[富士吉田]

晴れているのに、富士の方向に雲が。

 富士山が世界遺産になれないのはゴミのせいだと言われているが、聞いた話だと外国人から見て単に魅力がイマイチだから、という事でもあるらしい。あんな美しい山が(ゴミの事は置いといて)?とは思うが、その魅力があまりにも日本的すぎて、外国人へのアピールに乏しいという事は言えるかもしれない。そう思うと逆に、「富士山の魅力がわかる国民」である事に特権意識みたいなモノが沸いてこない事もない。
 野球もまた、魅力が理解されていないわけではないとは思うがワールドワイドとは言えない競技だ。中国で盛んになるともはやマイナーとは呼べなくなるが、道はまだまだ険しいと見る。そう考えると日本人が好きな「野球」と「富士山」はバックグラウンドも何となく似ている気がする。
 富士山が見える野球場というものが日本人のツボにハマるという事実(たぶん事実だ)に裏付けを見出すとしたら、日本人の「日本人だなあ」という内向きの充実感を満たすところにあると言える。富士山が見える地域に住んでいる人なら「富士山が見えるスポット」を無意識に頭の中にストックしている筈だ。
 僕の頭にも「富嶽三十六景」があり(実際は36もないが)、その中には富士周辺の野球場も当然ある。特に甲府の緑ヶ丘球場(08年より硬式使用不可)は絶景ポイントだったが、もっと富士が間近に見え、富士以外のものが見えない程富士に浸るなら、北麓公園野球場(以下「北麓球場」)だろう。


北麓公園野球場。バックスクリーン後方に富士がデ〜ンと控えている筈が、この通り。

 富士周辺には当然、富士がよく見える野球場が点在するが、それらは「富士に近いから富士が見える」というごく当り前の立場を守っている。何が言いたいかというと、北麓球場というのは、野球場である前に富士見スポットなのではないか?と思える程、富士との関係が尋常でないのである。
 何せ、バックスクリーン後方に富士山が「で〜ん」というロケーション。そうなるように設計されているであろう事は間違いない。富士山ありきのスタジアム。そこまで条件を絞り込めば、唯一だ。つまり、富士山が見える野球場ではなく、「富士山を見せる野球場」。眼前の熱戦を押しのけ、「はい、富士です」。
 この球場に行きたいと思った時、目的が純粋に野球観戦ではない事をどうしても自覚してしまう。どうしても富士山が付いてくる、というか富士山に野球場が付いている。
 そういうスタジアムなだけに、簡単には行けない。それでも駅からタクシーで1,500円くらいなので、凄く難易度が高いわけではない。荘厳だけど身近。そこは富士らしい。また電車に自転車を担ぎこむか。しかし地図を見ながらその等高線の密度に何となく腰が引ける。そりゃ富士の裾野だから。結局往きだけタクシーに頼った。


しぶとい雲。

 身近でも、少しでも曇っていると見えないのが富士山だ。野球も、その辺で沢山やっているが、絶妙の好ゲームに出会える確率は高くない。野球と富士を結びつけようとするも、野球は俗世で富士はその対極(充分俗世な気もするが)。鮮やかな富士と、熱い好ゲームを両方目の当たりにしたら、はて、どちらが霞むだろうか。
 北麓球場での試合は勿体つけているように少ない(緑ヶ丘球場が硬式不可になると増えるらしい)。富士が見える時間に呼応するように。だからここでの試合はそれ自体が自然現象の一部という気がする。そのくせ、普通の球場の普通の試合と同じに僕は考えていた。つまりナメていた。
 スタンドで父兄の人が一般の観客にふるまう麦茶。これが今日ほどありがたいと思った事はなかった。この1杯の麦茶を、試合終了まで、いや山を降りるまでチビリチビリとキープしなければならない。つまり販売機がない。売店もないのだ。周りに商店がない事は想定していたが、迂闊だった。今日が秋季大会であった事に少し感謝。夏の大会だったらちょっとヤバい。


