TWISTED SISTER
Japan Tour '85







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 80年代初期、イギリスで始まったNWOBHM(ニュー・ウエーブ・オブ・ブリティッシュ・ヘビィメタル)の波は海を渡り、ロスアンジェルスにてLAメタルという形で萌芽した。
 いわゆるLAメタル・バブルの始まりである。
 ビリーチした髪、カットソーのTシャツ、バンダナ、LAの青空を象徴するかのようなどこか突き抜けた明るいメロディライン、その楽曲に華を添える(日替わりの如く登場した)ギターヒーロー達。
 イギリスの風土に根ざした憂いや粘り濃さを核としていたNWOBHMに比べ、LAメタルはあくまでもビジュアル重視の音楽。
 どこまでも明るさを信条としていたと思える。

 しかし、バブルはいつか弾ける。

 LAメタルもその例外ではなく、90年代初めには終焉を迎え 2004年の今、現在まであの頃のような大きなムーブメントが再認される事は無かった。


 1985年、そのLAメタルの最盛期に1枚のアルバムが発売された。
TWISTED SISTERというバンドの「STAY HUNGRY」
 お世辞にも美形とは言えない大男が、趣味の悪いストリートガール風化粧を施し大口を開け写っているジャケットはどうみても あの時代に於いてさえ流行に逆行するものであった。
 しかし、収録曲「WE ARE GONNA TAKE IT」「I WANNA ROCK」のPVの面白さもあってアルバムは大ヒット。アメリカ国内だけで100万枚の売り上げを記録したという話である。
 それにTWISTED SISTERはLAではなく NY(ニューヨーク)を本拠地として活動し、このアルバムが出るまでさほど大きな成功を得る機会もなく数多くの辛酸を舐めさせられたベテランであった事からも他のポッと出の若手メタルバンドと一線を画していたのも明かであった。
 またこのバンドを語る上で欠かせないのは最初に認めたのがまずイギリスを中心としとヨーロッパ各国であった事。アメリカ国内のレーベルから無視され続けた時、救いの手を差し伸べたのがNWOBHMの本場であったというのも今考えれば 興味深い事である。私はここにかってジミ・ヘンドリックスが渡英して初めて世界的に認知されたように、あるいはブルーズがエリック・クラプトンらイギリスの若手ギタリストに取り上げられ再認識された時と同じような匂いさえ感じる。
 ともかくもイギリスから逆輸入されたベテランバンドは大手レコード会社アトランティックと契約した3枚目でようやく世界的に日の目を見る結果となった訳である。


 個人的にはPVももちろん見ていたし、曲もキャッチーで判りやすく 好きであったのだが、私がTWISTED SISTERのファンになるきっかけは曲よりも先に1本のインタビュー記事にあった。
 BURRN ! 創刊2号にあったバンドの顔、ディ・スナイダー(Vo)のインタビューには その生い立ちからバンド結成、下積み時代、そして成功を手にするまでの事が赤裸々に語られているのだが歌を唄うことぐらいしか取り柄のなかった孤独な少年が年月を経て自信を持って生きていく様にひどく共感をおぼえたのだった。
 だからこそ この初来日公演(同時に唯一の来日公演でもあるが)にはワクワクさせられたし、ライヴ自体も観客参加型のあの当時でも珍しいくらいの大きな盛り上がりに我を忘れさすほどの興奮を覚えた。
 さすがにあれから20年も経過し、1曲ごとの詳細を今、語るのは不可能だが、それでも強烈に印象に残っている出来事と言えば、客電が点いた中での2回目のアンコール「I AM (I'AM ME)」での事。
 1回目のアンコールを「S.M.F」(TWISTED SISTERのファンクラブ名でもある。ちなみにSick Mother Fuckersの略 )というアンセムで終え、舞台袖に消えたメンバー達。
 当然の事ながら、観客の盛り上がりが収まる気配は無かった。
 しかし、そんな盛り上がりを打ち消すようにあっさりと客電が点り、一旦は落胆のムードが場内を包んだ。
 私の横のメタル姉ちゃんが、この時早々に退席していったことからも この時の状況は明かであると思う。
 だが、ほとんどの客は帰ろうとしなかった。もちろん、私も含めて....。
 巻き起こる強烈なアンコールの声と手拍子。
 それに押されて再登場するディ・スナイダー、J.Jフレンチ、エディ・オジェイダ、マーク”アニマル”メンドーサ、AJ ペーロの5人。
 客電が点いたままステージに現れたメンバーに感動と同時に 一挙にステージと客席の垣根が取り払われたような感じがしたのだ。
 然も、そのまま曲に突入し熱唱するディ。
 まるでステージと一体化した会場は当然の事ながら大合唱と為る。
 その時、私達、観客一人一人がTWISTED SISTERの"6人目のメンバー"になったような錯覚を覚えた程であった。


