吉川友
10th Anniversary STUDIO LIVE きっかけはMe! on ツイキャス







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 新型コロナ感染が未だ、全く収まる気配を見せない。


 緊急事態宣言が延長され、都内でのライヴの開催も二転三転し、有観客から無観客へと形式も大きく変わった。

 きっかこと 吉川友さんの場合も 5月1日のバースデイライヴが 22日に延期されることが早々に発表され、5月1日当日の代替案として この都内某リハーサルスタジオからの「スタジオ・ライヴ&トーク」が配信のみで行われることになった。

 昨年から、配信ライヴは続けられてきたが、これまではライヴハウスからのものだっただけに リハーサルスタジオからのパフォーマンスはどうなるのか想像もつかなかった。
 ましてやトーク?トークショー?謎としか思わなかった。

 今回も、配信のプラットフォームはライヴ・タイトルどおり、使い慣れたツイキャスである。

 視聴料を前日までに払い終え、配信開始時間である19:00を、PC前でその時を待った。



 タイトル画面から切り替わったその風景は、同じ事務所の「アップアップガールズ(仮)」のパフォーマンス映像等で見慣れたリハーサルスタジオに、センターに吉川さん、その傍らにはフレディ・マーキュリーのモノマネで有名なスベリー・マーキュリーさんが控えていた。


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 吉川さんが「無事、29歳を迎えました」と挨拶を兼ねてお礼を述べると、ツイキャス配信はスタートした。

 スベリーさんによれば(吉川さんの)デビューしてから10年間を思い出しつつ、みなさんと振り返ってみたい。と放送の趣旨を説明したが

 「どうです?10年前の事とか覚えてます?」と問われると吉川さんは

 「(事務所の)社長さんに 始まる前に、何も覚えていないというのが続くのだけはヤメてと言われたんで....必死に思い出そうとしているんだけど、本当に覚えていなくて」

 「例えば、質問してもらえれば思い出します。具体的に質問してもらえれば」と我々、視聴者に呼びかけた。

 それから、このトークコーナーの後にはライヴがあるが、リハスタジオからの配信の為、大きな音が出せないのでドラムなど(吉川さんいわく)大きなを出す楽器じゃない楽器のみなさんに来てもらって〜と予告をした。

 しかしそのバンド形式を「アコースティック?」「アコースティックじゃない、だって(ドラムがないから)スティックないですから」とまた意味不明な発言で スベリーさんと共に視聴者を爆笑させた。
 10年前のことは覚えていなくて−と言っていた吉川さんだったが話し始めると、それは間違いじゃないの?と思うぐらい立て板に水に次々と興味深い話が詳細に語られた。

 例えばこんな話であった。



 スベリーさんから どうやってデビューを告げられたの?と訊かれて

 「(ハロプロ)エッグで14歳で入って19歳までやっていて、高校3年生より上は卒業?首切り?みたいな最後のラストライブがあって、ライブ終わりに目隠しと手を縛られて(笑)判んないですけど、黒い車に乗せられて、連れ去られて着いたのがレコード会社さんで、お偉いさんにあって、ソロデビューします。映画も同時にソロで主演映画がありますと言われて」と答えたり、その時は どんな気持ちだったのと続いて訊かれると

 「モーニング娘。が好きだったので、グループでデビューしたい、グループ願望があって「一匹狼」?ていうより「子連れ狼」系(笑)だったので、団体行動でやっていけるタイプの人間だった当時はソロでやっていくメンタルではなかった大丈夫かなという不安しかなかった。デビューという意味ではうれしかったですが、ハロプロからのデビューではないというので不安はありました。」と率直な心情を吐露した。

 また真野ちゃん(真野恵里菜)に続くソロ・デビューだったらホッとしていたと思う。というのは当時の吉川さんの正直な本心だったと思う。
 それに所属するレコード会社が、外資系のユニバーサル(UNIVERSAL MUSIC JAPAN)ということでBON JOVIやQUEENと同じレコード会社なのでビクビクしていた。というのは意外な告白でもあった。
 そしてデビュー当時、吉川さんの特技として取り上げられていた「キャベツの千切り」については 当時のマネージャーから「(特技で)何か無いか?」と訊かれて、本当に当時、何もなかったので無理くりにひねり出したというものらしい。

 「当時、デビューするにあたってやせなきゃいけないと思って、キャベツばっかりを食べてダイエットしてたんで、朝、毎日、キャベツを一玉、千切って(笑)いたので提案したら逆に面白い」と言われ特技になったらしい。


