政策法務研修をどのように行うか

     

自治大学校部長教授 山谷成夫
政策法務・自治体法務
最近、自治体における政策法務の必要性が盛んに叫ばれている。また、自治体職員の研修において政策法務に関する研修を実施しようとする動きが急である。別掲1を参照。
 さて、「政策法務」と類似した用語に「自治体法務」がある。政策法務や自治体法務という用語において提唱すべきものは、論者によって若干異なっている。
 大まかに言うと、@国法に対峙して自治体の立法権・法令解釈権の確立を目指そうとする立場、A行政法学において法政策論・立法論を積極的に展開していこうとする立場、B自治体とその職員の法務能力の向上を図ろうとする立場、等がある。これらの立場は、互いに対立・矛盾するものではなく、政策法務や自治体法務において目指すべき目的をどのように強調するかの相異によるものと思われる。
 このような相異により、政策法務や自治体法務という用語の意味するところも、論者によって異なっている。
 ここでは、それらについて詳しくは論じないが、研修という観点からその目的、対象、内容等を明確にするために、少し概念を整理してみる。
 木佐茂男教授は、「自治体法務」を「自治体で行う一切の法的な意味をもつしごと」と定義し、「自治体法務という考え方は、自治体での法的な処理の全体を視野に入れ、総合的に取り扱うことをねらい」としており、「憲法、民法、刑法、行政法等多くの法が自治体法務の要素」になるとしている。(注1)
 一方、政策法務は、政策形成に関連づけて論じられることが多い。自治体における政策法務の対象として、次のような分野があげられる。
  1. 自治体独自の政策実現手段として条例、規則等を制定すること(自治立法)
  2. 既存の法令の規定について自治体として地方自治の本旨に基づいた運用や解釈を行うこと(自治解釈)
  3. 訴訟をとおして自治体の政策を主張すること(訴訟法務)
  4. 国の法令に対して自治体の意向を反映させること
  このほかに、自治体の総合計画を対象に含める考え方や、@の自治立法を狭義の政策法務とする考え方がある。(注2)


自治立法としての条例
自治体では、自治立法である条例を制定し、これに基づき政策を実施している事例が急速に増えており、今後さらに増大していくものと思われる。これには次のような背景がある。 
  1. 自治体はその地域の様々な行政課題に直面しているが、これらの解決は、法律の制定等国の対応を待っていては手遅れになってしまう事態が少なくない。このような事態に対処するため、自治体が条例を制定して解決していくことが求められている。
  2. 従来自治体の政策は、執行機関の内部手続(決裁、要綱制定等)のみによって決定されていたことが多いが、政策決定過程において住民意思を反映し、自治体の意思として条例を制定することが要請されている。
  3. 行政手続法・条例の制定に伴い、要綱等に基づき行ってきた行政指導の法的根拠を条例に規定し、行政手続の公正・透明を確保することが必要となっている。
  4. 地方分権により、機関委任事務が廃止されて自治事務に区分されると、従来の政省令による基準等を条例で定めることとされ、自治体が地域の特性に対応できるよう、基準等の付加、緩和ができるようになる。なお、法律と条例の関係についての従来の考え方は、地方分権の実施による国と地方の新しい関係の下においても維持されるものである。(注3) 
 ところで、条例は、政策実現手段として他のものに比べて大きく異なっている。
 第一に、条例は予算、計画その他の政策実現手段の上位にあるという点である。条例は議会の議決を経て自治体の意思として決定されるので、予算の編成・執行をはじめ自治体の施策を制約する。最近では、自治体としての政策の理念とその体系を条例に規定し、住民に明らかにするとともに、それに基づく施策を実施しようとする事例が増えている。
 第二に、条例は、他の政策実現手段と異なり、一旦施行されると法規範として自治体が権力をもって住民等にその遵守を要求し、その実現を担保するものである。したがって、条例の立案にあたっては、想定される全ての具体的な事態について多角的な検討をしなければならない。


自治体職員に必要とされる法的素養
 およそ自治体は憲法と地方自治法に基づく存在であり、その事務や事業は各種の法律、条例等の定めるところにより実施されている。したがって、法務能力は全ての自治体職員が身に付けておかなければならないものである。このような必須の法務能力は、業種・職種や階層・職務経験によって当然異なるが、次のような基礎的な法務能力(法的素養)が挙げられる。
  1. 憲法で定める基本的人権の尊重、民主主義の原理、法治主義の原則等に関する基礎的知識
  2. 地方自治の本旨や地方分権に対する正しい認識
  3. 行政サービスや行政手続を法律・条例等に基づき公正・透明に執行する実務能力
  4. 仕事や制度を法的な視点からとらえるセンス
 このような法務能力を修得させる研修は、新採職員から管理職に至る階層別一般研修、担当職務に応じた専門研修等において、それぞれの階層や職務に即した内容を取り入れて行う必要がある。この場合、憲法、行政法、民法、地方自治法といった従来の縦割り型の法制研修課目にとらわれることなく、「自治体法」あるいは「自治体と法」といった融合型の研修科目とすることが望まれる。行政手続及び情報公開についても必須の内容である。


