Timbaland
Shock
Value
Mosley Music Group/Blackground/Interscope
ポップ・ミュージック史におけるTimbalandの立ち位置は、James
Brown、Quincy Jones、Phil Spectorの3人と比較すると見えてくる。
まず、一番目だが、とりあえず、ファンクとは「James
Brownが、アフロ・キューバン・ミュージックにヒントを得て発明した、バックビートではなくダウンビートを強調する、リズムに対するアプローチ」である、このことがFunk-ologyの論駁の余地のない第一公理なのだ、ということが理解できなければはじまらない。ファンクは8ビートじゃなくて16ビート、などという表面的で的外れな見解は、胡乱な日本の評論家だけにしか聞かれまい(なぜなら、JBには8ビートの紛れもないファンク・ナムバーがあるのだから!!) JBはこの発明によって、以後ポップ・ミュージックにおけるリズムのあり方を根本的に変えた。Timbalandは、以来はじめてJBとは違ったやり方でダウンビートを強調し、グルーヴに新たな可能性を見出した存在である。JB同様、Timboは、ラッパーやシンガーとリズムとの関係を更新することに成功したのだ。その鋭く痙攣するビートの魔法にかかると、十代向けのアイドルが前衛になり、古株のポップ・スターはヒップになり、荒くれラッパーは洗練される。
しかし、違いもある。JBの最盛期は、レコーディング・スタジオで生バンドが吹き込む時代だった。James
BrownはJB'sを率い、プロデューサーはバンド・リーダーでもあった。その後、エレクトロニック・プロダクションが優勢になると、音楽制作のプロセスはずっと抽象的なものに変わったわけだが、Timboの最新シングル"Give
It To Me"はこの点で興味深い一節を含んでいる。マイアミを拠点に活動するプロデューサーで、かつて補佐役の一人だったScott
Storchに対する積もりにつもった不満をぶちまけるのだが、「オレはホンモノのプロデューサーだが、貴様はただのピアノ弾きじゃないか」と嘲るのだ。じゃあいったい「ホンモノのプロデューサー」とはどんなことをする人なのか? 今どきのプロデューサーがどんな道具を使って仕事をしているのか、なんて制作現場に関わりのないド素人にはサッパリ「見えない」はずだ。まぁ、コムピュータが噛んでるな、くらいはわかるだろうが。
この点が次の違いに結びつく。JBはホンモノのスターだった。しかし、Timboはそうありたいと願い、活動してきたにすぎない。ヒップホップ・プロデューサーが自身に注目を集め、スターになろうとする場合の解決策、それはDr.
Dreが効果的に、Kanye Westが見事に成し遂げたことだが、自分もラッパーになることだ。ビルボード・トップ40のNo.1に5曲も送り込んだ昨06年は、Timbalandにとって、Missy
Elliott"Get Ur Freak On"を生んだ01年以来の実りの年だったが、同時にまた、ポップ・スターとしての地位を手に入れるという不相応な野心を加速させた年でもあった。自分の制作したヒット・ソングに自分自身を織り込み、顧客をデュエット相手にした。"SexyBack"や"My
Love"でJustin Timberlakeとわたりあい、"Promiscuous"でNelly Furtadoと、"Wait
A Minute"でPussycat Dollsとぎこちなく戯れたのだ。だが、どうあがいたところで、マイクロフォンの前のTimboはWestのように魅力的ではないし、ラッパーとしてのお題にしたところで、相も変わらぬプロデュースすること、そして、自分が成し遂げたことに相応しい扱いを自分が受けていないという、裏方のプロデューサーにありがちな不満に終わっている。
ところが、通算5作目となる≪Timbaland Presents
Shock Value≫(Mosley Music Group/Blackground/Interscope)は、これまでのようにMCとしての自分を前面に出さない、最も野心的なアルバムだ。ここで二番目の比較が出てくる。アルバム・ブックレットのクローズアップ・ショットが、Quincy
Jonesそっくりなのだ。実際、≪The Dude≫、≪Back On The Block≫、 ≪Q's
Jook Joint≫といったQuincyのオールスター取り合わせアルバムが、このヒップホップ・ベースのジャンル衝突の雛形になっている訳だし、まるでこの世に彼の出演依頼に応じぬ者などいないかのようなゲスト・リストも然り。いや、その手法の革新性から来る幅の広さは、Quincyを越えているだろう。この後も、Bjork、Duran
Duran、Madonna、そして噂の段階だがColdplayと控えているのだから。
くだんのシングル"Give It To Me"は、筋肉質のリズムとうまくはめこまれたシンセサイザーの点描から組み立てられた中毒性の強いトラックで、Timboの半ばラップし半ば唄のヴァースが、Nelly
Furtadoの亡霊じみたコーラス・フックとJustin Timberlakeの少年っぽい嘲弄との間にきちんと収まっている。
アルバムのどの衝突もこれほどうまくいっているわけではないが、少なくともどのトラックも聴く価値はある。Keri
WilsonとD.O.E.を起用した"The Way I Are"は眩暈がするようなエレクトロニクスの誘惑だし、淫靡なエレクトロ・ファンク"Release"は、Blue
Oyster Cultのカタログ全部から寄せ集めた以上のカウベルを突っ込んで、Bootsy
Collinsもかくやのいかれた震え声でTimboが吠える。アルバム唯一のTimの本当のソロ・トラック"Oh
Timbaland"は、ふざけたピアノ・ループ、威嚇的なシンコペーション、そしてTimberlake"My
Love"、Omarion"Icebox"と目下熱中しているストロボのように瞬くシンセサイザーから組み立てられており、Nina
Simone"Sinnerman"をサムプルし、 Simoneの声を加工して自分の名前を叫ばせる。
アルバム後半を支配するロックとの実験も面白い。Fall
Out Boyと組んだ"One & Only"は、これまでになく未来派的なエモ・ロックで、高速ロックンロール・バックビートではじまり、セカンド・コーラスの後、減速し、サウンドをほぼ変えぬままリズムを転覆させる。LAの若手バンドOne
Republicを起用した"Apologize"は、そこそこのロック・バラッドであるはずの曲を湯気を立てるカウンターリズムが変貌させる。たわいもない"2
Man Show"にしても、クレジットにその名前を見つけただけでオェーッと叫びたくなるElton
Johnにピアノを弾かせるのみで、決して歌わせない、というアイデアだけで素晴らしい。
Missy、Timberlake、Dr. Dreを起用した"Bounce"は、ヘヴィなダウンビートがラップのヴァースをほとんどサボタージュしてしまう。シンコペーションを感じることはできるが、ほとんど聞こえない。しかし、曲の終わりになると、全てがストップする。残されたのは、それまで感じるだけだった想像上のシンコペーション、すなわちシャックリのような音のループだ。ここに至るまで全曲を費やして、トラックを駆り立て、悪ふざけでもするようにバランスを無視してラッパーたちを隅に押しやった。そのシンコペーションをはっきり耳にすると、それしか記憶に残らなくなる。このプロデューサーとしての自己主張の激しさが、第三の比較へと導く。
事実、Timbalandは、シンガーから良いところを引き出すようなセラピスト・タイプのプロデューサーではなく、逆に顧客を挑発せんと自負する。顧客はその変態じみたビートを生かすやり方を自ら見つけなければならないのだ。そのため、彼のプロダクションは、Phil
Spectorがそうであるように、一回聴くだけだと失敗した組み合わせのようにしか聞こえない。だからこそ、その音楽は予想もつかないが、Timbalandのサウンドだ、と誰でもはっきり識別できるものなのだ。
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