[東 京]

神宮名物、壮観なビニール傘の群。

 セ・リーグにはスワローズというチームが戦後からずっとある。それも東京に。
 子供の頃、最初に好きになったチームは中日ドラゴンズだった。その立場からするとスワローズはライバルだった。次に好きになったのは日本ハムファイターズだったから、順当にパ・リーグに傾倒するに至り、当然セ・リーグには反発心を抱くようになった。つまりずっと地元東京にありながら長いプロ野球ファン歴の中で、僕にはスワローズのファンであった時期というものがなかった。
 しかし家の近所にサンケイ新聞の販売店があり、店の人が神宮球場でのスワローズ戦のチケットをよくくれたりしていた。神宮の、後楽園球場にはない野趣にこの頃から惹かれはじめていた。
 それほど常に身近な存在であり、ファンになるキッカケが多々ありながらなぜ一度もスワローズのファンにならなかったか。今思うと「フジテレビ臭」が好きになれなかったのと(笑)、あとは嫉妬だと思う。90年代に黄金時代を築いたスワローズは、東京にあって「巨人のアンチテーゼ」的なポジションと、それに共感するファン層をしっかり掴んでいた。つまり同じ東京にあって一向に浮きあがれないファイターズという立場での嫉妬である。


スワローズに装うスタジアム通り。

 つまり身近ではあるが好きではない、というのが僕のスワローズというチームに対するこれまでのスタンスだった。
 その象徴である古田敦也。04年での球界再編騒動の際、バファローズとブルーウェーブの合併阻止に昼は選手会長として奔走し、夜は選手として八面六臂の活躍を見せた。合併は阻止できなかったが、1リーグ制を阻止し、楽天イーグルスの新規参入への道筋を付け、一チームの顔からカリスマへと変貌し、そのネームバリューが最高潮に達した後、選手兼任監督に就任した。
 その古田が最初にやった改革みたいなものが、チーム名に「東京」を冠するという事だった。「地域密着の一環」という事だが、東京の人間は地元というだけで簡単にはなびかないし、娯楽が溢れる東京でそう簡単に結果は出ないと思われたが、結論から言うと、何もしないよりはマシという程度の効果はあった。まず単純な僕がファンになった(笑)。
 で、少しづつ選手の名前など覚えながら神宮にも多少足を運び、セ・リーグの空気というものをたしなむ過程でこのチームに対するステレオタイプを壊されたのが巨人戦だった。


バファローズ戦にしてはよく入った方か(笑)。

 つまり俗に言われる「いつも神宮のほとんどを巨人ファンに占拠され」云々というのが誇大表現であったという事だ。「ほとんど」というからには9割以上をイメージするが、実際というか体感ではせいぜい6:4程度に感じられ、瞬時に「俗説」に込められたこのチームに対する悪意のようなものを悟り、同時に東京にありながら巨人に背を向けるという「気のいい奴ら」の心に共鳴するものを感じた。
 ただ相手チームのファンが少ないと神宮に来るスワローズファンの絶対数も少なくなるという不思議な傾向があり、バファローズ並びにパ・リーグの事には無知で、売り出し中の先発・平野佳寿の名がコールされても「平野って誰?」という具合で関心の薄さが露呈する。交流戦だって古田の尽力があって実現したんだよ。だから少しは対戦相手に関心を持とう、とツッコミたくなる。
 古田監督元年を飾るべくスワローズは珍しく大型補強を行い、飛びぬけた成績ではないものの獲得した選手は一応みな戦力になっており、この交流戦で貯金を作る程度には戦えている。今日のスタメンは青木、リグス、岩村、ラミレス、ラロッカを擁する重量打線。しかし投手は何となく盛りを過ぎた石井一。今のチームカラーが象徴されたメンバーだ。ちなみに選手兼任監督である古田はかって南海ホークスで監督、捕手、四番打者の重責を担った野村克也とは違い、選手としては控え捕手と代打に徹している。


