こんばんは。
#自動翻訳機能
こーゆーのは大好きなのでさっそく試してみたのですが、昨夜からず〜っと混んでて使
えません。もしかして全国の成田ファンが一斉にアクセスしてるのでしょうか。
#あなたもクィーンになれる
これは続報を心待ちにしてます。
いつぞや成田さんからこの話をうかがった時は、ほんとうに驚きました。
それにしてもなぜデヴィッドスンとスタージョンだったんですかね? 「筆力があって
貧乏なもとい不遇な作家」だったら、他にも大勢いたはずなのに、なぜSF作家だったの
か。
どうせならファーマーに『恐怖の研究』を代作してほしかったです。きっとEQvs.SH
の構図にターザンやドク・サヴェジやネロ・ウルフやHMが乱入して大騒ぎになったにち
がいない。あ、だからダネイにボツにされたのか。きっとそうだ。
ついでだけど、「筆力があって不遇」ということなら、ディックもいましたわな。ディ
ック筆の『九尾の猫』というのも読んでみたかったなあ。邪悪なカザリス博士がエラリイ
を「あっちの世界」に追い込んでしまうヴァージョン。
#スタージョン
余談ですけどSturgeonというのはチョウザメのことですわね(最近知ったんですけど)。
てことは、スタージョンの紹介に際して引用されてた「キャヴィアの味」という評言は、
たんなるベタなギャグだったんでしょうか?
#『少年小説の世界』
読んだのは昭和の御世の大昔のことなので、きれいさっぱり忘れてます。あのころは
私も若く、夜もまた若かった。
読み返してみないと何ともいえないのですが、手塚による漫画表現のイノヴェーション
が「少年小説」の命脈を絶った、というのは、現象的には正しいでしょう。もちろん『新
宝島』の刊行と同時に少年小説の歴史がカットアウトしたわけもなくて、昭和30年前後
(一説では27、8年頃)が分水嶺だったように思えます。要するに視覚文化の隆盛が活字
文化を圧迫した、という耳タコな図式になるんですけど。
「大衆少年小説」が本当に滅びたかどうかは、たとえばソノラマ・コバルト経由の現在
のライトノベルの繁栄をどう捉えるか、というあたりで、人によって見解が異なるでしょ
う。同じ意味で「文学的児童文学」だけが生き延びたかどうかも。まあ、評論に視野を
限れば、「大衆少年小説」の歴史は戦前の少年倶楽部で終っているわけですが。
メディアとしての影響力の衰退を括弧にくくるとして、「少年小説」のエッセンスは、
昭和40年代の矢野徹や梶原一騎に受け継がれていたと思うのですけど、思ってるだけです。
論証するには準備が足りません。
ああ、なんだか小難しい文章だ。これだけ書くのに三日かかってます。すっげえ長文に
なっちゃったんで削ってたのよ。
それでは。
[2000年12月15日 22時29分17秒]