いつも思うが、暑い中ガクランは御苦労。

 意図的に俗世を思わせるものを排除して富士を見る心構えでも促しているのだろうか。「特別なスタジアム」感は別の意味で申し分ない。それにしても喉が渇く。ほんのひと口。これをすぐには飲み込まず、喉の途中で止め、渇きが癒えたような気がしたところで飲み込む。
 いかにこの試合もたせるか。なんとなく眼前の甲府東というチームと立場が似ている事に気付く。相手は甲府工。言い換えれば、いかにコールドを免れるか。
 五回で0-3は意外と頑張っている。背番号1のエースが投げているが、小柄で小ぢんまりした印象。三番打者のレフト前に上がった打球がポトリ。突っ込まないレフトに若干苛立つ。無死一、二塁で四番。
 カーブ、カーブで立て続けにストライクが入る。いいぞ〜と父兄の声がする。一生懸命知恵を絞って投げている感じがする。開き直ってカーブで押し通してみたいところだ。しかし勝負できる球がないのか、あっさりライト前タイムリー。五番に3ラン。ほぼ勝負あった。
 なんとか2アウトを取った後、暴投?と思いきや、球が主審に当たり、後ろにそれない。そこで飛び出していた二塁ランナーをアウトに。なかなか面白い、と言うか珍しいものが見れた。


一人やたらでかい選手がいる。

 富士も見えれば言う事はないが、山の天気は街とは毛色が違う。スタンドの上には青空が広がっているのに、外野に向かって灰色の雲が伸びていく。下界は晴れているようでも、山の上は雲に覆われている事が多い。先頭打者の無意味そうなバントが簡単にアウトになる甲府東。既に勝敗の決まった試合の閉塞感。小サイズの紙コップ一杯分の麦茶で渇きをしのぐサバイバル。ここまで近くに来たのに、いつまでも灰色の真綿を纏う富士。野球的に究極の風流を味わいに来たのが、なんだか凄いオチになっている。
 甲府東のライト、背番号9がマウンドに立つ。彼が六回の甲府工の攻撃をゼロに抑えた。スピードは無いが、変化球とストレートのコントロールが良く、たぶん組み合わせも上手いのだろう。見送りの三振もひとつ取った。七回、甲府東が何と1点取ったので、その裏の攻撃が行われるわけだが、という事はこの9番のピッチングがまだ観れるという事で、それはそれで、この渇きと、つれない富士を忘れさせてくれるひとつのポイントなどと思ってみる。


わりと可視性の高いネット。地方でひどいところだと金網だったりするから。

 しかし、甲府工はひとかどの野球チームだ。今度はあっさり「逆らわないバッティング」をやってきた。先頭打者の2球目のファールはまるで「試し打ち」というか、次の球を右へキレイに打つ事を予告しているようだった。次の打者も、決まった打ち方があるかのように同じ方向にタイムリー。打者2人でコールド成立、終了。
 風がなくて雲が動かない。この勿体ぶった感じに、富士には意志でもあるような気がしてくる。実際、日本人は富士をそんな目で見ている。野球も色々と演出しやすいところがあるので、野球を見る目というものもそれに似ているかもしれない。
 富士は世界遺産にいま一歩。野球は2012年ロンドン五輪からの削減がひとまず決まっている。
 日本的なもの。しかし国内で邦楽が洋楽よりも支持されているように(僕は洋楽の方が好きなのだが)、日本人には日本人が育てたモノなり文化なりを「日本が一番」と思えるまでに愛し、育てる力がある。「世界」の顔色を伺うのではなく、日本人自身が熱狂的に支持する事が、外を動かす力になると思う。
 まず、富士山は奇麗にしよう。そして野球が好きな人は、秋の高校野球のような部分にももっと目を向け、その面白さを探り、魅力を語ろう。「日本人がこんなにも好きなモノ」は、バカにできないアピール力を持っている筈だから。(2005.9)

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