昨年13歳の少女とのセックスを撮影したヴィデオテープの存在が明るみになり、公判を待つR・ケリー。児童猥褻のスキャンダルなど、日本なら致命的なダメージだろうし、アメリカでも60年代までなら間違いなくそうだったろうが、今は違うようだ。成功した黒人をメディアや刑事司法が陥れようとしている、というアフリカン・アメリカン・コミュニティに広く浸透した陰謀論を背景に、シングル(9)はアーバン・チャートで1位になったほか、ポップ・チャートでもトップ10入りを果たした。それだけでなく、B2K"Bump,Bump,Bump"、アイズリー・ブラザーズ"What Would You Do?"、JS"Ice Dream"と次々にプロデュース作品もヒットさせているケリーは、この人生最大の逆境をそのキャリアのピークに変えようとしている。
90年代初めに台頭したニュー・ジャック・スウィング世代には珍しく、自ら曲を作り、トラックをプロデュースし、アレンジする作家であるケリーは、モダンR&Bの最も実存主義的なセックス・フリークであり、古くから偉大なR&Bの核心にあった救済としてのセックスというディレンマに新たなひねりを付け加えてきた。実際、いくつかのアルバムではその偉大さに手が届くところまで来ていた。95年の≪R.Kelly≫と、なかんずく98年のダブル・アルバム≪R.≫でのケリーは、恐るべき才能の持ち主に成長していた。セックス・ソングは共鳴していた。というのも、内省と釣り合いがとれていたからだ。罪の意識と不安に苛まれ、神、死んだ母親、不在の父親、自分が裏切ってきた女性たちとの関わりを論じ尽くすケリーは、傷つきやすく、欠点のある、人間的な存在に聞こえたものだ。
想像力の働く余地が全くないワンプレイごとの詳細なセックス・リポート集だった前作≪TP-2.Com≫(2000年)が、単なる製品としてしか機能しない自己満足の試みであり、誰かを支配し、所有しようと望む肉欲獣ぶりが目下児童猥褻スキャンダルの渦中にあるケリーのイメージにぴったりフィットするとすれば、この6作目はそこで失われかけていた才能の輝きを取り戻している。くだんのスキャンダルには全く言及せず、女性の肉体を自動車にたとえた先行シングル(9)以外はおなじみの好色ぶりもすっかり影をひそめたこのアルバムでは、それらをレコードの外に蹴り出すことで、いつもの快楽と苦悩の葛藤を、現実と音楽的な空想の緊張関係に置き換えてしまったかのようだ。
≪Chocolate Factory≫は、音楽的にはケリーの作家としての成熟を物語る充実したコレクションになっており、その出来は先に触れた2枚のアルバムに匹敵する。口当たりのなめらかさがその複雑さを欺く甘美なメロディ、一人の女性を巡って争うメロドラマ・ソウル(15)で共演するロナルド・アイズリーから学んだファルセット、スムーズに滑るようにはじまり、メリスマと共に激しさを増すサム・クックの技法を会得したテナー・ヴォイス、60年代から70年代にかけての地元シカゴ・ソウルのエッセンスを吸収した優雅なオーケストレイションを合成して、愛のファンタジーを描き出すスウィート・ソウル・アルバムに仕上げている。
90年代で最も影響力のある男性R&Bシンガーだったケリーは、他の連中のように歌いすぎることはない。骨っぽい粒子状の声はグロウルからファルセットへと感情を燃え上がらせ、情熱を声のデカさや力みと勘違いすることはない。そのヴォーカルは、低音のラヴマンのグロウルを取り除き、甘く悲しげなニュアンスを表現させると目を見張るものがある。説教するよりも祈り、けばけばしさよりも繊細さを優先させると一層際立つのだ。それでも、最も愚鈍で淫らなときでさえ、ケリーは決してギャングスタのエートスを共有することはない。彼は一人の女性に狂っており、少なくともある時点ではつねにそうだ。たとえそれが一瞬だとしても、たったひとりの女性が関心の対象なのである(それが現実には年端もゆかぬ少女なのだとしても……)。
