[横 浜]

かってホテルエンパイアだったタワー。今は横浜薬科大学の図書館棟となっている。

 横浜スタジアムは横浜の一番横浜らしい場所の顔。保土ヶ谷球場は高台の閑静な住宅地としての一面を思わせ、今年オープンした俣野公園野球場は何なのかと言うと、一言で言うのは難しい。
 この新しい野球場で初の高校野球選手権南神奈川大会。今年は第90回を記念して神奈川が北と南の2枠になっている。野球場にとって夏の高校野球の舞台になるかどうかはひとつのステータスみたいなものだと思う。
 それほど存在感のある「野球場」とて、この地の歴史を思うと軽く感じられてしまう。だからこの球場が横浜の何なのかを一言では言い表しにくいのだ。
 「横浜ドリームランド」。そう、この野球場はその跡地に造られた。ディズニーランドに匹敵するステータスを持っていたとされるが、当時の遊園地というものの価値からするとディズニーランド以上だったのではないだろうか。ドリームランド閉鎖後、紆余曲折を経て土地は横浜市のものとなったらしいが、後に造られたのが珍しくも何ともない公共施設であるのがいかにもという気がする。


真新しい外観。後に横浜薬科大学がネーミングライツを取得。

 そんな「夢の跡」にプロ野球をやるでもない平凡な野球場が出来て良いのだろうか。存在感云々という文言が一転、卑屈になってしまいそうになるのだった。
 この規模の新球場に一番似合うのは高校野球の一回戦。スタンドもフィールドも、スコアボードもすべてがおニュー。この新しさがなぜか過去の盛況をまるでなかったかのように封じ込めている。ドリームランドのような刺激はもうつくり出せないが、小さくても確かなドラマはこれからもっと長くつくられていくだろう。民間から公に引き渡された地の、それが役目であり変化だ。
 関東学院六浦と松陽。どちらも市内の学校で、甲子園とは縁がない。六浦はベンチ入りメンバーが17人。新チームは11人でスタートしたとか。去年は両校どうだったのだろうとトーナメント表を見ようとするが、とにかく参加校が多すぎて探すのが面倒になる。◎とか○が付いていないとトーナメント表に埋もれてしまう激戦区神奈川。プロ注目のスターでさえここからは甲子園に行けるかどうかもわからない。
 無印同士の対決。ちなみに去年はどちらも一回戦は勝っている。六浦はメンバー全員系列中学の出身。エース阿蘇は春の大会で指先に死球を受けしばらく投げられなかったらしい。松陽の先発木之下は控えの投手。「崩れる時は制球の乱れが原因」とチームプロフィールに書いてあるが、投手が崩れる時は大体そうだろう。高野連発行のガイドも読み込むと結構ネガティブな事が書いてあったりする。


真新しい内観。ファールゾーンに芝生がないのはご愛嬌。

 木之下の立ち上がり。カクカクしたフォームから2球続けてボールの後内角と高目を続けてストライク。打者が何をしたいのかわからないが2-2(ボール先行表記)からスライダーを投げたら空振り。まあ変化球を投げるとしたらこのタイミングだろうか。制球の乱れがどうのと思いっきりプロフィールに書かれるくらいだからカウントを悪くしないうちに勝負したい。直後連打で1点失った事を思うとここで先頭を打ちとった事が大きかったかもしれない。いきなり崩れたらこの試合六浦のものだった気もする。
  阿蘇の立ち上がりはもっと無難だった。ボール3になったのは一度だけ。直後外角いっぱいのストレートで勝負できるのは投手のタイプとしては好きな方だ。ボール先行と言うと聞こえが良いが単にストライクが入らないだけという事が多い。で4つめのボールが大きく外れてコントロールがない事が露呈する。四球が多い投手は酷評されがちだが、単に四球が多いだけで駄目だと決めつけず、ボール3からどれだけ際どいコースで勝負しているかというところはちゃんと見たいものだ。