 そんな当時のライヴの模様をBurrn! 1985年5月号ではこう綴られている。



 「とにかく聴衆参加のライヴを展開するTS。
 客席に向かってのライトも、ひんぱんに使われ、目の良い ディーは客席のスミからスミまでしっかりと見ている。
 座っていようものなら、バシバシ指さされ、
 ”コラ!そこ!! 座ってんじゃない!!"
 とまるで授業中に居眠りしている生徒を怒る先生のごとくやられた。
 ちなみに東京公演では伊藤政則氏と酒井康本誌編集長が名指しで立たされ、大阪では大野奈鷹美本誌記者が立たされた。」




 日本公演最終日である名古屋公演には残念ながら セーソク氏や酒井編集長(exバーンコーポレーション社長)など その世界の著名人が訪れる事はなかったと思うが、ここにもあるように客席に眩しいぐらいのライトを浴びせ煽っていた事は微かに思い出す事が出来る。
 今、思えば 実にファンの心を掴むのが巧かったんだなあと思えるのだ。



 あれから20年。
 TWISTED SISTERにもその間、色々な事があったようだ。
 メンバーの不仲により解散。それぞれがソロ活動に勤しむ中、80年代再評価の機運と共に例の911テロの被害者を励ます為のチャリティコンサートを機に再結成。
 最近でもシュワル・ツェネッガーのカリフォルニア州知事選挙のテーマソングに「WE ARE GONNA TAKE IT」が採用されるなど話題には事欠かなかった。
 そして2004年には「STAY HUNGRY」がリ・レコーディングされ未発表曲と共に「STILL HUNGRY」という名前でコンパイル。発表された。
 私も早速、手に入れたが多少のアレンジはあるものの、往年の"TWISTED SISTER節"は今も健在。

 あとは念願の再来日公演を待つばかりなのである。





 追記:2016年、TWISTED SISTERのバントとしての活動は終了してしまい、結局 再来日は幻となってしまった。

 あとはディ・スナイダーのソロ来日公演に期待が掛かる。










Twisted Sister Live at NAGOYA CIVIC ASSEMBLY HALL, Nagoya, Japan 3/3/1985








SET LIST
1STAY HUNGRY
2KIDS ARE BACK
3UNDER THE BLADE
4THE BEAST
5LIKE A KNIFE IN THE BACK                     
6YOU CAN'T STOP ROCK 'N' ROLL                   
7SHOOT'EM DOWN
8WE ARE GONNA MAKE IT
9BURN IN HELL
10WE ARE GONNA TAKE IT
11I WANNA ROCK
・・・ENCORE 1・・・
12THE PRICE
13S.M.F
・・・ENCORE 2・・・
14I AM (I'AM ME)





 最後にどうしても書いておかなければいけない事がある。


 2004年12月8日

 元PANTERAのダイムバック・ダレルが ステージで演奏中、PANTERAファンという男に射殺されてしまった。
 犯人が駆けつけた警官に射殺された為、原因は定かではないが、ダレルを撃つ直前
 「パンテラが解散したのはお前のせいだ」
と言ったそうだ。まさに狂信的なファンの典型。
 奇しくも1980年の同じ日、ジョン・レノンを射殺した マーク・チャップマンも狂信的なファンであった。
 しかし、ファンであったなら
 「いつの日か、また同じメンバーで再結成があるかも。  きっとあるに違いない。それまでずっと待ち続けよう」
 と思うのが至極、真っ当な事である筈。
 上記したようにTWISTED SISTERも数々の恩讐を越え再結成した、それに来年1月にはEUROPE、EXTREMEもほぼ全盛期のメンバーで帰ってくる。
 今までのロック界の歴史を振り返れば、ジョン・レノンを欠いたBEATLESは永遠に不可能になってしまったが、人気のあったバンドはほぼ大体が再結成を為している。
 それなのに、バンドの最重要人物を手に掛けるなんて愚の骨頂−自らその儚い夢を破壊する事に他ならない。
なぜ こんな事になってしまったのか?
 同じ年、同じ月、そして同じ星座生まれのメタルファンの一人として このような愚行は絶対許せない。悲しいばかりだ。



 ダレルの魂よ 永遠なれ。











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