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 10年前のことは覚えていなくて−と言っていた吉川さん。
 「低気圧で、頭わるくなっちゃって、でも脳内が過去に戻れる、活発になってきて」−とここにきて、過去を語る言葉が溢れ出したようであった。

 「きっかけはYOU!」という曲を(聞いてみて)貰ってどうでした?と訊かれると「ザ・アイドル。この路線ね。吉川友という名前から取った「きっかけはYOU!」は代名詞、名刺のような曲で、タイトルから面白いなと」

 レコーディングは?「歌えました。でもフルで自分の曲で頭から最後まで歌うのは、やっぱり大変でした。歌詞を覚えるのも」と戸惑いも語るのだった。

 それから、初期の曲で印象的な曲は?という質問には「ハロコンのオープニングアクトで、お披露目の意味で歌わせて頂いたけれど、歌詞を間違えすぎて泣くという...結構、泣いていたと思う。特に「さよなら涙」かな。今でも「さよなら涙」を歌うとあの頃の記憶が思い浮かびます。今でも歌うの怖いですもん「さよなら涙」。歌詞が出てこなかったら泣いちゃうかもしれない(笑)」

 私は当時のハロコンを知らないので、「さよなら涙」がここまで苦手意識があったのか。と、この発言には新鮮な驚きがあった。
 スベリーさんが改めて、今、歌詞覚えは?と訊かれると「悪いです」「よく歌っている曲こそ、(歌詞が)飛びます」「安心しちゃうと、プツンとどっかにいきます」と、友フレ(ファン)なら誰もが思い当たる安定安心の答えには笑ってしまうのだった。

 そして歌手としての悩みも

 「「ここからはじまるんだ」あたりから、徐々に吉川友の楽曲の音域が高くなってきて、その頃は、しょっちゅう、喉を壊していた。」
 「「ここからはじまるんだ」はここ1、2年、3年歌っていないけれど、それでアカペラでライヴで歌ってと言われたら「イヤだ」と言います。ボカロっぽい音色が(一緒)じゃないとこの曲を裸では歌えない。キーが高すぎて難しい。」

 と吐露していたが、ええっあの曲が。とこれまた驚かされたのだった。

 「ボカロPで先輩の曲のカバーアルバムを出したあの頃、ちょうど「屋根の上のバイオリン弾き」ではじめてミュージカルに出させて頂いて、主演が市村正親さんで 市村さんの奥さんが”米..... 米倉りょ......篠原涼子さんで”(笑)カバーアルバムに「恋しさと せつなさと 心強さと」が入っているんですけど、「カバーさせて頂いているんです」と市村さんに(アルバムを)渡せたのが、私の中でスゴイ(心に残ってる)、奥さんに言ってくれてるとうれしいです。」

 これこそ、芸能人ならではの秘話中の秘話だろう(もしかして、雑誌で既に語っているかもしれないが)。しかし、カバーしているのに、やっとのことで奥様の名前(「篠原涼子」)を括り出すきっかは、やっぱりとても きっかっぽい(苦笑)。


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 スベリーさんが「(ミュージカルの)稽古はどうでした?」と尋ねると

 「やっぱり、辛かった。いつも私がやってるストレート芝居とミュージカル芝居と2.5次元芝居って、なんかちょっと違うなと。お芝居のやり方も違うし、演者さんの独特の雰囲気もそれぞれあって、馴染むのも大変ですし、結構、ミュージカルには特に苦戦しました」

 「はじめてのミュージカルということもあって、市村さんに、みんなが大広間で練習している隣の小さな個室で、1対1でマンツーマンで何時間も練習してもらったりとかありました。ミュージカルは大変でした。」

と、これまた秘話が明かされ、吃驚。
 稽古なので、別に珍しくもないのだろうが、あの市村さんと吉川さんが顔を突き合わせて狭い部屋で稽古している事自体が興味深く感じた。

 「私、お芝居がスゴイ苦手で、マネージャーさんにも言ってるですけど、お芝居苦手なんで「イヤです」と言っているんですけど、読解力なくて、お芝居もどう演じていいか判らない。というのがあって、台本とかもとりあえず(自分の)セリフだけ覚えるタイプで、それでドラマとか映画とかに挑んじゃうんで、たまにここの気持ち、この台本だった?と訊かれると戸惑ってしまう。今でも、この話の流れだからこういう気持だ。というのを読み取るのがすごい苦手。」

