[西東京]

静かな住宅地を選手がママチャリで走る。

 東伏見という地名を聞いて、何の反応もしなかったら、日本のスポーツファンとしてはちょっと怪しい。僕にとっては、もっぱらアイスホッケーだが、言わずと知れた早大ラグビーゆかりの地。
 などという言い方をすると、何やら聖地然としたイメージを持たれてしまいそうだが、狭い坂道をママチャリに乗った選手が走る、静かな住宅地である。
 選手とはもちろん早大の選手。アンダーシャツまで白い、ひと目で早大とわかる独特のユニホーム。日本野球の歴史上、特別な意味を持つスタイルである。そのユニホーム姿が、ここでは日常として街に馴染んでいる。どこにも「聖地」などとは書いていないが、そのママチャリが追い抜いていくと、「ああ、そうなんだな」と思い直す。しかし「厳粛な気分になる」というのとも違う。何気なさと重みが交錯する道の途中で、年季の入ったグラウンドに遭遇する。ここではじめて「聖地」という曖昧な概念は消化される。
 和田(ホークス)、青木(スワローズ)...プロで活躍する早大出身の選手はここで育てられた。そう思うとラグビー場が上井草に移転した後も、厳かな佇まい。早大東伏見グラウンドは、一見地味な野球場だが、中身は結構聖地である。


早大東伏見グラウンド。左翼110m、右翼102m。87年12月、安部球場より移転

 準硬球は、一見軟球だが、中身は硬球である。準硬式野球は、一見硬式の格下のようだが、中身はそうとも言えない。早大の18番左腕(遠藤というらしい)はコントロール良く、どこにでも思い切り良く投げてくるので、見て気持ちが良いというか、すぐに気に入ってしまった。明大の19番右腕はサイドとアンダーの間のような変則フォーム。変化球でフライを打たせ、早大18番とのコントラストを演出。
 縫い目のないボールを気に止めなければ、硬式の試合を観ているのと遜色ない気さえする。何せユニホームも硬式と同じ。今日はリーグ戦だが、その所属チームはこの早大と明大の他、慶大、法大、立大、東大...。
 つまり「もうひとつの東京六大学野球」なのだ。観覧設備と言えば、ネット裏に2段の客席があるだけ。アナウンスはハンドマイクで喋りながら記録をとっている。そういう環境だが、早大はチアリーダーが来ている。農大球場での東都二部リーグ戦でも感じた事だが「応援ってどこでもできるんだな」と思う。言い換えれば、「学生野球」の雰囲気って、学生がいればどこでも作れるんだな、と。


硬式と同じユニホーム。

 僕は神宮球場が一番好きなので、その器にもっとも馴染んでいる東京六大学リーグの雰囲気が好きだ。どちらも「変わらない」ところが良い。試合は熱い。応援も熱い。しかし殺気だっていない。熱いのに癒される。お揃いのユニホームを着ていないと入りにくいプロ野球の外野席と違って、気勢を上げる応援団のはす向かいで欠伸をしていても不自然でないような...。
 更に「らしさ」という点では早明戦だ。神宮をそのままスケールダウンしたようなこの野球空間に、そのエッセンスを感じられるのも好ゲームのなせる技である。
 決して快適ではないが臨場感という点では随一の観戦環境で、投手の持ち味は「会話」をしているようにリアルに感じられる。
 早大の18番がはじめて迎えたピンチは四回。四球で出した走者に盗塁を許し、更に送球ミスで無死三塁にされ、クリーンアップを迎える。三番は一塁線のゴロ。走者は還れず。四番は一塁ファールフライ。このじりじりした感じ。チャンスなのに、ちっともチャンスという感じがしない、もどかしい感じ。それを見透かしたかのように、五番を三球見送りの三振。外と低目のコントロールに惚れ惚れする。


