シリーズ1/1000sec

著者:新谷かおる

初版:1981年5月25日

出版:朝日ソノラマ サンコミックス全2巻

入手性:古本屋で何とか^^;

備考:写真はスコラバーガーSC版

ストーリー概略:
この作品は、1巻6話までが連続モノ、2巻7話〜12話が個々の舞台を持った1話完結モノという変則構成となっている。
6話までは、今は亡き報道写真家を父にもつ、高校生「牧恭一」が、アルバイトで入った写真事務所の業務を中心としたストーリー。7〜12話は、サーキットや戦場などを舞台としたカメラ(写真家)の活躍が綴られる。
全くの余談だが、朝日ソノラマ版とスコラ版では、収録されている巻末読みきり作品に相違がある。新谷かおるファンは、結局両方買わされることになる。

本を集める前から、意外と悩むことなく最初はコレを紹介しようと思っていた。雑誌掲載当時は、おいらがカメラを始めた頃と丁度リンクしていたから、漫画の影響でカメラを始めたワケではないにしろ、やはり思い出深いものがある。

ストーリーに関しては、1巻と2巻で違う形態になっており、少々ややこしいので、重複するかも知れないが整理しておこう。1巻は6話完結構成で、写真事務所「姫アート」にアルバイトで入った牧恭一が主人公である。2巻に収録されている6話分は、各話独立した世界観をもった読みきり作品となっているので、ここでは牧恭一に絞ってみよう。

牧恭一、高校生。父親の牧忠は、5年前に反戦デモに巻き込まれて死亡した敏腕報道カメラマンである。母親は保険外交員をしていたが、交通事故により、退行性精神障害をきたし入院。息子の事を亡き夫と思いつづけている。…うわぁ、何だかコンドルのジョー並の不幸度ではないか。重い、重過ぎるよ。

写真で命を落した父親を否定しつつも、生活を支えなくてはいけない為、写真事務所でアルバイトを始め、給与天引の月賦でコンタックスRTSを購入。下積みで場数をこなすうちに、初仕事が大手化粧品の広告という大チャンスが…というのが基本的展開である。全てがハッピーエンドに終わるわけではないけれど、読後感もすっきりしていて、カメラ関係に興味が無い方でも楽しめる作品になっている(自分が作者のファンである事を差し引いても)。

作者の事を考えると、作品描写がメカおたく重視という先入観を持っていたんだけど、案外そうでもなかったりする。例えば、学生の身でコンタックスは贅沢と思っている恭一に社長が説く

「ピアニストが四畳半一間にグランドピアノをぶち込んでその上に布団引いて寝てたって、そりゃぜいたくとはいわん」
「カメラマンにとってのカメラも同じだ。どんな高級機を選んだって、それで生活するんだからぜーたくとは言わない」

(中略)

「弘法筆を選ばずなんて言うけどね、趣味ならともかく商売なら筆を選ばないとな」

要は、プロは元を取らないといけない為、機材に「贅沢」なんて考え方は無いのである。もっとシビアに言えば、要求性能を満たした上で費用対効果を重んじる必要がある。どんな仕事の世界でも、必要になって買う(使う)道具は「贅沢」ではないであろう。

読みきり作品の中では写真学校生が、これまたイカした事を言ってくれる。

「人間の才能には限界はないが機械にはある」
「どんなにいい腕をもってしても、道具がついてゆけないと表現手段に制限ができてしまう」
「制限というものこそ、アーティストにとっては重い鎖以外のなにものでもない」

趣味世界では、なんとなく安い機材で努力するのが美徳のように思われがちである。また、カメラ雑誌の読者コーナー、あるいはインターネット掲示板でも「入門機でも工夫次第で…」という風潮もある。プロを目指す世界では、努力を払うべきはカメラの操作ではなくて、作品の作り込み(特にイメージ)というのが本質的な問題と言える。