 「舞台の場合は、稽古があるので、演出の方に教えて貰いながら なんとか がんばれている感じであります」

 今回のトークパートで、一番の衝撃はこの発言であった。
 ドラマや映画、特に舞台の演技は高い評価を受けてきた吉川さん。よもや御本人は苦手で、毎回、嫌だと言っているとは全くの予想外。
 しかも、毎回、台本を読み取るのも苦手で人の手を借りて、なんとか為っているというのも衝撃的な発言だ。
 だが、逆に言うと、演出側からしては 仕事で使いやすい女優ということもあるかもしれない。ある意味、これも才能であろう。

 「特に演じ分けというのはそんなになかったけれど、そんなに等身大の自分から離れた役柄でなかったので、苦戦しなかったです。頭を凄く悩ませることはなかったですね。」

 苦手な中でも、自分に近い役柄でもあったというのも功を奏したようであった。
 そんなきっかがやりたくないという役柄は「ブリっ子。可愛い系の役は多分、向いていないと思う。難しい」らしいです。
 確かに、萌え声とか苦手なのは『吉川友のShowroomで配信してみっか!』でも公言していたからなあ(笑)。

 話題は再び、音楽の話へと転じた。
 スベリーさんがきっかレンについて訊く。

 「きっかレン、はじめてのユニット、しかも異性と。男性とユニットを組むとは初めてだったので、今でもキマグレンの「LIFE」。海行くたびにあの頃を思い出します」

 今も時々ながら交流があるお二人だけに、この話はファンなら頷くものだが「一緒にやってみたい方はいますか?」という質問の返答は我々の予想を斜め上をいくものであった。

 「Zeebraさん、DOTAMAさん...ラッパーの方と」「コロナのときに(YouTubeで)重盛さと美さんがバズったじゃないですか、いいじゃないですか。ラフな感じ。ちょっとやってみたい」
 「私もラップバトルしたい。フリースタイルダンジョンしてみたい。みんなのことディスってみたい。」

 おそらく、以前、深夜に放送していた番組『フリースタイルダンジョン』(テレビ朝日)を見ての影響だとは思うが、確かに これはちょっと見てみたいとは思う。


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 「ラップやるにも、ワードが必要じゃないですか。だから私は まだその域に達していないので勉強してからラップやろうかな。」

 これまで吉川さんは発した数々の伝説的な”言い間違い”を鑑みれば、それだけでラップの歌詞になるのではないか(もちろんセンスも必要だけど)と思うのだが、どうだろうか(笑)。
 話題は2014年の「URAHARAテンプテーション」等の衣装であったサンバ衣装について。その感想を訊かれると

 「恥ずかしかったですよ。お腹が出ていたので、お腹を出す衣装がイヤですよ。人生をやり直せるなら、あの時、イヤだと言えば良かったと思う(笑)。でも逆にサンバの子だよね。メチャいい曲、歌っているのに衣装サンバでヤバーとインパクトあったかなと思う。

とイヤイヤながらも、自己肯定しているのは、きっからしい。
 だが、あの衣装を着るには きっかなりに苦労もあったようで......。

 「あの衣装は、振り切ってやるしかなかった。必死に、へそが見えないようにグッと上に上げていた。でも歌っていると下がってくる。」と言うやいなや「あの衣装を着て、人生変わったという女はいない!」と力説して、スベリーさんの笑いを誘うのだった。

 話は音楽や演技を離れ、写真集へ移っていった。
 お気に入りの写真集は、今の所、最新作の三冊目「誘惑」であるそうで、視聴者からの20代最後の写真集を出して欲しいというリクエストには

 「イヤーだ。(仕上げるのに)時間掛かるよ。歳を取ると落ちなくなるのを実感している。もし20代最後の写真集を出すなら、1年待って欲しい」と答え、スベリーさんに「すると 30歳の写真集になりますよね」とツッコまれるのだった。
 ここでスタッフ(山田社長?)から補足情報が付け足された。

 「次の写真を出すなら、相当、攻めないと出版社に言われました?まさかの三十路にして”ヌーディ吉川”いきます?相当攻めないといけないなら、手ブラーにゃ?貝殻?はっぱ隊?」

 露出の多いグラビアだと『手ブラ』『貝殻水着』『はっぱ隊』と発想が三段活用していくのは、これまたきっからしいといえばきっからしい。つまり面白いということである。

 次は2016年の舞台「三銃士」「夜のピクニック」について話は及んだ。
 「三銃士」と「夜のピクニック」の上演の間隔が1ヶ月ぐらいしかなかったことで、スベリーさんは「舞台「三銃士」は初日が終わって「TIF」に行って、1ヶ月後ぐらいに「夜のピクニック」の初演が始まるんです、なんというスケジュールしているんだ!」と驚いたが、それに対してきっかは

