さよなら名宝会館ファイナルシネマ
〜67年の歴史に幕を閉じた日〜



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名古屋・納屋橋にありました老舗映画館「名宝会館」が2002.12.1をもって閉館しました
私も当日、劇場に駆けつけスクリーンに別れを告げてきました。
以下はその模様をレポートしたものです。







「映画」が娯楽の王様と言われていた時代が嘗てあった。
昭和の中頃、今から40年ほど前の事である。
流石に私もその頃の事は知らないが 過去のニュース映像などで 映画館を人の列が何重にも取り囲むというのを見ると 正直「あの頃は良かった」と思ってしまうほどだ。
それぐらい映画にパワーがあった時代という事だろうか。
そんな”夢のような時代”を知らない私にも規模は比べるまでもないが 唯一「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」の全国的アニメブームだけは 脳裏に焼き付いている。
映画館前に徹夜で並ぶ長い列のその様子に一瞬だが映画にパワーがあった昔懐かしき映像と重なる部分がある。
それは”ヲタ”とか”オタク”という蔑視表現がまだ無かった時代でもあった。


そんな映画の良き時代を今に語り伝えてきたここ名古屋の老舗映画館「名宝会館」(名宝劇場、名宝スカラ座、名宝シネマ)が67年の歴史に終止符を打ち、2002年12月1日をもって閉館となった。
これは ここ数年、都心部を中心に老舗と言われた映画館がどんどん閉館されて いく中での いわば時代の趨勢であったが「名宝会館」閉館は個人的には ショックな出来事であった。
以前も「映画日記」等で書いてきた事だが私の劇場映画体験はここ名宝スカラ座での「101匹わんちゃん大行進」から始まっている。
わずか3歳の事なので全く記憶にはないが現在まで続く「映画館通い」の原点である劇場が無くなるのは非常に辛い事だったのだ。



2002年 12月 1日 日曜日

すっかり忘れていたが 奇しくも今日は「映画の日」でもある。
なぜキリの良い11月30日ではなく 12月1日を「閉館の日」に 決めたのか 謎だったのだが そういう訳だったのか!
pic 「映画の日」と言えば 入場料1000円デー。
いわば映画館にとっての”かきいれ時”。最後の最後でも 観客を集めたいという東宝−映画館サイドの思惑も あるのだろう。(ちなみに名宝会館の他の劇場−名宝スカラ座、名宝シネマ では通常ラインナップ−「チェンジングレーン」「トリック-劇場版-」 を上映。ファイナルシネマである「ゴジラ」と「ゴジラVSモスラ」のみ 700円均一であった)
それに「映画の日」に「閉館」というのもこの長い歴史を誇る老舗映画館には 意味のある事だったのかもしれない。 


14:30から上映が始まる「ゴジラ」('54)に合わせ自宅を出たが劇場最寄りの地下鉄 伏見駅に着いたのは開始、10分ほど前。
昨日の中日新聞夕刊の三面記事欄に閉館の事が大きく出たことで 混雑が懸念された為、劇場に向かう足取りも自然と速くなる。
いくつかの信号を渡り、やがて見えてくる 「名宝会館」の文字。
「映画の上映時間に間に合わない!」と時間を気にしながら 何度となく辿ったこの道。
まるで昨日のように思い出される。...というか2週間ほど前に「トリック-劇場版-」を見に来たのでこの劇場に来るのが今日が最後というのが 全く信じる事が出来ない。
会館に入り、エスカレータで2階の名宝劇場 受付口へ。
私の前に客がいたため、受付で20秒程待たされたのだが ふと横を見ると「CBC(中部日本放送)」のスタッフジャンパーの カメラマンがTVカメラをこちらに向けている。
地元各局の取材は予想された事であったがここを撮影されていると映りたくなくても必然的に映ってしまう事になる。 別に映るのはいいのだが こういう無防備な状態では ご勘弁願いたいところだ(苦笑)
と言ってもこの様子が放送されたのかどうかは確認取れていないけれど(苦笑)

