[宇 治]

太陽が丘の案内板のようなものだが、絵はちゃんと掘ってある。凝った造り。

 広大な山城総合運動公園は「太陽が丘」という通称を持ち、第一野球場は「太陽が丘球場」という名の方が通りが良い。
 この「太陽が丘」という名が、新興住宅地にありがちな、土地のイメージを上げるために無理矢理付けられたの名前のようで、京都らしくないな、という気がした。
 いわゆる「京都」と「京都府」ではかなり意味が違う。京都が日本の首都だった時代の京都、つまり京都市の一部の出身である某漫画家によると「京都市民は市外の事を京都とは思っていない」らしい。まあ京都という街の歴史を考えると、そういうものなのかもしれない。が、市外の各地域もそれぞれ独自のブランド性を持っているのが京都府という所で、宇治もその一つだ。
 京滋大学野球連盟は、関西にある5連盟の一つ。2部リーグで構成される平均的な規模で、大学野球選手権にも単独で代表枠を持つ、やはり平均的なリーグだが、その成り立ちを説明するのはかなり骨が折れる。京滋という名の連盟は昭和30年代から存在するが、それがストレートに今の京滋リーグのルーツとは言い切れない。また関西六大学リーグの下部リーグだった時期もあるが、この関西六大学というのも、今の「関西六大学リーグ」とまったく同じであるとは言い切れない。つまり、かなりややこしい変遷を経ており、どのくらいややこしいかと言うと、「ロビンス」とか「ユニオンズ」が色々冠を代えていた時代のプロ野球よりもややこしい。


太陽が丘球場。正式には山城総合運動公園第一野球場。

 なので新興のイメージは未だ強く、それが「京」の字を付けながら京都とイコールにならない所以という気がする。そのせいか、この太陽が丘球場が主会場というのが何となくしっくりくるのである。
 ではこのリーグの「個性」とは何か。今日は春季リーグの開幕戦。昨秋優勝の佛教大と6位の京都教育大。何となく東北福祉大と宮城教育大がやるようなニュアンスだが、このリーグは一味違う。それが十分個性と言って良いが、もっと強烈なのは...。
 一部リーグの常連校は佛教大、花園大、大谷大...。そう、土地柄か京滋大学野球連盟は「仏教リーグ」なのだ。
 恥ずかしながら佛教大の名は、以前ブルーウェーブに選手を輩出した時にはじめて知った。当然、インパクトが強い。そもそも名前がストレートすぎるし、野球と結びつかない。試合の時はお経で応援したりするのだろうか、などとつまらない想像もした。
 が、普通に始球式。投げるのは「滋賀大野球部のマネージャー」。自前でやれる事は自前で、という事だろうか。「小欲知足」?余計な事を考える。


佛教大のユニホーム。意外(?)と普通。

 佛教大の先発・左の古田は昨秋のベストナイン。低目にスッと沈む球が冴え上々の滑り出し。しかし二死から早くも初ヒットを放った三番・大崎が京都教育大の先発投手だ。佛教大だけがDHを採用している。どうも平等でない気がする。
 この「平等」も仏教用語で、漢字で書かれる単語の多くもかなりの数が仏教用語だったりする。ちなみに野球に最もなじんでいるのが「自力・他力」だろう。野球に限らずスポーツは他力がかなりモノを言う。京都教育大の六番難波のゴロをショート乗田、前にポロリ。これが得点につながる。だが得点までのプロセスが面白いと、他力も自力のように見えてくるから不思議だ。
 難波はすかさず二盗。七番古澤バントの構え。ファースト前進。見越してヒッティング、上手い。ファーストの頭を越えた...がファール、惜しい。駆け引きは諦め、普通に打ったセカンドゴロで難波を三塁に進める。
 そして八番毛利がサードゴロで普通にアウト。ここで終わるところを、「他力」が動いた。