ケリーの声の焦点と強度は、独特のやりかたでトラックからトラックへとステップを踏み、滑っていく。時として、しっかりした楽曲さえなく、メロディの即興が続くだけのこともある。それはまるで、もたれかかり、つきしたがうべき構造もないまま、雄弁な演者がひたすら宙吊りにされた瞬間をもちこたえているだけのようでもある。豊饒で肌理細かいバッキング・ヴォーカルは、アルバムを通じて、単にスペースを埋めるだけでなく、音楽の織物に欠かせない縫い糸になっている。たとえば、(7)は結婚のプロポーズだが、そのトリックは、くるくると旋回しながら無限に折り重ねられた"forever"というフレーズが、ただの奇術に終わることなく、真摯な祈りに変貌していくところにある。これこそケリーがR&Bを変革した方法論の最も深い部分にあるものだ。つまり、ヒップホップからR&Bにもたらされた表現豊かなストーリーテリングが、ビートではなくナラティヴを通じて、まるで根なし草のように漂流していくのである。そこでは、永遠の愛の誓い、セックスの誘い、リミックス、語りのインタルードといった全てがダラダラとひとつになっていく。音の存在する量と質の一貫性は、アルバムについてのどんな伝統的な概念以上のものを要求している。
このような気さくな配列ぶりは途方もない多様性を許容する。恋人に捧げる賦であるタイトル・トラックは、プロダクションとアレンジメントがちょっとバリー・ホワイトっぽいだけでなく、全体になんとなくホワイトのクラシック"It's Ecstasy When You Lay Next To Me"を連想させる。優しく薫る微風(2)は、シカゴ・ソウル伝統のステッパーズ・スタイルにのっとっており、しっかりした楽曲というよりもひとつのノリに近いが、幻惑的なくらいセクシーでやみつきになるくらい愉快だ。背中合わせの愛の誓いである(7)と(8)はみずみずしく純粋にロマンティックだが、前者が50年代ドゥーワップと70年代リオン・ウェア調のオーケストレイションを美しく合成しているとすれば、後者は混じり気のないスティーヴィ・ワンダーっぽさをにじませる。コンガに乗った(12)は不気味なくらいマーヴィン・ゲイに瓜二つだが、(13)でもゲイのクラシック"Mercy,Mercy Me(The Ecology)"から直接引用されたかのようにケリーが"whoa"とうめく。
収録曲中唯一いつものように淫らな大ヒット・シングル(9)は、メロディが貧弱だった前作の悪傾向を引き継いでいてリミックス(10)のほうがマシなくらいだが、ドニー・ライルのブルーズ・ギターが背景で轟く(3)、アル・グリーン"Love And Happiness"からギターの装飾フレーズを借用し、サザン・ゴスペル・ソウルに仕立てた(6)と、ケリーのその作家としての成熟ぶりと多彩さを表現したナムバーが続く。あてどなくさまようR&Bジャムやゴスペルのスクリームだけでなく、ピアノに導かれた聖歌(5)にジャ・ルールを引き入れる。ケリーはタイトなリズムを刻むベースと濃密なバックアップ・コーラスのなかに自分を位置づけながら、あたかもエリック・サーモンの輪切りにされた声の科学を経由したマーヴィン・ゲイのように、光沢のある断片的な音の層につめかえていく。
もっとも、収録されなかった後述≪Loveland≫の他のトラックに差し替えたほうがよかったような出来のトラックもある。続き物と化しているロナルド・アイズリーとのソープオペラ・ソウル(15)にはいささか食傷気味だし、ケリー自身が定番化させたスパニッシュ・ギターをフィーチュアしたラテン調に、ティムバランド風のアラブ・ハーレム・グルーヴと最近USでブレイクしているダンスホール・チャットを組み合わせた(16)は、機を見るに敏なケリーらしいが、たいしたことはない。
1ヶ月限定で添付されたボーナスCDは、このアルバムの前身で、昨年リリースが予定されながらも、インターネットに漏洩し、またアルバム・タイトルがスキャンダルを連想させるという理由でおクラ入りになった≪Loveland≫からのトラックが集められている。先行シングルとしてカットされながらスキャンダルのあおりを喰らってヒットしなかった佳作(3)、"I Believe I Can Fly"以来おハコのインスピレイショナル・ゴスペルに後期ビートルズを合成した映画≪Ali≫の主題歌(4)、夢見るようにスウィングする(5)、抒情的な心象風景を描く(6)と、素晴らしいナムバーが揃っている。(2003.8.17) A MINUS