9月17日、日朝首脳会談で金正日総書記は、北朝鮮の国家機関が日本人を拉致(らち)していたことを認め、謝罪した。ある日突然、子どもや兄弟姉妹、友人が人びとのもとから奪われ、二度と会うこともできない。その悲惨さとつらさ、怒りは言葉に尽くせないものがあるだろう。
しかし、他者を非難することは自己の誤りを認めるより簡単である。日本人の私は、拉致報道を見るたびに、日本の国家機関が遠くない過去に数百万の朝鮮・アジアの人びとを拉致・強制連行し、今もそれに謝罪していないこと、報道がそれに触れようとしないことを恥ずかしく思う。
そして現在の日本において、日常的にもう一つの拉致が横行していることに怒りを覚える。
昨年、「現行犯」を除いて14万人が「逮捕」と称する拉致で家族や友人のもとから奪われた。同じ期間に裁判で「有罪」とされた人は7万人、自由をはく奪された人は3万人にも満たないのに。多くが「接見禁止」で家族・友人と声をかわすことも許されない。取調べと称する拷問で名誉も自尊心も踏みにじられ、罪に落とされている。
「私がいなければ倒産する」と令状の会に訴えてきた個人経営者がいた。「逮捕」におびえる少年がいた。わずか1万円強の反則金未払いを理由に子どもから引き離されそうになった母がいた。
「逮捕」という拉致に、人は抗議する手段を持たない。法学者も自ら「刑事手続きの暗い谷間」と言うこの拉致を本格的に問題にしようとしない。
これが「民主国家」「法治国家」の現実なのだ。