雑記
2012/04/25更新

長年パチンコ屋さんに入り浸っていると、面白いことに出会ったり、ふと気になったりすることも多々あります。ここでは、そんな小さなことを思い出しながら、雑記として紹介します。


■紙テープ

パチンコ・パチスロで出た玉を交換する際、一時的に出玉を記録するために今でも多く使われているのがバーコード表示のレシート。POSで管理されているので、実際の出玉はホールコンピュータで記憶され、バーコード自体はただの管理番号のようなものです。貯玉可能な店では、レシートの代わりに会員カードを使う場合もありますね。

私がパチンコを始めた頃は、もちろんレシートの店が過半数だったと思いますが、意外と多かったのが、穴開けパンチ式の紙テープ。当時は自分で玉を流すシステムで、ボタンを押すと記録された出玉データがカタカタとパンチされて20cmくらいの紙テープとして出てきました。カウンターのおばちゃんに渡すと、それを読み取り機に吸い込ませて出玉が表示されるのです。その後は手計算で景品に交換していたような・・

その頃は何とも思っていなかったのですが、今考えるとものすごくレトロな記録方式ですよね。私が知っているコンピュータでの一番古い記録方式でも磁気テープなのに、さらに前時代的な紙テープがこんなところで使われていたとは。紙切れ寸前になると、テープに青い線が付いたのを覚えています。

バーコード方式と違ってPOSではなく、単純に出玉情報のみが記録されていたのかもしれません。偽造防止のための手段として、わざわざ紙テープが採用されたという可能性も?


■千円○回

デジパチ(セブン機)が主流になって以来、千円何回というボーダーライン理論が出てくるようになりました。等価交換無制限営業が主流の現在では、千円20数回転もあれば良い方ですね。

昔は一回交換、若しくはラッキーナンバー制で2.5円交換が主流だったせいか、ボーダーは千円30〜35回くらいが普通でした。新装開店ともなると、40回を超える台がゴロゴロしていたものです。

さて、私の経験した中で一番回った台。千円で何回回ったでしょう??

実はなんと、千円∞回という台に遭遇したことがあります。時は90年代前半、今でも現役のT市P店での新装開店で適当に座った台(機種名忘れ)。500円入れて打ち始めたところ、これが回る回る。玉が微増していくくらいに回るのです。フル回転なので止め打ちも不要、延々と回していたのですが、運悪く当たらないまま閉店となってしまいました(新装開店なので短縮営業)。上皿に残った玉は流すのも面倒で、捨てて帰りました。

周囲の台が同じくらい回っているかというとそうでもなかったので、たぶんこの台のクセが良かっただけだと思いますが、後にも先にも、こんなに回る台には巡り合ったことはないですね。

あ、一度だけ、池袋のパールという店だったかな?フィーバーキングの超クセ良し台で、釘は渋いのに良く回り続ける台(恐らく60回くらい)を見たことはあります。常連のおばちゃん専用台と化していて、店公認で放置されていたものと思われます。フィーバーキングはこのようにクセの良し悪しが大きい機種でしたね。


■昔から好きな店

今でも現役のT市のP店。それなりに発展している地域なのに場所柄交通の便が悪いせいで、若い学生やプロに狙われにくく、甘い営業を続けている大好きなお店です。

この店では様々な思い出がありますが、中でも記憶に残っているのが、2.5円交換、ラッキーナンバー制(無制限あり)の条件で、次回まで時短機能付きのノーマルセブン機を打った時のことです。新装間もなく調整が甘かった頃、無制限で10箱近く獲得した中、時短状態のまま閉店になってしまったのです。

普通だったら、時短を残したまま仕方なく出玉交換というところですが、この店は不思議なことに、時短で閉店した場合は翌日まで電源を切らずに残しておいてくれる(しかも無制限の権利も残る)というサービスを行っていたのでした。もちろん、前日打っていた本人に台獲得の権利があります。