おいらの持論に初心者ほど高級機を選んだ方がいいというものがある。人にカメラを勧める場合、実際は経済的事情などで、中級機と呼ばれる機種を選択する事が多いのだが、ある程度限界点の高い(制限の少ない)機材にしないと、撮る楽しみが減ってしまう可能性が高いと思うのだ。カメラに慣れた人間であれば、機材の性能を把握して、性能範囲内で使いこなす事になるんだけど、その場合は熟練者よりも初心者の方がストレスが大きくのしかかってくるはずである。手軽に撮りたい人に、無理に努力をさせる必要もないんじゃないかと…ね。

もっとも、熟練者の中には、わざと不便で手数のかかる機材を使って、これがいいんじゃ〜(^^)とかニヤニヤしている、「マゾ」のような御仁もいらっしゃるのだが。あ…いや、白状すると…おいらにもそういう一面はあったよ…

精神論?もそこそこにして、この作品にはカメラおたくな話も当然たっぷり含有されていて、その向きでももちろん楽しめる。例えば、登場するカメラは、主人公はコンタックスRTSをはじめ、ライツミノルタCL、あと羅列してゆくと、ニコンF2、ブロニカS2、キヤノンF-1(旧)、コニカFP、オリンパスOM-2、ニコンF、ハッセルブラッド500C、マミヤ6、ミノルタXE…ときたもんだ。扉絵に使われたペンタックスMX+モータードライブMX+バッテリーグリップなんてのも、選択がアツイ!

恭一がカメラを選ぶ時、ミヤマ商会(この店は実在する)の店員が、メーカー別のレンズ描写傾向の講釈をするのだが、これは80年代初頭ならでは(今どきはOEMだらけで、メーカーの傾向なんてバラバラになってしまったからのぅ)。それで、”最高の”ツアイスレンズが使えるコンタックスを選ぶ事になったんだけど、ツアイスだけはレンズ描写傾向の説明が無かったり(^^;)。ある意味、最も説明して欲しいレンズだったのだが。

あと、ミノルタXEの巻き上げに関する薀蓄を引用してみよう。

各社やっきになってモーター・ドライブやオート・ワインダーの装着に設計変更しているとき、XEは発売された。ワインダーもモータードライブもつけずに。確かにモードラは便利ではある。でも私はこの機種に関してはモードラは意味が無い。軽い巻き上げレバーは、フイルムが終わりのほうになっても、その手ごたえにストレスはない。

なんでもこのXEを開発するにあたって一番金のかかったのが、この巻き上げ機構だという。写真というものは面白い。巻き上げという動作は一瞬の勝負のときにはやっかいなものだ。しかし、撮影という一連の作業の中でシャッターを切る前の心構えとして、巻き上げは必要な動作だと思う。

これをつくった技術者は、撮る人間の感性がわかっていたのかもしれない。

もう、赤城先生もビックリの誉め文句。(XEが悪いと言っているワケではない。おいらも実家に置いているが、素晴らしい巻き上げ感である)ぜひとも雑誌のチョーチン記事も書いて欲しい気がするぞ(^^;)

あと、ツッコミ所を少々。スタジオでポラロイドを撮る時にSX-70を使っているのは、ご愛嬌。いや、使うなとは言わないけど、せめて被写体とカメラを結ぶ線の同軸上で撮影して欲しいとか思ったり。

さすがに読者から指摘でもあったのか、後の話でハッセルでポラを切って、ぺりぺり剥がす描写があったけど、ハッセルのボディにポラバックが付いてなかったような(^^;)。ま、一般的には馴染みのない機材なのでしょうがないかも。ライト主体のスタジオの描写はすごく丁寧なので帳消し以上って事にしておこう。

まとめに入ると、新谷かおる作品の場合、作中にカメラが登場するものが多い。きっと本人もカメラ好きに違いない。それが証拠に、カメラについて語る時は、一ファンであるがごとく共感を呼ぶようなセリフになっており、カメラファンの心をくすぐるものがある。出てくるカメラの機種を考えなけりゃ20年前の作品とは思えないのだ。氏はビッグネームゆえに短編も絶版になりにくいという向きもあるが、この作品に関しては作品力が時代を超えていると言えるかも(ちょっと誉め過ぎか)。


文書履歴
2003.01.06−全面書換
2001.03.10−追記修正
2000.11.30−アップ
一つ上の階層へ
最初に戻る