なごり雪

伊勢正三 詩・曲・唄 「なごり雪」より


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 監督:大林宣彦

 脚本:南柱根、大林宣彦

 製作:大林恭子、工藤秀明、山本洋

 出演:三浦友和、ベンガル、須藤温子、宝生舞、細山田隆人、反田孝幸、長澤まさみ






 大林宣彦監督は映画「なごり雪」で「尾道映画」に別れを告げた



 と書いたら、かなりの反発を受けるかもしれない。しかし私にはそう思えて仕方がなかったのだ。




 多くの人がそうであるように大林監督と言えば 監督の古里 広島県尾道市を舞台にした作品群「尾道3部作」(『転校生』『時をかける少女』『さびしんぼう』)、「新尾道3部作」(『ふたり』『あした』『あの、夏の日』)がすぐに思い出される事であろう。
 かくいう私も『ふたり』を見て 尾道映画にハマッたくちなのだが『あの、夏の日』で一旦、尾道から距離を置いた大林監督が新たに映画の舞台に選んだのが大分県、臼杵市という小さな町だった。
 なぜ 尾道の次に臼杵という町を選んだかというのは監督が大分県の「全国植樹祭」というイベントの総合演出を担当した事にまで遡る。もう かれこれ3年前の事である。
 天皇皇后両陛下も参加するこの記念式典を 監督は映画的手法を用いた前代未聞の「ミュージカル」で取り仕切り成功させる。それがやがて臼杵市長との出会いを生み、監督言うところの”町興し”ならぬ”町守り”の姿勢に共感し、このように臼杵を舞台とした映画製作へと結実していったらしい。
 また 臼杵の隣町、津久見市の出身に「かぐや姫」の伊勢正三氏がいたことで同氏の名曲「なごり雪」をモチーフとする事になったと言われているがあくまでも「臼杵で映画を撮る」という前提があっての本作。大林監督がどれだけ臼杵の町に惚れ込んでいるか判るエピソードであろう。




 あらすじ

 戯れに「遺書」をしたためる男、梶村祐作。50歳。
 昨日、長年連れ添った妻にも逃げられたばかりのこの男に もはや生きる気力などありもしなかった。
 そんな時、28年ぶりに古里 ”臼杵”へと呼び寄せるかっての友、水田健一郎。

 「妻が、……雪子が死にかけている。……祐作、帰って来てく れないか、臼杵に」

 雪子....28年前に別れた彼女の事は今でも忘れることは出来ない。
 雪などめったに降らない温暖な町に住みな がら、雪が降ると奇蹟が起きる、……そう信じて、その名前の通 り雪を愛し待ち焦がれ続けた美しい少女。
   今は水田の妻になった彼女が死にかけている? それは一体どういうことなんだ?
 釈然としない気持ちを抱えながら 祐作は古里へと続く列車に飛び乗る。
 臼杵での懐かしき日々。あの頃は 水田、雪子がいつも一緒だった。

 そして28年ぶりに古里に戻った祐作が見たものは、全身に包帯 を巻かれ、やがて訪れる死を静かに待つ雪子の姿。
 祐作の脳裏には雪子を見た最後の姿が蘇ってくる。誤解と偶然が折り重なった悲劇。
 結局、真相も判らぬまま、こうして28年が経ってしまったが あの夜の出来事は何だったのか?
 過ぎ去った重い現実を前に、痛々しい記憶だけが祐作の心に突き刺さる。pic
 いつも自分を恋し ていた雪子。その気持ちを知りながら深く傷つけた自分。
 そんな雪子に恋していた水田。
 東京の大学へ向う自分を ホームで見送り、春にはきっと帰って来て、とせがんだ雪子。
 雪子との 約束を守れなかった自分。雪子は俺が守ると言った水田の言葉。

 断片的に浮かんでは消える記憶に呆然とするしかない祐作。
 自分達はこの二十八年間、何を得て、何を失ってしまったのか。


 伊勢正三の歌う「なごり雪」が 切なくも心に響いてくるのだった...





 冒頭の伊勢氏の「なごり雪」弾き語りシーンと列車が線路をひた走る映像が被さっていくあたりで物語にぐっと引き込まれる。
 物語は現代と28年前の過去が入り組んだ形で同時進行的に描かれていくのだがどちらかと言えば過去を中心に据えているように思う。
 ゆえに昭和の香りを色濃く残す臼杵の風景はこの映画にはぴったりとはまる。
 その中で描かれる祐作、雪子、水田を巡る幼く壊れやすい三角関係は現代では考えられない程、無垢で気恥ずかしいくらいだ。
 そして監督が意図的に施したという棒読み口調(に近い)セリフまわし
 一字一句の相違なく台本通りにセリフを演者に語らせたというエピソード。
 それに主演の三浦友和さえ絶句した「なごり雪」の歌詞どおりのセリフと3つの実験的な試みも大林監督の大いなる意志と覚悟の表れである。
 ひとつ間違えばギャグや反発を喰らいかねないこのような演出方法も危ない橋を渡りながらも成功していると言えるのではないだろうか。
 それは須藤温子、細山田隆人、反田孝幸、長澤まさみら若い俳優陣の自然体の演技と三浦友和やベンガルなどベテラン陣の的確な演技がバランス良く配置された結果であると思う。
 ベンガルのラストの号泣シーンなど一部ではやりすぎという批判もあるが、主人公達の過ぎ去った28年の事を思いやればこのような過剰な演出も納得出来るものだろう。特に主人公達と同世代、古里を旅立った者にとっては胸にグッとくるシーンであったに違いない。