そんなTVカメラの洗礼の後、なんとか「名宝劇場」に入場。
まだ映画上映中らしくロビーには人影もちらほらという程度である。
ただそんな中でも 先程のCBCの取材陣と思われるDirectorと マイクを持ったアナウンサー(レポーター)らの一団だけは 目立っていた。インタビューしようと観客を物色中というところだが 素っ気なく断られているところを目撃するとこの仕事も大変だなあと 改めて思ってしまう。
私はロビーのソファに座ってそのような様子を観察しながら 映画の上映が終わるのを待った。ほどなくして劇場の扉が開き 客が出てきた。客層も怪獣映画には定番の親子連れからカップル、 友人同士、熟年の夫婦と年齢もバラバラであった。
この年齢構成を見ただけでも今日の上映が特別であるというのが よく判るというものだ。特に今日のような怪獣映画2作品の興業 (「ゴジラ('54)」「ゴジラVSモスラ('92)」)では これだけの幅広い 観客を集める事は現在では無理というもの。それだけに ”「名宝会館」の最後に立ち会う”という雰囲気が強く感じられる。
私もこれら退場していく観客と入れ替わりに客席に入っていくと まだ「ゴジラVSモスラ」ののスタッフロールが流れている最中。
ちょうど 特技監督・・・川北紘一 の名前が確認出来たところだ。
客電が点くのを待って席を確保する為に移動を開始。
今回、普段よりもほぼ画面中央の高い位置での席を選択したが これもひとえに客席全体、劇場全体の様子を掴みたいというのがあったからなのだ。
そうこうしていると 客席のあちこちからカメラのフラッシュが 焚かれ閃光が走っているのが判る。
pic 夕刊でも『記念にと場内でカメラで撮影する人も』とあったので 一応、コンパクトカメラとデジカメ、2台も用意してきたが この流れに乗り遅れないように私も早速、鞄から取り出し撮影開始。 普段、映画館で撮影など考えもしないことだが 今回ばかりは 特別であった。
出来に不安の残るものの撮影を終え、ふと周りを見渡してみると 客席は6割ぐらいの入りであろうか。キャパが956席という事だから だいたい600人というぐらいになるだろう。私の記憶ではこの劇場がこれだけ 客席が埋まったのは宮崎アニメの公開時以来のような気がする。
何度もこの劇場で東宝作品等の初日を迎えたが 特別な人気作品でも ない限り、広い客席にポツン、ポツンとしか人が埋まらない状況 を見てきた為 今日のような集客があれば .. せめて初日だけでもコンスタントにあれば 今日をもって最後とならずに 済んだのにと思うのだが これも「叶わぬ賭け」(By Van Halen)じゃなかった 「叶わぬ夢」なんだろうな。
場内では先程のCBCの取材班もカメラを持って撮影の準備もOKという感じか それに合わせるように?場内も暗くなり、いきなり白黒の画面に「ゴジラ」の 大きな文字が映し出されたのだった。