一人ひとりがやたらと野球に詳しそうな。

 三塁ランナー難波が飛び出していた。ファースト森川すかさず本塁へ。佛教大は儲けもの。ところがセーフ!わずか一瞬の間で、他力が双方に振れた。相手に作用した他力を、難波が一瞬の判断で再び引き寄せたのだ。僕はこういう点の取り方が好きで、6位ながら首位相手にそんな攻撃を仕掛ける京都教育大を気に入り、この仏教リーグがなかなか面白いと悟った。京都教育大は昨秋3位の花園大から勝ち点を奪っている。ちなみに部員わずか12人。こういう陣容で入替え戦もしのいだんだな、と少し尊敬。
 そんな刹那的余韻を打ち砕く「ホームラン」の破壊力。打ったのはさっき難波を本塁に帰してしまった森川。2-1で佛教大勝ち越し。無常だ。
 序盤に活発な動きを見せた試合は、1位と6位の対決とは思えないほど引き締まる。しかし佛教大のエース古田は一死一、二塁のピンチでも、いやピンチになるほど強気のストレート勝負。2-0で一球外すかというところで高目の速球。一打同点か逆転のチャンスで七番古澤これを見逃し三振。こういうピッチングをされるという事はやはり格下視されているのかもしれない。


チアリーダーもいる佛教大。曲は「タッチ」。

 そういう先入観で見てしまうせいか、これだけ良い勝負をしていながら結局最後は力の差が出て、終わってみたら9-1くらいの差がついて...などと想像するが、この試合は結局最後まで大して動かない。試合自体の面白さという点ではイマイチも、京都教育大の健闘は収穫だ。
 代わりに「仏教リーグ」のイメージは結構裏切られた(当たり前か)。チアリーダーがいるのも何となく違和感があるし、選手は坊主頭かというと違うし、「外道」とか「畜生」とかいうヤジもない。が、エース古田が3つのアウトのうち2つをわずか1球で取ると野手が「ナイス省エネ!」。スタンドからも「ナイス省エネ!」。阿吽の呼吸である。七回表終了。
 大して動かないと言いつつ、京都教育大には常に逆転するぞ的ムードがあった。これは凄い。「好ゲームが多い」という事で僕が贔屓にしている首都大学リーグでも、一部リーグに上がったばかりのチームと東海大の試合では大体見えている。東都大学リーグでも、東京新大学リーグでもその傾向はあり、東京六大学は言わずもがな。今日の試合では、この昨秋6位のチームに、勝てたらいいな的「下位意識」が感じられないのが凄い。むしろ2位が首位に喰らいつくような前向きなムードがある。センター星尾があわやの大飛球をランニングキャッチ。ベンチ、拍手で総出でお出迎え。元気な最下位チームだ。「戦国」の看板をこちらに移したくなってくる。仏教がかろうじて形骸化していない戦国時代である。


SLも展示されている。何となく「総合公園」のステータスという気がする。

 ベンチ前で凄い気合を入れる京都教育大。最終回の攻撃前。逆転できそうな気がしてくる。特に走者が二人いれば「俺がヒーローになってやる」という煩悩が沸々と湧き上がるだろう。
 その状況設定は意外と簡単に実現する。一死から当たっている六番難波と七番古澤が立て続けにセンター前ヒットを放った。さてこの試合とは関係のない話だが、九回裏、1点差、満塁、一死、カウントはボール3。四球で同点という場面で明らかなボール球をカットするというシーンを見た事がある。投手はいっぱいいっぱい。もう逆転サヨナラは目の前。俺がヒーローになる...なんて考えていたのかもしれない。が、結局連続三振で終わった。野球にはよくあるシーンではあるが、何となく教訓めいたものを感じた。で、仏教リーグ。八番毛利はセカンドゴロで一、三塁に。セカンドが前に落としたためゲッツーにできなかった。結果的には走者を進めたが、そういう意図はなさそうだ。
 九番山田。「山田、いつものスイング!」とベンチ。そのスイングはややアッパー気味。ボールの上を叩きぼてぼてのファーストゴロ。終わり。
 アッパーというのが象徴的だ。最後の最後に「ヒーロー志向」で墓穴を掘ったのだろうか。
 仏教リーグとは直接関係ないものの、何やら教訓を含んだ結末ではある。さてどうオチをつけたものか。
 やっぱり「分別」か。(2005.4)

戻る