[茅ヶ崎]

国道を挟んですぐ海。海の近さでは随一の野球場。

 ボードを積んだ自転車に乗ったウェットスーツのサーファーが抜き去って行く。以前から実践したかった「サザンの『ラチエン通りのシスター』を聞きながら茅ヶ崎の街を歩く」をしながら湘南浴を堪能する。目的地は結局野球場なのだが。
 往来するサーファーを尻目に野球はやっぱり野球だ。泥臭く汗臭い。「湘南」とは相容れない世界に一見見える。しかし、オシャレなばかりの海というのはどうも嘘くさい。この街の野球場の存在は、海を海たらしめる「昆布のにおい」のようなものに思える。
 などと強引に位置付けてはみたが、この市営球場、2000年8月に行われたあのサザンオールスターズ茅ヶ崎凱旋ライブの会場として知られる。2日間で球場の周りは70,000人のファンで溢れかえった。それは集まった人の数が球場のキャパシティを遥かに超えるものだったからであり、それがかえってその様子を伝説たらしめる原因となった。東京ドームなどだったらそうはならないだろう。そんな事があってこの球場は神奈川県では横浜スタジアムの次くらいに有名なのではないだろうか。


参加チームが多いのは良い事だ。

 但し野球場としては硬式不可。有名な野球選手がここでプレーする事はない。しかし、そこに集う無名選手達は桑田佳祐御大が郷里にもたらした大きな何かに抱かれているように思える。また軟式野球は草野球をイメージしやすく、堂々と茶髪の選手もいたり、その緩さは湘南と相性が良さそうな気がする。
 と言いつつ天皇賜杯は、軟式野球では国体と並び最高峰の大会。その神奈川予選だから決して緩くはないが、気のせいかサーファー然とした選手が少なくない。
 野球の裾野の広さを感じさせるのが、同じ神奈川でも硬式(JABA)の倍ほどの参加チーム数がある事。企業チームとクラブチーム以外に役所のチームがあって、基本的にどこもノーシードだ。「ガラクタ野球部」という名前のチームが「パナソニック」と同じ土俵で戦うというのが面白い。
 一回戦のNEC相模原×新日本石油化学。名前的には硬派な対決だが、面白いのが都市対抗のようにチーム名を都市名で呼んでいる事。なのでここでもそれに倣い、NEC相模原を「相模原」、新日本石油化学を「川崎」と呼ぶ事にする。


これだけの野球場が軟式専用というのはもったいない。

 以前から「軟式のホームラン」というものが観たいと思っていたが、軟球をスタンドまで運べるパワーと技能の持ち主に今日は出会えるだろうか。しかし海辺の野球場は風が強い。それでも今日は心地よく感じられる。川崎のO倉投手は気の抜けたようなフォームからスピードのない球を投げる。何とも緩い野球観戦。最高峰の野球らしい熱戦となり、湘南の風景からこの野球場が浮かび上がるのは果たして何時か。「声出していこうぜ!」と気勢を上げる川崎ナイン。やっぱり野球はそうでなければ。
 相模原のI田投手がまた軟投派。カーブのコントロールが良く、打者の腰を引かせてセンターフライに打ち取った時は「やるな」と思ったが、連続で長打を浴び1点を失う。
 両チームに関する知識など何もないので、先取点を取った方がよほど勢いがあるように感じられるが、実はこれが川崎の唯一の得点だった。以後I田のストレートには押され、変化球は引っかけゼロ行進。それ以上に貧打だった相模原が五回表にようやく五番セカンドS木によりライト前初ヒット。振り抜かず、半分は当てただけのようなバッティングで結構打球が飛ぶ。バッティングセンターに通った事のある人なら、フルスイングした打球が飛ばないのに、当てただけの打球が鋭いライナーになったなどという経験があると思うが、軟球と金属バットという組み合わせを考えると(そういう現象は他の組み合わせでも同じ筈だが)、妙に共感というか、目の前のプレーが「感覚的に」わかるという面白さが軟式野球にはある。