ゴジラ (1954)
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製作:田中友幸
監督:本多猪四郎
特殊技術:円谷英二
原作:香山滋
出演:宝田明、志村喬、河内桃子、平田昭彦、菅井きん、堺左千夫
何の予兆もなく唐突に始まる感じが正に昔の映画と言ったところ。
なんとも素っ気なく、旧漢字で示されたスタッフロールが続く。
製作:田中友幸、監督:本田猪四郎、音楽:伊福部昭 特殊技術:円谷英二...
今や伝説化された映画界の偉人達。
おや 原作に香山滋とある。あれ ? ゴジラって原作があるんだと 意外な発見に驚く。
また出演者の中に菅井きんの名前があったものだから、あちこちで 「菅井きん?」と驚きの声が挙がっていた。以前、何かの番組で 「あの人はこんなものに出ている」でやっていたような微かな記憶が 蘇ってくる。
やがてスタッフロールも終わり、開始2分ぐらいで太平洋上に浮かぶ 貨物船栄光丸が正体不明なものに襲われ 沈没。
何がなにやら判らぬまま 救助に向かった船さえも同じ運命に。
次に場面変わって若い!宝田明と(まだカツラに非ず?)
これまた若い河内桃子が登場。どうも二人は恋人同士という 設定らしいが現代の感覚で言うとこの二人の演技が大仰で....(苦笑)
(ただこの河内桃子が結構、可愛い〜(爆)流石にこの女優の若い頃って ほとんど知らないけれどお陰で昔の他の作品も見たくなりましたね。)
その後も沈没現場近くの大戸島も嵐の夜に巨大な生物が上陸し 島を破壊(と言っても 肝心の巨大生物は映らない)。
そこに調査にやってくるのが河内桃子の父親、山根博士〜 懐かしき名優 志村喬だ。もうこの人も亡くなって何年経ったのだろうか?
「七人の侍」「生きる」などの黒澤作品での名演が有名だが 子供の頃はドラマとかも結構出ていたなあと朧気ながら思い出したりもする。
そして いよいよ ゴジラの登場!!
流石に着ぐるみゴジラと背景の合成がちゃちいのだけれど 逃げまどう人々の姿などは白黒ということもありまるで古いドキュメンタリーを見ているかのような雰囲気を醸し出している。
ゆえに ホントにゴジラが島を襲っているようで半端なホラー映画なんかよりずっと怖いくらいだ。
この「ゴジラ」が作られたのは 時代的に言うと『ビキニ環礁の水爆実験』(1954)やその実験の余波で第五福龍丸が「死の灰」を浴び、乗り組み員全員が被爆するなどというとんでもない事件があった頃で いわばこの「ゴジラ」も反核映画の一つとして捉えられていたのかもしれない。当時の時代背景を考えると大ヒットしたのも頷けるというものだ。
ゴジラはその後、東京に遂に上陸。口から吐く放射能炎で完膚無きまでに首都を焼き尽くす。その様はまるで戦後の焼け野原のようで この場面は当時の観客には痛みを持って受け止められたに違いない。それはゴジラによる被害で病院に運ばれた負傷者があちこちで鳴き声やうめき声をあげているというさながら野戦病院のような描写にも同じことが言えるだろう。
戦争が終わって10年も経たないこの時代にこれらの描写は当時の人達にとって 戦時中の悲惨な体験を思い出させるには十分であったと思う。
ラストは有名な”オキシジェンデストロイヤー”という秘密兵器によって ゴジラが白骨化して人類は救われるのだが ”オキシジェンデストロイヤー”の使用の有無についても「核兵器」並の破壊力ゆえに(平田昭彦演ずる)開発者の芹沢博士が思い悩むなど今のゴジラ映画では考えられない演出である。核兵器が抑止力となった冷戦時代こその描写である。
(蛇足だが この”オキシジェンデストロイヤー”によって一瞬のうちにゴジラは白骨化してしまったが その問題の骨は 最新作「ゴジラ VS メカゴジラ」(2002)にも登場する。なんとメカゴジラの中に組み込まれているという設定らしく非常に興味深い)
またゴジラと言えばあの伊福部昭作曲「ゴジラのメインテーマ」が思い出されるが 「怪獣大戦争マーチ」と共に劇中、ひっきりなしに流れてそれはもうまるで洗脳状態。それに聞き慣れたものより当時にしてはテンポも良く 音楽だけ聴けば戦時中の戦意高揚映画かもと思ってしまうのは私だけだろうか?
そんな名作「ゴジラ」を劇場で見る事が出来たのは かなり貴重な体験であったと言っていい筈だ。