 「そのへん、全然おぼえていないです。「三銃士」の初日終わってタクシーでお台場向かったのは覚えてます。その後の記憶が一切ない。」と忙しさで完全に記憶が抜け落ちていたことを振り返った。

 引き続きその時、どういう気持でした?と尋ねられると「舞台初日ってそれしか考えられなかった。でもタクシーで移動している間は、ああ私、めっちゃ、芸能人してるな。という達成感はあった」とスケジュールに忙殺されながらも、本人は満更ではなかったようである。

 また忙しさは「夜のピクニック」が終わった後も続いていたらしく「「夜のピクニック」の千秋楽終わった後にも「アットジャム」が入っていて、急いで水戸から車で移動して、ギリギリ間に合ってライヴに出たこともあって、芸能人でしたね。」と答えたのだった。

 トークコーナーも終わりが近づき、お題は2018年の出来事へ。

 この年、初めてぱいぱいでか美さんと組み、コラボ曲「最高のオンナ」がリリースされた。それを訊き、きっかは「ここらへんから血のつながりを持ち始めたんだ」とまた独特な表現で感想を述べた。
 そう言ったのも4月1日付けで、ぱいぱいさんが所属事務所をパーフェクトミュージックからYU-M エンターテインメントへ移籍したことからである。これによって、ぱいぱいさんはYU-M エンターテインメントでは、吉川さんの後輩になった訳である。


 ソロデビューの10年前から歴史を辿ってきたトークコーナーも遂に終着点。
 スベリーさんが「今後の目標とか、やりたいこととか教えて下さい」とコーナーをまとめる意味を込めて質問した。

 「オトナのキッザニアをやりたい。カフェで働くんです。実際の人間の(営んでいる)店舗で。営みをしてみたいんです。14歳から(ハロプロ)やっていて、現生でお給料を貰ったことがないので、働いてみたい。闇営業なみに(誰にも言わずに)働いてみたい。」

 ”オトナのキッザニア”は以前から、話していたこともあり、友フレには聞き馴染みのあるキーワード、パワーワードである。
 そして「吉川友に似た店員がお茶を運んでいたぞ−というのがツイッターで広まるというのがうれしい」と自然発生的にネットでバズることを期待するのは今日的、現代的であるなあと感じた。
 さすが昨年、「ひま粒し」をネットでバズらせた経験者である。ファンとしてもまたネットをザワつかせるのを見てみたいと思うのだった。



 トークパートが終了し、スベリーさんが退場していくと、きっかの号令で入れ替わりにきっかバンドのギターであるコーハンさん、キーボードのカヲルンさんが画面に現れた。


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 アンプラグドならぬ「音ちっちゃめライヴ」エレキギターキーボードという最小単位で行われるようであった。
 ただし、音ちっちゃめというだけあり、大型アンプなどは画面上では確認できない。
 照明も通常のライヴと同様に落とされた。

 「デビュー10周年ということで、一番、中野サンプラザで泣いたんじゃないかなというほろ苦い思い出もあるナンバーです、『さよなら涙』」としっとりと始まった1曲目。
 優しげなギターの調べが曲調にぴったり。
 デビュー当時、何度も泣いて未だにトラウマだという言葉が信じられないぐらい、きっかの表現力は深淵で、堂々としていて素晴らしい。

 バースデイ&10周年記念のライヴ・スタートを告知する曲として、これほど似合う曲はないだろう。
 視聴者からの「画質最高」「画質が神」という投稿を受け「ちゃんと化粧してこれば良かった。言ってくださいよ!」とツッコミを入れるのだった。

 2曲目はもはや、ハロプロや地下アイドル界隈でも定番曲となった「こんな私でよかったら」
 「さよなら涙」がバンドが曲を先導するなら、この「こんな私でよかったら」は間違いなくきっかの歌声が先頭に立って導いているという感じである。

 この10年で何百回と歌ってきた自信と経験がきっとそうさせるのだろう。そう思うばかりであった。

 「このバージョンで歌うの、めちゃくちゃ、好きなんですけど」と率直な感想を述べる吉川さん。

 「オトナになった感じがしません? 優雅にテラスでブラックコーヒー飲んでる感じ。めっちゃ、なんだか膝付きながら(本当は”肘付きながら”と言いたかった?)足をブランブランさせながらコーヒー飲みながら、テラスで。イメージね」


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 きっかのオトナというイメージにはどうやら、テラスとコーヒーは欠かせないらしい(笑)