一回戦でも一般の観客は多い。

 県大会の一回戦などコールドゲームのオンパレードだったりするが、一回の攻防を見て、そこそこの好ゲームになるのではないかと思った。それだけにどちらかが早くも消えねばならないのが不憫にも思えた。
 地方UHF局の高校野球特集を観ていると、終わって泣き崩れる選手たちの姿が必ず映される。なぜ泣くのか。悔しいからか?そんな単純ではない。少なくとも一つの理由で泣くのではない。しいて言えば「終わったから」泣くのだ。
 どちらかが終わる。今日で硬式野球をやめるという選手もたぶんいる。そう思うと、そこに集まる人の数はドリームランドの比ではないが、想いの重さもまたドリームランドの比ではない。
 三回表、松陽捕手冨田二盗を刺す。三回裏、三番ショート坂野初球を強振同点タイムリー。四回五回の攻防ゼロ。流れがどちらにも来ない。と言うか一回戦らしからぬ堅い守りがお互い流れを渡さない。アナウンスは二年生の女子らしいが、上手い。県大会の一回戦である事をしばし忘れさせる。もっと格上の野球を観ているような錯覚に一瞬陥る。しかし父兄の人がペットボトルのお茶をくれたりする。決勝とか観客の多い試合だとこうはいかない。


ちゃんとしたコンコース。

 初回の六浦の攻撃を1点に抑えた効果が六回裏に表れる。投手が崩れる前兆としてストライクが入らなくなる、というのがあるが、その機を的確に捉える野球チームのセンスというものにはいつも感心させられる。ボールが多くなるという現象だけでは、例えば際どい球をカットして4つめのボールを投げさせる等の作戦が上手くいくかどうかわからないからだ。一死から三番ショート坂野がそれで出塁。四番ライト大木がタイムリー二塁打、五番レフト中島のバントは三塁線ギリギリ。これを処理も送球が逸れてまた1点。続く磯田三振も、七番キャッチャー冨田右中間タイムリー3点目。どんなに頑なに流れを渡さなくとも、何かしら試合は動く。
 七回表の六浦、一死から八番サード吉井四球、九番レフト林3-2からタイムリー二塁打。一番ショート松丸三塁線ギリギリの打球がフェア、これをレフト後逸で1点。直前の相手の攻撃をなぞるような反撃が面白い。ここでエース後藤が登場。
 二番阿蘇、代わりバナでもあるしここはバント。がセーフ。三番ファースト川村ライトフライで4-4同点。四番キャッチャー杉江が1-2からストライクはすべて空振りという謎の三振。振り返るとこれがエースの仕事だった。
 ちょっとした守備の綻びが得点に結びついている。両チーム呼応するように流れをやったり引き戻したり。最後にやらかした方が負けるか。七回裏、ショート松丸がマウンドに。一年生、「頭脳的な投球をする」とか。


スコアボードが無個性なのはお約束。

 ただこの「頭脳的」というのは曲者だったりする。そもそも「頭脳」の発揮しどころまで行けるかどうかが肝心だから。例えば初球を振らないというデータがあるでもない打者に初球が甘く入れば頭脳も何もない。もちろんバッティングカウントで甘く入ってもだ。そんな感じで一死一、二塁。さらに敬遠で満塁策。バッター大木。初球ワンバウンドのボール球。危ないがこれが意味のある配球なのかどうかは次の球次第。
 今度は高すぎ、暴投か捕逸かキャッチャー捕れず1点。その後スクイズでまた1点追加したから、やはりそれを警戒していたのだろう。意味はあった。あったけど...という結末。大きくはないスタンドから、観衆が、固唾を飲んで見守っていた事を裏付ける大拍手。が、そんな中にも「どこから来た」のかよくわからない客がいて、カープのメガホンを叩きながら「読売倒せ〜」とか言っている。「あとは松岡出して押本出して林昌勇だな」と何のファンなのかよくわからない。
 6-4で松陽の勝ち。今日も何人かの三年生が最後の夏を終えた。たぶん泣いているだろう。今日笑った者も、後に泣く。こんな光景が毎日繰り返される。もしもこの場所に地の精霊みたいなものがあったら、遊園地だった時代とのあまりの違いに驚いているかもしれない。だけど、そこに一切の虚構はない。(2008.7)

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