神宮のスコアボードはたぶん日本一(08年にリニューアル)。

 スタジアムDJがスタメンの名をコールする。BGMは『Separate Ways』(ジャーニー)。去年までのスワローズがどんな感じだったのか知らないので比較対象がないが、何か新しくなろうという雰囲気は伝わる。ただイーグルスみたいに至れり尽くせりと言うか気合いの入り過ぎた演出というのは僕は求めてなくて、どこかに東京らしい素っ気なさが欲しいと思っているのだが、今日の打線が十分素っ気ない。
 平野は先日ライオンズを完封したばかりだが、それでもスワローズファンにとっては「知らない投手」。相手が聞いたことのない投手を出してくるとファンは強気になったりするものだが、あっさりヒネられる事もある。まず打順がひと回りしてヒットを打ったのはラロッカだけ。二回り目で青木の頭部に死球(危険球にはならなかった)。動揺したのかリグスにもストライクが入らず四球。岩村は叩きつけて内野安打。ここでたたみかければこの試合もらっていたが、ラミレス、ラロッカが続かない。満塁のチャンスをつぶすチームは勝てない。しかも直後に古田が自分を控えに回してまでホームを託す米野のパスボール(か石井一の暴投)で1点。地味なスコア進行の中にも嫌な要素たっぷり。試合自体よりもファンサービスとか情緒面(?)の話の方が今のスワローズは面白いかもしれない。


野球ファンや鉄道ファンはなぜか自分の子供も引き込む傾向がある。

 古田は監督としてだけでなく、ファンサービス面でも先頭に立ってチームを盛り上げようとしている。ただ冷静に見ると、古田が直にファンと接する事自体が十分サービスであり、古田自身が別段画期的な事を考えて実行しているという感じではない。古田直属っぽい形で「F-PROJECT」という、ファンサービスを企画し実行する部門を作ったりもしているが、どうもその存在自体がサービスになってしまっているようにも見える。
 その中で比較的ウケているのが、後の「傘振りコンテスト」の原型である(たぶん)「ヒップホップコンテスト」で、ファンの中からランダムに選んだ何組かに「ヒップホップ東京音頭」を踊ってもらい、選手が「優勝」を選ぶというもの。こういうくだらないのは大好きなのだが、別段専門部署を作らなくてもできそうな気がする。
 ファンの絶対数では巨人やタイガースに及ばないスワローズ黄金時代の人気の根拠というのは、弱かったスワローズがペナントを盛り上げる事でコアなプロ野球ファン以外の人々、つまり「プロ野球を取り巻く世間」の関心を引いた事に端を発している。その限りでは東京を本拠地にしているメリットがあったし、「相手チームのファン頼み」などと揶揄されつつスワローズの観客動員はスワローズ自身の成績が何だかんだ言って影響する。東京のチームが地方のチームと同じ考えで地方のチームと同じことをやっていてもあまり効果はないが、ひとたび「魅力」を発信すると東京という媒体がそれを増幅する。その方法は決して簡単ではないが複雑でもない。


レトロ。2010年現在は改修されてキレイになってしまった。

 強大な相手を倒す。それらのファンには憎まれるが、その外周にいる「世間」の関心を引く事は出来る。東京という立場で言えば、たかだか2チームが存在できなければ大都市とは呼べないし、プロ野球という立場で言えば首都での競合が成り立たなければ娯楽としては二流だ。そう考えるとスワローズというチームは結構大きい役目を負っている気がする。ただ、試合を観ていると甚だ頼りないが(笑)。
 もっとも無条件にチームを愛するファンにそんな理屈は無く、よく知らない投手に完封されそうになっても「まったり」「楽しく」、怒らない。
 七回、ライトスタンドを覆うビニール傘の群。なかなか壮観だ。大昔、弱いチームを盛り上げようと、それをはじめた一人の応援団長の心への共鳴がこの群を大きくした。決して強大なバックボーンを持たず「ファンの側」で育った、数少ない文化だ。

♪ ハァ〜 踊り踊るなら チョイト 東京音頭 ヨイヨイ

 12球団の応援歌の類で唯一の「五音階」。「みんなが一つの目標に向かってひたむきに心を合わせ」というよりは各々が思い思いの方向にエネルギーを散らすようなアナーキーさ。まだ西洋の音楽を知らなかった日本人が気勢を上げる時にはこんな旋律があった(『東京音頭』自体は昭和の作品だが)。そんな光景が都会の真ん中でまだ生きている、と思うとかなりカッコいい。
 何かに「抵抗」しているような...。遅ればせながら僕自身も共鳴をはじめている。(2006.6)

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