記事タイトル:尼寺五十万石 |
匿名希望さん ありがとうございます。「カストリ雑誌研究」に『「鞆絵と麟之介の物語」 山田風太郎』という記述があるという情報をいただいて以来、皆さんから情 報をいただき、4年越しで、解明された模様です。本当にありがとうごこざ いました! 結局、「くいーん」(Vol.1 No.5 昭和22.12)に、「鞆繪と麟之介の物語」 (第1回分)が掲載され、その次の掲載号が『くいーん』(第4号)の1948年 5/15刊ということですね(実際の刊行年月は不明)。喉のつかえがとれたよう な感じです。それにしても、どこで「くいーん」を捕捉されたんでしょうか。 匿名希望氏恐るべし。[2003年12月30日 1時12分22秒]
スレ違いですけど、新しいスレを立てるほどではないので、ここに同居を。 「鞆繪と麟之介の物語」の後編を確認しました。くいーんの23年5月、ということで良さそうです。不定期刊なので、5月号、という訳ではなさそうですが。 後編とは明記してませんが、完結はしていて、前号の梗概もありますので、2号完結でしょうね。[2003年12月27日 20時7分0秒]
いつも(でいいんですよね)ありがとうございます。地方誌等に並行的に掲載したものは、 初出の確定が難しいですね。新情報感謝。リストを直しとかなくちゃ。[2003年12月8日 23時1分23秒]
その昔に話題になった、「尼寺五十万石」の初出の件ですけど、私が知っている範囲では、 ・内外タイムス 昭和37年5月29日〜 ・新大阪 昭和37年9月 8日〜(昭和38年11月10日) です。いずれも、岩手日報よりは早いですね。 断定はしにくいですが、やはり「内外タイムス」あたりが、一番早い連載ではないのでしょうか。 (なお、内外タイムスの作者のことばの掲載は、5月26日です。新大阪までは、調べていません)[2003年12月6日 21時36分26秒]