ゴジラVSモスラ (1992)
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製作:田中友幸
監督:大河原孝夫
特技監督:・川北紘一
脚本:大森一樹
出演:別所哲也、小林聡美、村田雄浩、大竹まこと、小高恵美、小林昭二、宝田明
新鮮な体験であった「ゴジラ」上映の後、10分間のインターバルを挟み 劇場は再び闇に包まれた。
始まった映画は1992年公開の「ゴジラVSモスラ」。
先程のモノクロの映像とはうって変わり 見慣れたカラー映像なのだが それがかえって違和感を残した。冒頭の別所哲也のインディー・ジョーンズ ライクな 登場といい先程までのドキュメンタリータッチとの違いが有りすぎる為だが この映像タッチの違いによる”温度差”のようなものは映画後半まで 後を引くこととなった。
物語的にはゴジラとモスラ、そして新登場のキャラ バトラとの「わかりやす〜い」対決物だが インファント島や昔はザ・ピーナッツが演じた小美人のコスモスなどを登場させ往年のファンにも溶け込めやすい内容にはなっている。
こちらは時代的に土地売価の高騰レジャー施設の開発ラッシュなど 悪しきバブルの最後っぺが横行していた頃と重なる為、所々で それらを意識した描写がある。ただその描き方があまりにもステレオタイプで おまけにレジャー施設の開発会社がPRの為、モスラの卵を奪取し、それが途中で孵化してしまった為代わりにコスモスを誘拐同然に連れてきてしまうとか なんともトホホな内容。あの大森一樹が脚本とういうのがちょっと信じられないくらいである。
ところで 何故この名宝劇場のラスト上映にこの「ゴジラVSモスラ ('92)」が数多くの作品の中から選ばれたのか疑問に思うことだろう。
「ゴジラ('54)」は前述したようにドキュメンタリー的タッチで描き現在でも名作の誉れが高い作品である為、ラスト上映に選ばれたのも納得できるのだが私も「ゴジラVSモスラ ('92)」の選択はであった。だがネットで調べると答えは案外、簡単に見つかったのである。
何のことはない、劇中、バトラが日本に上陸して最初に襲うのがここ名古屋であり この名宝会館も登場する(ミニチュアだけど?)事で選ばれたそうである。
その為、撮影された10年前当時の名古屋の風景(名駅、名古屋城、TV塔及び セントラルパーク近辺)が出てくるのだが 個人的には非常に懐かしく感じてしまった。
たった10年ほど前の映像なのに 10年一昔とは言え名古屋駅をはじめ恐ろしく変貌していることにこれまた複雑な気持ちである。
あと出演者も 現在と大して変わらぬ者、この10年で変貌したものと 二つに分かれた。主役の別所哲也は今とほとんど変化も無いし、小林聡美も 髪型が違うぐらいと多少若いぐらいか。村田雄浩にいたっては今のまんまの雰囲気である。
それに対し変貌した者の筆頭と言えば大竹まことだろうか。
大竹まことは問題のレジャー施設の開発を行う丸友商事の社長役だったが あの時代でも居ないだろうと思えるぐらいの胡散臭ささプンプンの容貌。
今はバラエティでもかなり枯れた感じとなって結構イケてるオジサンになっているのだがこの映画ではもっとギラギラしていて演技も大袈裟、なんか浮いていたのである。
また我々の世代にとっては往年の「仮面ライダー」の出演者でもあった 小林昭二がもうこの世の人ではないというのも時の流れを感じぜずにはいられなかった。
映画も一応、子供を対象としたものでもあった為か、極悪ゴジラに対し 破壊者である筈の悪のバトラと善のモスラが協力してその危機から人類を守る という勧善懲悪な展開になったのだが ラストの地球に迫りくる隕石に向かって 捨て身で飛び立っていくモスラのエピソードは いかにも付け足しました という感じでいただけない。このあたりは大森一樹の想いがこもっているのか しれないが まるで「鉄腕アトム」のラストか、「さよなら宇宙戦艦ヤマト」あたりをパクッているのかと思えて私は萎えてしまった。



「ゴジラVSモスラ」は長いスタッフロールで終わりを迎え、あちこちでパラパラと拍手が上がったが 後の情報で この後上映された最終上映「ゴジラ(1954)」の 時、「終」のマークが表示されたと同時に館内、大きな拍手に包まれたと聞くと 正直、見る順番を間違えたと思わざるを得なかった。
その為 思った程感傷的にならなかったのだが客席から出口で向かう 途中で「この休憩をもちまして、売店を終了させて頂きます。」と アナウンスが聞こえてきた時はさすがにウルッときていたかもしれない。
その後 明るいロビーに出ると そこには名残惜しそうな客がまだたくさん残っていた。
そして支配人らしき年輩の人が 「ありがとうございました」と挨拶しているのを見るにつけ どっと「これで最後なんだ」という気持ちが沸き上がってきてしまった。


その後、会館を出た私は鞄から再び、コンパクトカメラとデジカメを交互に取り出し 会館の全景を撮影。信号を渡り、向かいのYMAHA名古屋支店前からも撮影を 続けたが 同じように撮影していた一人を除き、他の大多数の歩行者はこちらを 怪訝そうな顔で見ているので 恥ずかしいといったらこの上ない。
早々に撮影を終え、私もその歩行者の流れに身を任せ名古屋駅方向へ 歩き出したが 名宝会館が見えなくなるまで何度も振り返り 心の中で「サヨナラ」と呟いたのだった。









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