早大18番が好投。

 打者の技も臨場感たっぷりに味わいたいが、観客の誰かが「貧打戦だな」。しかし僕は投手が良いと見る。早大もその裏、満塁のチャンスを作った。しかし第一打席で二塁打を放った一番打者が初球遊ゴロ。投手が良いから、じりじりする。ギリギリまでじりじりして、誰かがスカッと決める。それも好ゲームの一スタンダードだ。
 ある年配の観客が「明日、法政が勝たないと」。
 明日、法政が勝たないと、早稲田や明治がどうなるのか。リーグ戦の状況を把握しいる人でないと理解できない台詞である。もっとも台詞の主はいかにもOB然とした人物。リーグ戦の状況どころか、リーグの事は何でも知っていそうだ。
「もうひとつの東京六大学野球」の歴史についてはよく知らないが、ユニホームが同じなのと、何より雰囲気がそれらしい(準硬式だと言われなければわからないだろう)ので、やたら古い歴史があるように思えてくる。七回裏の早大の攻撃前に応援団がちゃんと歌を歌う。気分は神宮である。だが試合の方はその表に動いていた。


ハンドマイクでアナウンスをしなから記録をとる。

 早大18番左腕は、今日ほぼ完璧な投球だ。見送り三振する選手は、他の球にも手が出ない。手を出す選手も小さくすくい上げる。しかし七回は先頭の四番を歩かせる。それまで良かった投手が先頭を歩かせるととたんに乱れるというパターンは多い。五番への初球、尻にデッドボール。六番バントで二、三塁。この状況なら確かにバントしかない。さて七番をどう抑えるか。
 やはりというか、スクイズのそぶり。これを見抜きウェスト、またウェスト。打者も守備も定石通りの事をやっている筈だが、臨場感と合わせやたら見応えがある。これも定石通りというか、挟まれる三塁走者。アウトもその隙に二塁走者は三塁へ。よくあるシーンが、妙にリアルに迫る。
 ホッと一息ついたか、あくまで外に構える捕手。が、すくい上げてはくれずレフト前ヒット。明大ようやく先取点。
 応援歌に背中を押され、その裏逆転の筈だった早大。一死満塁と似たようなチャンスを作る。特に先頭で出た代打は、他の打者が見送って三振の球をあっさりセンター前。これで流れが変わると思った。で、バッター四番、絵に描いたようなチャンス。
 強打か、スクイズでやり返すか。しかし今日の四番は一邪、左邪、ど真ん中見送り三振。ならばスクイズかといったところだが、ダメな時はスクイズも決まらないらしい。定石通りというか、挟まれる三塁走者。アウトで四番もインハイのボール球を空振り三振。ユニホームを着た人物が観客の目の前を通りながら「スクイズなんてダメだよ」。監督か?まさか。


これぞ学校のグラウンドという感じの「白板」。

 軽く戦評。ほぼ同じバイオリズムを描いてきた両チームが終盤、同じようなチャンスを掴み、ほんの少しの違いが明暗を分けた。1-0で明大が逃げ切り。とにかく、レベルが高くないと中々観れない展開ではある。
 では、なぜ彼らは「準硬式」なのか。
 準硬式の選手にも、甲子園に出場したほどの選手は珍しくない。今日のメンバーの経歴についてはよく知らないが、だとしても不思議はないと思わせた。なぜ彼ら(一般的な準硬式選手のこと)が硬式に進まなかったかというと、硬式の野球部にはまだ4年で卒業できないところがあり、大学の硬式野球部(特に六大学)に進むという事は、ある程度野球で食べていこうという決意表明のようなものだが、そこまで決断できないとか、野球の推薦で大学に入るため、という事らしい。
 で、しっかり野球をやる傍ら、ちゃんと4年で卒業する事を優先し、教員を目指す者が多いという。
 これは以前、準硬式を取り上げた際に、ある人からメールで教えられた事だが、だとすると準硬式というジャンルには、かなりしっかりとした「存在意義」がある事になる。「もうひとつの東京六大学野球」には、各選手の「野球人生」とか「スタンス」という点で、もう少し深い意味があるような気がする。(2004.5)

※これを書いている06年3月、ロッテ浦和球場での教育リーグで、関学大の準硬式野球部から西武ライオンズに入団した新人・山本歩投手が初登板。2イニングを1安打0点に抑えた。

戻る