当時学生で時間だけはあった私は、当然ながらこの権利を行使し、翌日も打たせてもらいました。もちろん、釘が渋くなっていれば次の大当たり後に止めれがいいだけです。

ところがこの店、そんなにセコイことはしません。翌日も良く回る釘のまま放置されていて、投資500円で丸一日打たせてもらいました。そしてなんと、この日も時短状態で閉店になってしまったのです。さらになんと翌日も。さすがに4日目となってくると飽きがきて、また店にも悪い気がして夕方、時短が終わったときに止めてしまいました。

トータルでせいぜい10数万のプラスではなかったかと思いますが、500円だけで毎日勝てたのはラッキーでしたね。こんなに緩いサービスはなかなか見られません。時短機能付きのセブン機が出てきた当初で、店側もサービス方法をうまく見極められなかったのかもしれません。

その後もちょくちょく通わせてもらったのですが、昼になるとお弁当屋さんが来たりとか、のんびりした環境で楽しく打てる店でした。

リニューアルしてから少し変化しましたが、甘めの店という意味では今でも変わらず、ジャグラーや海を中心に楽しく遊べる、大好きな店です。こういう店はずっと生き残っていって欲しいものですね。


■生き残った店は・・

私は昔から、埼玉県の某県庁所在地のある駅周辺を中心にパチンコライフを送ってきたのですが、初めてパチンコに触れた頃から生き残っている店は、ほぼ消滅してしまいました。

Ml店、K店、D店、Su店、C店、S店、Ma店、U店、T店・・・駅前再開発ということもあり、パチンコ店だけでなく一般のお店もどんどんと入れ替わってしまい今に至るのですが、時代の流れもあり、小規模店舗は一掃されてしまいました。唯一生き残っているのが駅前のMi店。

実はこの店、当時から一番苦手な店なのです。何と言っても隙が無い。新装開店は大して出ないし、羽根モノも大甘調整は無し、かと言って完全な死に台も無いというオール遊び台みたいな調整で、また少しでも空き台放置するとすぐに呼び出しするという、昔から出玉管理・顧客管理だけは徹底している店でのびのびと遊べる雰囲気ではなく、実にやりにくい店でした。

こういうことを徹底していたからこそ現在まで生き残ったのだと思いますが、本当に好きな店は無くなり、嫌いな店が残るというのは、世の中なかなか難しいものですね。さすがに思い入れが無いだけに、残り一店舗となってもあまり応援する気にはなりません。

それから子供の頃から地元にあるK店、ここも生き残っているのですが、これはある意味ラッキーですね。本来ならば国道沿いにある郊外店なのですが、埼京線開通後、最寄駅から徒歩5分圏内に入るようになり、通勤客の通り道ともなっているのです。

家から近く出玉も悪くなかったので、隣接するゲームセンターと共に小学校時代から良く通ったものですが、最近の様子を見ると客足が悪く、ちょっと危ないのではないかとも思えてきます。面白いのは、15年以上も前(2010年時点です)にいた常連のおっちゃん2人がいまだに居るところです。常連さんの居場所がなくならないように、いつまでも安定営業してくれると良いのですが・・・


■景品交換所

今はすっかり小奇麗になった景品交換所ですが、90年代までは景品交換所というと、ちょっと怪しい雰囲気なのが普通でした。店を出て遠くまで歩かされるなんてことも多く、大通りを渡って向こう側なんてことまでありました。初めて行く店なんかだとよく分からず、店の人に教えてもらうのも気恥ずかしくて、前の人についていったものです。

昔、パチンコ必勝ガイドで、怪しい景品交換所を紹介するコーナーがありましたが、同じように私が経験した変な交換所を紹介します。

時は90年代初頭、埼玉県某市Y駅前の小さな店で新装開店があり、その時はオリンピアのバニーガールが導入されたのでした。当時私は羽根モノ中心に打っていて、パチスロなんて怖いものはあまり打たなかったのですが、新装なら大負けも無いだろうと打ってみたのです。