政策法務研修のカリキュラム
 前述のとおり、自治体では条例を制定して政策を実施する事例が増大していくことが予測される。このため、政策法務研修は条例立案を中心に据えて実施することが効果的である。
 政策法務研修の研修目的は、受講者の法的政策形成能力の向上、すなわち「政策実現手段としての条例、規則等を立案する場合等に必要となる基礎的な能力の養成」に置くべきである。このような能力は必ずしも全ての自治体職員に必須となるものではない。一方、法制執務担当職員のみならず、まちづくり、環境等、行政の各分野における政策の企画・立案を担当する職員にも要求されるものである。なお、政策法務研修は、内容が高度になるため、受講者の意欲と自己学習が不可欠である。このため、受講希望者を対象とすべきである。また、入門、基礎、応用等の段階的・体系的な実施も考慮する必要がある。
 研修カリキュラムの作成に当たっては、講義と演習をバランスよく組み合わせることが肝要である。別掲2を参照。
 講義の内容は「自治体法」といった編成が望まれる。特に政策法務という観点から、条例のもつ2つの限界(注)について正しく認識させるような内容が必要である。
(注)条例のもつ2つの限界−   
  1. 憲法と法律との関係において条例の制定権には一定の限界があること。
  2. 条例制定により直ちにその政策目的が実現するというわけではなく、実効性に限界があること。
 政策法務研修では、演習が重要である。演習には事例研究演習(判例研究と条例事例研究)と条例立案演習がある。(注4)
 判例研究演習では、条例や行政指導の適・違法性が争われた判例が適している。
 条例事例研究演習や条例立案演習では、次の諸点に配慮すると効果的である。
  • 条例を行政課題解決手段、政策実現手段としてとらえる。
  • 条例立案を政策形成プロセスの中で位置づける。
  • 条例のもつ2つの限界を認識する。
  • 条例制定と併せて実施する政策も検討する。
  • 他団体の同種・類似の条例を比較・分析する。
 条例立案演習では、条例案を条文案形式や条文案要綱形式で具体的に表現してみることが特に効果的である。この作業はかなりの労力と時間を要することとなるが、これらの形式で表現することにより個々の規定や文言の有する意義について考察することができる。
 職員研修において既に実施している法制執務研修、法制研修等について「政策法務」の要素を取り入れたり、「自治体法」という融合的な研修講座として再構成したりすることが必要となっている。また、政策研究研修等では、政策実現手段として条例制定を視野に入れて研究するよう、指導する必要がある。
 政策法務研修の取組は、まだ緒についたばかりである。創意工夫を重ねながら充実していくことが望まれている。


(注1)木佐茂男(編)『自治体法務入門』(ぎょうせい、1998)による。この図書は、自治体職員向けのテキストとして刊行されたもの。
(注2)鈴木庸夫「自治体の政策形成と政策法務」判例地方自治133号(1995)、木佐茂男「自治体法務と政策法務」同誌145号(1996)等を参照。
(注3)地方公共団体の事務について、法律との関係において条例制定が制約されるかどうかは、個別の法律の明示の規定によるほか、法律の趣旨、目的などにより判断されることとなる。(平成8年12月20日 地方分権推進委員会第1次勧告)
(注4)事例研究演習の教材としては、自治大学校教授室(編)『地域における行政課題の解決手段としての条例』(1998、(財)自治研修協会)が役に立つ。内容は、自治フォーラム466号(1998)54〜56頁を参照。

〈別掲1〉自治体研修所における政策法務研修の実施状況(都道府県・指定都市)
                                    平成10年度実績・計画

  1. 実施団体(団体数)
    ・都道府県 (10)  指定都市 (3)  合計(13)
     北海道、岩手県、栃木県、群馬県、山梨県、岐阜県、三重県、奈良県、
     鳥取県、山口県、札幌市、千葉市、川崎市
    ・うち、入門と実務の2課程を実施 (1)
     県職員対象と市町村職員対象をそれぞれ実施 (1)  同一課程を年2回実施 (2)
  2. 開始年度(団体数)
    ・7年度から (1)  8年度から (3)  9年度から (2)  10年度から (7)
  3. 研修期間・延べ日数(課程数)
    ・8日間 (1)  5日間 (3)  4日間 (1)  3日間 (3)  2日間 (6)  合計 (14)
    ・うち、連続した日程によるもの (6)
  4. 対象職員(団体数)
    ・自団体のみ (7)  県・市町村合同 (4)  近隣市町村を含む (1)  県・市町村は別 (1)
    ・うち、係長級以下 (3)  係長級 (2)  条例等立案担当者 (2)
  5. 講師(課程数)
    ・大学教授等 (4)  大学教授等と自治体職員 (9)  自治体職員のみ (1)
  6. 研修内容(課程数)
    ・講義   3日 (1)  2日 (6)  1.5日 (2)  1日 (3)  0.5日 (1)  合計 (13)
      うち、法制執務    1日 (2)  0.5日 (5)
    ・演習   3日 (2)  2日 (2)  1日 (6)  0.5日 (3)  合計 (13)
      うち、条例立案演習を実施 (3)
    ・課題研究(政策提言)(1)

 (注)法制執務研修、法制研修、政策研究研修等として実施しているものを除く。


〈別掲2〉政策法務研修のカリキュラム案

  1. 目的
     法的政策形成能力の向上;政策実現手段としての条例、規則等を立案する場合等に必要となる基礎的な能力を養成。
  2. 講義(内容例)
    自治体と法。政策法務とは何か。/自治立法権とは。条例の意義。/条例制定権の範囲と限界−条例の限界(その1)。/政策実現手段としての条例の効果と限界−条例の限界(その2)。/自治体と裁判。自治体訟務。/行政手続(公正と透明の確保)。/情報公開・個人情報保護。/
  3. 演習
    ・事例研究演習
    ・判例研究
    ・条例事例研究
    ・条例立案演習