ヒップホップが生んだ最もビートルズに近い存在であるアウトキャストのこの5作目は、さしずめ≪The White Album≫にあたる作品だ。自分の思うまま、気の向くままに音楽を作りたいアンドレ3000(ジョン・レノン)と、グループとしての活動を大切にしたいビッグ・ボイ(ポール・マッカートニー)は、バンド解散というありがちな展開ではなく、それぞれのソロ作品から構成されるダブル・アルバムというかたちで、次第に広がる互いの音楽観の対立を止揚してきた。
アンドレの≪The Love Below≫は、いかにもラッパーのくせにクラリネットを習ったりする奇人変人らしく、もはやラップ・アルバムとは言えそうもない。ほとんど歌っているだけでなく、ビッグバンド・ジャズからクラシカル・ストリングス、ラウンジ・ポップ、ギター・ポップ、ノラ・ジョーンズとフォーク・バラッドをデュエット(18)、スタンダード(17)をジャズンドリル&ベース化して自らジャズ・ピアノ演奏と、閃きのおもむくままにやりたい放題。コモンが≪Electric Circus≫でやりたかったことを完璧に実践してみせた、という感想を抱かせる。ジョージ・クリントンっぽいヘンテコなリリック、キャミオのラリー・ブラックモンのモノマネ、ヴィンテージ・シンセや808、303の使い方もウマい。ほぼ全面的にファンク・ヴォーカル仕様のラヴマン・クルーンを展開しているが、ラスト(20)でみせる、ビートではなく、メロディやベースラインに対してラップするアンドレのライミング・スキルもさらに向上している。
プリンスが作り損ねた、めかしこんで滑稽な≪The Love Below≫は、セックス、感傷、理想主義、放縦、アリーヤーのサムプル、エイフェックス・トゥインのビートを詰め込んで、誠実さとパロディとのはざまでもつれた道を心地よさげに進んでいく。アンドレは、マックを手本にした70年代の黒人男性の男らしさの概念を拒絶したプリンスのセクシーさほど過激ではないが、そのラヴ・クルーンに自虐的な調子で釘を差す感じがむしろブーツィ・コリンズを呼び出している。シングル・マザーに対する思いがけない心からの献辞(15)や、力強いクワイアじみた忠告(19)では、アンドレは鎧を外して本音をさらけだし、さらに輝いている。
カラフルなリボンがきらめきながら漂うような音楽も印象的。耳ざわりなギターで幕を開けながら、物腰柔らかなラウンジ・ジャズに変貌する(2)、プリンスっぽい曲調をスウィングする(4)、ふさぎこんだニューウェイヴ・ポップ調のバラッド(13)。快く甘ったるい(7)は、ファンク・ベースの泡立つ感触で彩られたギターラインがゆったりと積み重なる。ジョーンズのゼイゼイいうアルトとアンドレの細かく裂けるファルセットが見事な対照をなす(18)。ルー・リードが完璧なロックンロール・ナムバーと評した(9)の美しさは、ヒップホップのようにはまるで聞こえないがヒップホップ以外のなにものでもない、というところにある。60年代のサーフ・ロックのリフにブーツィ・コリンズの回転を施し、トニー・ベイジルばりのハンドクラップを放り込み、デイヴィッド・ボウイのブルーアイド・ソウル・クラシック"Young Americans"をピクシーズがカヴァしたようなインスタント・クラシックに仕上げた。アンドレはマイルズ・デイヴィス、ジミ・ヘンドリックス、スティーヴィ・ワンダー、プリンスといったブッ飛んだ黒人幻視者の系譜に連なる鬼才であることを再確認させられる。
もっとも、前作≪Stankonia≫のスペースエイジ・ファンクを発展させたボイの≪Speakerboxxx≫のほうが、アルバムとしての出来は上かもしれない。それ自体で傑出したヒップホップ・アルバムであり、いつものゲットー・ ファンクにゴスペル、ロック、サイケデリック・ソウルを組み込んで不条理な高みに登りつめる。アンドレが変人で何でもできることは誰でも知っているが、そのぶんこれまではグループにおけるボイの存在は疑問視されていた。しかし、ここで彼はこれまでのアウトキャストのコンセプトの少なくとも半分は自分のものであることををはっきりと証明している。
≪Speakerboxxx≫は、カットマスター・スウィフトの制作したエレクトロ・サムバ(1)で幕を開けるが、波打つベースとこだまする女声のおかげで≪ATLiens≫のアウトテイクのようだ。音楽的にも≪The Love Below≫よりずっと実験的で、フックというよりも、メロディ同士が滲み合い、泥から光り輝く宝石が生まれるまでメロディを堆積させ続ける。フーリガンが騒ぐレイヴ・テクノとディープ・ソウルのテクスチュアを交差させたアンドレ制作による(2)は、眩暈がするほどひっきりなしにBPMが変化する幻覚体験だ。パティ・ラベル"Love,Need&Want You"のフックが、ぶっきらぼうに雰囲気やテムポを変化させ、スタッカートのブーツィ・ベースが落ち着きなく再開する。そこから、余計な自意識は消え失せ、アルバムは純粋な高みに登りつめる。喜びと悲しみの性質をめぐる哲学的な瞑想、幼年期の痛みをめぐる丁寧に掘り下げられた反芻のまわりを、メランコリックなノリではい回る(3)は、スリーピー・ブラウンのなめらかなバッキング・ヴォーカルに、曲半ばで陽気なキーボード・ビートからゴスペル色の強いフリルのアルペジオへと変化するミスタDJ”チャーチ”のコムピュータに溺れたビートと、いつものキャスト節を満喫させる。騒がしいコットンクラブ・スウィング(4)は、セカンドラインのホーンズ、圧搾されたギター、Pファンクっぽいリズム、ありえないくらいドープなフックといったキャストならではの美学を祝福する。サンターナじみたギターとラテン・ソウルっぽいノリがブレイクでEW&Fのギグに向かうタクシーに早変わりし、フックでスリーピー・ブラウンがマーヴィン・ゲイにオマージュを捧げる(5)のミニマルな808ベースラインは、アレックス・リーズのスムーヴ・ジャングルを思わせる。ニューオーリンズのガムボとロングビーチの脂ぎったチーズバーガーを架橋し、マリアッチ調のホーンズが咲き乱れる(6)。(9)は神に捧げるゴスペル・ブレイクダウンと共にジョージ・クリントンにオマージュを捧げる。狂暴に突き刺すホーンズに区切られた(18)は、テレミンが発狂したかのよう。PTAの会合に出席する反戦ギャングスタとしてふるまうボイのリリックは単親(6)、イラク(泡立つサイケデリック・ソウル[8])、心地よい履物(複雑に入り組んだエレクトロ・ヒップホップ[14])を扱い、内省的な側面ものぞかせる。(2004.6.13) A