導入されたのは青筐体のバニーガール。白とか赤は良く見かけて、バランスの取れた綺麗な筐体だなと思っていたのですが、青はちょっと違和感を覚えました。しかしそれは本物の新品、ピカピカだったのを覚えています。運良く台も取れ、数千円で当たりしばらく打ったのですが、そこはヘタレ時代のこと、勝ちを守るために数百枚出たところで止めてしまったのでした。

そして早速両替。5、6000円分の景品をもらって交換所の場所を聞くと、なんと隣の自転車屋だと言うのです。頭が混乱しながらも、きっと自転車屋の横かなにかに交換所の窓口があるのだろうと思い、自転車屋さんの周りを見たのですが、そんなものはどこにもありません。しかたがないので、恐る恐る自転車屋さんに入ると、お店のおじさんが普通に現金に交換してくれたのでした。

景品交換所というと、小窓しかなくて中にどんな人がいるのか分からないのが普通と思っていたのですが、こんなに堂々と対応されるとこっちが気恥ずかしくなってしまいますね。本当に小さなパチンコ店だったので地元の人たちだけで成り立っていて、換金額もたかが知れていたので安全だったのでしょう。

それ以来、その店には行っていませんが、駅前の再開発のようなものに伴い、その近辺にはパチンコ店自体がなくなってしまったようです。今でも鮮明に思い出せるちょっと風変わりな景品交換所の体験でした。

面白い景品交換所と言えば、埼玉県U市内では2店の交換所で、少なくとも平成2年〜5年頃まで、500円札(しかも全て新札)が出てくるところがありました。

ちょうど良い端数(500円〜900円)でないと500円という通貨は出て行きませんから、古くから大量に用意していた500円札を処分していたのでしょうか。そうだとしても、いくら金銭管理がおおらかなパチンコ業界と言えども、10年近く跨いで残っているというのは、程があるというような気がしますが・・

最後の方は、その交換所とパチンコ店内だけで流通(もちろんパチンコ店では500円札対応の両替機あり)したような、少し古い札も回ってくるようになりましたが、今思い返してみても謎ですね・・??


■玉の打ち出し感覚?

パチンコ台って、メーカーによって玉を打った時の感触が違うと思いませんか?

最近の機種ではハンドルも釘構成も変わり、分かりにくくなりましたが、昔の台では違いが良く伝わってきました。釘の硬さの違いなのか、打ち出し機の違いなのか、はたまた盤面の素材のせいなのかわかりませんが、機種に関係なくメーカー毎の違いを感覚として捉えていました。

西陣 普通
三共 硬い
平和 柔らかい
三洋 柔らかい
京楽 硬い
マルホン 硬い
奥村 普通
ニューギン 柔らかい
大一 柔らかい
藤商事 硬い

羽根モノや一発台を良く打っていた当時なので、打ち出した玉が最初に当たる釘の反発に注視していたせいで、こういうことが気になったのかもしれません。
また、役モノにも同じような違いがあったと思います。

西陣、平和、三洋、ニューギン、大一 柔らかめ
三共、京洛、マルホン 硬め

・・・釘と一緒ですね。役モノの材質による違いでしょうか。特に三共は透明で硬そうな素材を使うことが多かった気がします。そう言えば三共や西陣の役モノをそのままコピー(ライセンス?)したマルホンの役モノは、ちょっと硬めに感じたような・・

バネも違ったかな?大手三社のバネは打った感覚がダイレクトに伝わってきましたが、ニューギンあたりはなんとなくハンドルとの一体感が足りず、あまり好まなかった記憶がありますね。



■リールの停止感覚?