 「最近、ライヴでバンドさんが入ってもらうようになって、原曲を崩せるのがバンドの極みですよね。そういうのでアレンジがどんどん出来て、同じ曲を歌っているのにどんどん違う歌い方になっていくのがすごい楽しいなと思える瞬間です」

 「こんな元気な曲をこんな感じで聞かせるんだ吉川。っていう攻めるライヴやりましょう。ギャップ萌え配信やりましょう。楽曲のね。知らんけど(笑)。ディナーショーやりたいですね。コロナが落ち着いたら」

 「次の曲はなんですか?」とコーハンさんに訊いて、「ずっとずっとずっと君がスキだ」と答えるという なんとも滑稽な展開で始まった3曲目。2013年リリース(アルバム「Two YOU」収録)の曲である。

 ささやくような歌い方から、高いキーで歌うサビ前の部分と強弱を付けて彩り豊かに歌い上げるきっかの歌唱は、この10年で培ったものであるのは疑いようのない事実である。


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 「ソロなんで、ステージも私が立つ位置がセンターなんですよ。振り付けもそんなガッツリあるものじゃなくて、自由にステージング出来たんで、今はソーシャルディスタンスがあるので出来ませんが、客席に降りて、お客さんにマイク向けて歌わせたりということもあったな。と、この曲を歌うと思います」と「ずっとずっとずっと君がスキだ」の思い出を語った。

 「この曲、すっごい好き。ビター・チョコレートという感じ。食べてみてください」という紹介で始まった4曲目は「TO BE...」

 珠玉のバラード曲というのは、友フレの間では共通認識ではあったが、クリーントーンのギターとピアノ音色のキーボードという最小編成の演奏形態でRAWで、剥き出しな裸な状態で熱唱されると吉川友というアーティストの歌の巧さがよりいっそう、際立つ結果となった。今回のライヴのハイライトの一つである。

 「声が出るか、すごく不安ですが...結構、何回歌ってもやっぱり自分の納得して完璧に高音も出て、今まで完璧に歌えたことがない楽曲かもしれない。何回も歌ってきたけど。今でも私の中では難易度高いレベルに入るナンバーになります。」

 −という自信無げな紹介で始まった「さよなら、スタンダード」

 今まで、何度も聞いてきた曲だったが、そんな不安に駆られる曲だったのか−とこのMCで改めて知ったぐらいだが、確かに高音を絞り出さないといけない箇所がいくつかあり、難しい。
 特に、今回のようなギターとキーボードのみの最小単位でのパフォーマンスではそれが際立ってしまうのだろう。
 だが、今回もきっかが望むような完璧ではなかったかもしれないものの、精一杯の歌唱であったことは画面の向こう側にも十分、伝わった筈である。


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 「やー 緊張した!」と一気に緊張から解放され、表情も緩んだ吉川さん。

 「早いもので、次の曲がラストです」と最後の曲を紹介する。

 コロナ前、観客ありのライヴなら「ええっー」「今、来たばっか〜」と掛け声が掛かるところである。
 そんなデビュー10周年、バースデイ・ライヴのラストソングに選ばれたのは「恋」であった。
 コーハンさんのギター・アルペジオをイントロに、ほぼ通常のエレクトリック・バンド形式と同じように全力で歌うきっかが尊い。

 歌い終わり「ちょうど、2年前の今日(2019年5月1日)、リリースした配信シングル「恋」でした」というきっかの発言を聞いて、なるほどと思ったのは自分だけではないだろう。
 誕生日にリリースした楽曲はこれだけと考えれば、ラストに選ばれたのも大いに納得できるのだった。

 誕生日ということで「(今年も)親御さんから、朝8時20分(生まれた時間)にラインが来ました。あっといういう間に29歳だね。上品な女の子になってくださいみたいな内容でした。今年は上品な、品のある女性を目指して、20代最後を楽しんでいきたいなと思いますので、ぜひ、みなさん、これからも29歳の吉川友の応援お願いします。今日は本当にありがとうございました」

 「上品な女の子になってください」という”笑い”を塗しながら、最後はキッチリ、感謝を伝えてライヴを終えた吉川さん。

 次回は本日(5月1日)表参道GROUNDでやる予定だった単独ライヴ『吉川友 10th Anniversary LIVE きっかけはMe!』は5月22日に同場所で行われる。

 もちろん、配信もあり、自分も視聴することになっている。とても楽しみである。









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SET LIST
1さよなら涙
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2こんな私でよかったら
MC
3ずっとずっとずっと君がスキだ                      
MC
4TO BE...
MC
5さよなら、スタンダード
MC
6
MC(バンドメンバー紹介)










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