ワイルドキャッツ

横浜? 何度か交通量調査のアルバイトをやったことがあるのですが、その帰りに見つけたお店でバイト代を上乗せして帰りました。

マジシャンII

東大宮? 秋葉原以外で電子部品を売ってるという町で何度か通った記憶が。メダル50枚を紙巻きロールで購入する昔ながらのスロット店を見つけました。今でも、千円を1本と呼ぶ名残りがありますね。

記憶に無し

総括

お店の名前は覚えていなくても、当時の行動は鮮明に覚えています。学校関係、アルバイト、その他用事があるたびに、近くのパチンコ店を覗くのが行動パターンになっていました。交通量調査のアルバイトは、当初24時間で24000円(時給1000円)だったのですが、うちに21000円、18000円と減っていくのを見て、バブルが弾けたのを実感していました。

東京方面は、上野・秋葉原方面は通い慣れたものでしたが、予備校の関係で池袋に進出したり、またラジオのイベントをきっかけに銀座や有楽町に出たり、アルバイトで六本木や横浜方面まで足を伸ばし、行動範囲を広げていきました。見るもの全てが新しく、とにかく毎日が楽しかったですね。