観戦するのは身内だろうか。「軟式ファン」だったら凄いが。

 無死一、二塁で投手はK元に交代。速球派の登場で雰囲気が引き締まる事を期待もコントロールがアレで「(ストライクが)入んねーぞ」とヤジが飛ぶ。火消しに出てきたリリーフがいきなり四球というのはどっかのプロ野球チームを見ているようだが、2点に抑えるだけマシな気がした。
 それでもプロ野球ならここまでというところ、そう人材が豊富なわけでもないから続投。二番I藤のゴロは三塁ショーバン。これを捕れず打者走者二塁へ。このチャンスをどう広げたかというと、連続四球でまた無死満塁。「試合壊しにきたのー?」とヤジが飛ぶ。しかし1点に抑えるだけやっぱりどっかのプロ野球チームよりマシな気がした。
 相模原の二番手、左のW井はスピードもコントロールもあり、この試合初の空振り三振を奪う。スミ1のまま貧打を続ける川崎打線においてこれは意外。つまり打たせて捕る投球でこれまで来ていたという事だが、スピードもパワーも硬式に比べ一回りスケールダウンした軟式のこれも特性かもしれない。それは必ずしもプレイヤーのポテンシャルではなく球の特性に基づくわけだが、その結果派手な長打の打ち合いにはならないまでも、アラの少ない堅実なゲームになりがちな傾向として表れ、やる方だけでなく観る方にとっての「とっつき易さ」につながっていると思う。
 ただ観る人はあくまでそれこそ現実離れしたスピードとかパワーを求めているのであり、それを考えると軟式野球がエンターテイメントになる事はやっぱりないだろう。


スコアボードも大きく見易い。

 その軟式野球しかできないこのスタジアムで、あの大変なイベントがあった。しかし普段は静かな海辺の街の、小ぢんまりしたスタジアム。だからこそ伝説にもなった。海の風に吹かれて軟式野球というのが普段の姿だ。相模原ばかりが順調に得点を重ね、残念ながら熱戦とは言い難い。こうしている間にもサーファーが、街の人が脇を通り過ぎて行く。何か試合をしている事はわかるが、名のあるチームのそれではない。国道を挟んですぐに海。静かなゲームが潮風に溶け込んでいる。野球は本来静かなものだと思う。
 結構外野に打球は飛ぶが、オーバーフェンスまでは遠い。今日も「軟式のホームラン」は観れそうにないが、その外野まで飛んだ打球をショートが追いかけ、後ろ向きにキャッチ。ちょっと牧歌的なプレーだが、観客がそれなりにいれば結構喜ばれるかもしれない。
 フェンスが遠いから、打球を飛ばす事にかえって原始的なロマンみたいなものを感じさせる。野球は、打球を飛ばせる分にはいくら飛ばしても構わない、空間に限りのない競技だ。その後方に相模湾が開けているのが何だか象徴的に思える。おしゃれなサーファーと泥まみれのユニホームを着た野球人はお互い別の方向を向きながら、この空間を共有している。野球と「湘南」は、実は相性が良いんじゃないかと思う。


外野裏手にはこんな日時計がある。改修前はスタンドにあったらしい。

 川崎の最後の攻撃もあっさり内野と外野の間のフライで終了。NEC相模原も天皇賜杯本大会出場はならなかった。神奈川県から出たのは日立厚木というチームだったが、それも初戦敗退。本大会は56チームによるトーナメント。軟式野球の裾野の広さを考えると、高校野球選手権に次ぐ位の規模による野球大会なのではないだろうか。神奈川の決勝は...はて本大会の決勝はどれほどのゲームをしているのか、と思うと結構興味が沸くし、天皇の名を冠する全国大会のこれがスタートなのかと思うと結構湘南云々どころではないような気がする。
 しかしやたら熱い高校野球(硬式)の予選をやるわけでもないこの海辺の「横長」な街での野球は、何となく頂点から遠く離れた風情というか「本大会」をイメージさせない緩さに満ちており、実は凄い大会の予選であるにもかかわらず周りの人が素通りしてしまう様が妙にしっくりするのだった。(2007.6)

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