パチンコ玉の打ち出し感覚にメーカー間の違いがあるように、スロットにもリール停止時の感覚に違いがありました。これは原理的にも明らかなのですが、2号機時代の特徴的な例を挙げると、オリンピアや高砂系の機種はストップボタンを押した時にストップ音が鳴り、その後リールが最大4コマ滑って停止するのに対し、ユニバーサル系の機種はストップボタンを押し、リールが停止した瞬間にストップ音が鳴っていました。これがリール停止感覚の差となって表れていました。個人的には、ユニバ系の停止方式は無理やりコントロールされている感じであまり好きになれませんでしたね。また、日活興業等の機種はリール停止時にブレーキがかからずいきなり止まるので、停止後のリールが震えているのも安っぽくて好きではありませんでした。

スロットを打ち始めた頃は気になっていたこれらのリールコントロール方式も、夢中になって打つようになると、どうでも良くなったりして(笑)。最近のスロット機種はしっかりしているので、このようなことは考えもしなくなりましたね。



■新装開店での雑談・・

時代はバブル真っ盛り18〜19歳の頃、ML店の新装開店待ちで並んでいたある日、ヒマを持て余した開店プロの見知らぬおっちゃんが話しかけてきたのです(並んでいる最中は暇なのでよくあることです)。

道端を歩いている小学生の男の子を指差して 「ポテトチップ食ってる頃が一番なんだよ。一番いいんだよ。」 20歳にも至らぬ自分にとっては、どちらかと言うと小学生の感覚に近いので 言葉の意味が理解できず、「はぁ〜」と相槌を打つのが精一杯。個人的には風来坊みたいな人への憧れもあったくらいなので「開店プロという道を外れた生き方だとそう感じるのかな」と思った程度。

あれから約20年、パチプロの道を歩まずに社会に出て仕事をしている自分にも 彼の言った言葉が理解できる年齢になりました。確かに、「ポテトチップ食ってる頃」が一番、かもしれません・・ 当然、大人になってから20代の頃、30代になってからの方が楽しいことも一杯あるのですが、同時に悩みや過去への哀愁が増えるようになった気がします。 ポテトチップ食ってる頃・・ どういうわけか、今でも彼の言葉を忘れることができないのです。



■計量器?

急に思い出しましたが、昔は一部のパチスロ専門店で、出玉を数える「計数器」ではなく、重さで量る「計量器」を使っているのを目撃したものです。自動的に箱の重さがマイナスされ、一瞬で枚数表示されるのが合理的といえば合理的なのですが、、、やっぱり誤差は出てしまうでしょうねぇ、、、店側も打ち手も、おおらかな時代でした。

また、現在は一台毎にメダル貸出機が付いているのが普通ですが、昔は二台に一つが常識でした(パチンコも)。もっと寂れた店に行くと台間サンドが無く、カウンターで1000円を渡すとメダル50枚が筒に入った状態(銀行で小銭を大量に両替するときのアレに似ています)でもらえるところもありました。変わりどころでは、台間サンド以外に100円で5枚貸し出しする機械が置いてあったところでしょうか。スロットなのにラッキーナンバー制(斜めに揃えると継続)だったりして、その店ならではのルールを把握するのに時間がかかったものでした。


■池袋

東京というところは戦後早くから発展してきたせいか、古めの建築物や店が多く残ってるもんなんですね。70年代は当たり前、60年代以前のものも共存しているのが、地方と異なる部分です。

都心直下の池袋、ここは奥の深い街でした。西口や北口?、そこから地下をくぐって出る東口あたりはタイムスリップした感じにさせられたものです。古い台もやたらとみかけました。ビッグカメラの真正面にあったメダル式アレパチ専門店、西口のスマートボール店等です。北口にあったFという店は、シマ間がものすごく狭くて、後ろを通れないのは当たり前、台と椅子の間隔も狭いのでそのままでは玉箱が置けず、下から引き出しを出すなんてところもありました。ああいう雰囲気は90年代初頭までに消えてしまいましたね。