 ところで監督の奥方である大林恭子Producerはこの「なごり雪」制作にあたり「転校生」の時のような初心に戻ると宣言されていた。
 これには”新たなる臼杵映画シリーズ”の到来を予感させるものがあるが、それは同時に「尾道映画」の終結を意味していると言えるのではないだろうか。
 また私は初めてこの映画を見た時、この作品を「デジャブ映画」と称していた。
 ”デジャブ”−いわゆる”既視感”とも言われる、『ここは初めて来た場所なのに以前も訪れた事がある』と錯覚するというお馴染みのアレである。
 何故そう思ったかというと劇中、舞台になる臼杵の町並み(坂、道、風景etc)が「尾道映画」で見たかっての尾道の風景にどこかしら似ている為だった。
 同じ大林監督が作るのだから撮影前のロケハン時に自然とそういう場所ばかりに目がいったのは想像に難くないのだが それにしても似すぎていた。
 そればかりではない。劇中、使われたセリフにも多くの「尾道映画」との類似点が多く見られたのである。
 また過去の「尾道映画」をご存じな方なら主人公である祐作と雪子、水田の関係を「時をかける少女」における 原田知世演ずる芳山和子と未来人 深町一夫、幼なじみ堀川吾朗の関係になぞる事も出来るはずだ。それに祐作と雪子の兄妹のような関係に注目すればこれは「ふたり」の石田ひかり演ずる北尾実加と大学生 神永智也との関係を思い起こさせるのである。(祐作が「雪子は大事な妹だから」というセリフは まんま神永智也のセリフでもある)
 最も象徴的だったのはエンディングロールが流れる映画最後のシーン。
 あの雪子の笑顔に「時かけ」のラストを思い出した人も多いだろう。
 故に私は「尾道映画」で用いた手法を意図的に?臼杵映画の第一弾である「なごり雪」に反映させるのか真意がわからず「うーん」と唸ってしまったほどである。


 大林監督は今までの「尾道映画」を”町守り”の映画であったと度々、発言してきた。
 町守り すなわち 高度経済成長時代、全国的に我先にと進められた開発という名の破壊から古里、尾道を守るという行動は「尾道映画」のヒットにより実を結ぶ。
 それは映画の地を求め、年間何万人という観光客を生み全国的に尾道の知名度を向上させることに成功したのだ。尾道市にしてみれば 観光の為に資金を捻出することなく地元出身監督が制作する地元映画で観光客を呼べるならこんな楽な事は無いと言ったところだろうが しかしその反面、他の町のように開発を押し進める事が出来ないというジレンマも生まれる事となった。
 そりゃ そうだろう。「尾道映画」を見て訪れる観光客はあの映画の中で描かれる映画の雰囲気そのままの尾道を見たい、触れたいのである。
 開発され映画を振り返ることの出来ない町など他の綺麗に、そして便利に開発された町と同じで何も魅力が無くなってしまうことになるのだ。
 「尾道映画」はそんな開発の抑止力と成り得たのである。
 だが そんな尾道も開発の魔の手は忍び寄っていたということか。
 ここ最近の変貌ぶりは凄まじいばかりである。駅前の雰囲気など映画でしか知らない観光客が初めて訪れたならば驚愕する事だろう。一見、綺麗になり便利になった尾道も 地元の人の話では人口の流出は避けられない問題になっていると聞く。また本州と四国を結ぶ「しまなみ海道」の起点でもある尾道は当然、島に渡る観光客でも賑わう筈であったが 案外そうでもないという事も聞いた。  いわゆるバスや車で”通り過ぎるだけの町”になり下がっているらしい。そして未曾有の不況で寂れていく名物の商店街を見るにつけ私は悲しくなってしまう。

 ”町守り”として成功、敗北の両面を味わったと言える「尾道映画」を『封印』する意味で 臼杵というまだ開発の手が入っていない町を選び「なごり雪」という映画を制作するに至ったと思える。しかも 臼杵という町は市長みずから「町守り」の先頭に立ち開発による破壊を防いできた経緯もある。そういう意味では臼杵で映画を撮るというのは大林監督にとっては特別な意味があったのだろう。「なごり雪」での臼杵の町並みが尾道に見えてしまったというのも監督の「ある願い」の表れでもあると思えるのだ。
 そう 監督は臼杵の町並みを見ながらカメラの向こうに遠く尾道を思い描いていたに違いない。それも監督が幼少から慣れ親しんだ尾道の、我々が尾道映画で思い浮かべる事の出来る風景を....。


 今は変わってしまった尾道に対し、変わる事を拒否し続ける臼杵での映画「なごり雪」。
 あのような過剰とも言える「尾道映画」からの引用は尾道に対する映画的惜別の言葉であったのかもしれない。私にはそう思えてならないのだ。



 今後、大林監督が尾道で映画を撮る事はないという確証は無いが、そんな機会があるにしてもそれは以前のようなファンタジー色に溢れた映画とはならないような気がする。
 大林監督にとって今の尾道は街角でひょこりと未来人や黄泉の国から蘇った愛しい人に出会えるという奇跡が似合わなくなっているように感じているのかもしれない。

 − と勝手に想像しているのだが、みなさんはどう思いますか?





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