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お名前: 小林文庫オーナー
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佐山様。
こちらにも情報ありがとうございます。
ご存知かとも思いますが、「譚海」系雑誌の所蔵図書館について、フォローします。
「譚海情報」のスレッドで、佐山様のご質問が有った時にも投稿しようかと思ったのですが、
昭和27年9月号〜昭和29年1月号の間では、都立、道立図書館の蔵書をを補完できるものは
無いため、投稿しませんでした。
なお、「譚海」の話題が分散するのも解り難くなるだけなので、今後「譚海」の書誌関係は、
「少年物リスト補足」スレッドに投稿します。
◎ 大阪府立国際児童文学館(http://www.iiclo.or.jp/)
「少年少女譚海」所蔵号:
1巻3,7号
2巻1,2,4,5号
3巻6,8,9号
4巻2号
5巻3,4,6,7号, 4月臨時増刊号
国際子ども図書館HPの検索頁に行くと、一元的に検索できる様になっているので、ご存知の方が
多いかと思います。
「探偵王」も所蔵しています。
◎ 立川市立中央図書館(明治・大正・昭和前期 児童文学関連雑誌 乙骨淑子コレクション)
(http://www.library.tachikawa.tokyo.jp/home/index.htm)
「少年少女譚海」所蔵号: 1巻1〜2巻4,7〜12号
都立多摩図書館に行った時に、近隣の類縁図書館として紹介されていたので知りました。
児童文学者乙骨淑子さんの蔵書を基にしているとの事で、正統的な(?)児童文学関係が中心です。
目録によると、「少年少女譚海」の所蔵については都立多摩図書館と完全に重なっています。
他の少年少女雑誌も所蔵しているようなので、探求書の有る方は要チェックかもしれません。
一度行かなければと思いながら、いまだに未確認です。
[2003年11月25日 23時18分20秒]
お名前: 佐山
ここに書き込まれているマニアックな方々なら既にご存知のことかもしれませんが、
「少年少女譚海」および「譚海」の所蔵図書館、所蔵巻号をまとめてみました。
東京都立多摩図書館
昭和25年5月(創刊)号〜12月号
昭和25年1月号〜5月号、7月号〜12月号
昭和26年1月号、3〜5月号、7月号、10月号、12月号
昭和28年12月号
神奈川近代文学館
昭和27年11月号、12月号
北海道立図書館
昭和25年7月号〜9月号
昭和26年1月号、調整号、3月号、7〜10月号、12月号
昭和27年1月号
昭和28年1月号〜4月号、夏期特別号(5,6,7合併号)、8月号、10月号
増刊号所蔵図書館
昭和24年10月臨時増刊号 近代文学館(駒場)
昭和25年2号(譚海文庫) 北海道立図書館
昭和26年5号(譚海文庫) 北海道立図書館
昭和26年9月秋の臨時増刊号 神奈川近代文学館
昭和27年1月増刊号 北海道立図書館
昭和27年6月大増刊号 北海道立図書館、神奈川近代文学館
昭和28年3月陽春増刊号 北海道立図書館
三康図書館所蔵は博文館発行分のみです。国会図書館および国際子ども図書館には全く所蔵がありません。
「怪犯人赤マント」は神奈川近代文学館からコピー(1枚50円です。)を取り寄せると
北海道立図書館とあわせて4ヶ月分読めます。
「譚海増刊号」は、「譚海文庫」、昭和28年3月号をのぞき、巻号がありませんので、
全部で何冊発行されているかは、わかりません。
角川文庫の「青髪鬼」(横溝正史著)の解説には、山村正夫氏が「譚海」昭和29年新年号
を所蔵されていることが書かれています。
山村氏所蔵の雑誌が光文社の「ミステリー文学館」に寄贈されたそうですので、
その中に「譚海」があるかもしれません。
それらが一般公開されるかどうかはわかりませんが、もし、あったなら、
閲覧およびコピーができるようにしてもらいたいものです。
図書館未所蔵の「譚海」に掲載されている探偵小説の作品名(特に短編、新連載作品、
乱歩の懸賞クイズのタイトル)、著者名をご存知の方はご協力をお願いします。
多摩図書館、神奈川近代文学館等所蔵の譚海掲載作品については、おげまるさんこと
安達さんのリストに加えてもらう予定です。
小林文庫オーナー様
譚海文庫の情報の提供をいただきありがとうございました。
[2003年11月22日 11時17分40秒]
お名前: 小林文庫オーナー
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O伯爵 さま、譚海系のみなさま
ご無沙汰です。
S書房に、注文した本が、先日届きました。
「襤褸舎通信」より、厳選に厳選に厳選を重ねて、たった1冊に絞って注文。
もちろん、譚海系雑誌です。
何を手に入れたかは、今のところヒ.ミ.ツ。
図書館には所蔵していない号を狙っています。
(O伯爵 さまには、機会があれば資料をお渡しします)
譚海系雑誌は、私の懐具合に比べると価格も高くなってしまい、気軽には注文できません。
もちろん、人気も高くて、前回は2冊お願いして、1冊だけ入手、でした。
Yahoo!オークションにも、時々出品されてますが、こちらはもっと大変。
参戦しようにも、かならず高騰してしてしまって、いつも撤退してばかりです。
漫画ファン(?)の資金力には敵いません。(愚痴です)
Yahoo!オークションの画像でも、目次がわかる事が有るので、参考の為に図書館未所蔵のものを紹介。
「少年少女譚海文庫」昭和26年二月大発展号
⇒ http://page2.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b29552780
[2003年2月9日 23時4分10秒]
お名前: O伯爵
おじゃまします。
譚海系のみなさま、八王子のS書房の目録「襤褸舎通信 7」は御覧になりましたか?
漫画コレクターには知られたお店らしいけど、ミステリな人にはどうかな? と思いまして、告
知まで。
連絡先は「彷書月刊」1月号の79頁なり90頁なりを参照してください。
「譚海不揃48冊一括160万円」をはじめ、戦前戦後の少年少女雑誌が充実してます。
買う買わないはともかく、主要掲載作の(小説を含む)データが載っていますので、資料として
貴重なものかと思います。
ううむ、某リストに漏れてる島田一男の少年物は、あれやこれやで十指に余る……
あと水谷準とか柴田錬三郎とか渡辺啓助とか城昌幸とか角田喜久雄とか……
目録掲載品の注文締切りは1月27日必着だそうです。
[2003年1月12日 21時11分46秒]
お名前: 小林文庫オーナー
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「少年少女譚海」「譚海」をリアルタイムで読んだ方の思い出を、何箇所かで見かけたので、記録しておきます。
皆さんの記憶を読むと、「譚海」は想像していた以上に影響の大きかった雑誌のようです。
◆ 神月堂別館(http://urawa.cool.ne.jp/kamidukido/index.html)の
神津恭介の部屋(http://www3.ocn.ne.jp/~kamiduki/kamidu/flame1.html)
2002年 5月14日〜22日の日記より
神月堂主催者の文雅さんは、神津恭介ファンで昭和20年代に学習雑誌に連載されたのみだった『骸骨島』を復刻された方。
文雅さんが、昭和14年生れのお父様に、昭和25年ころの少年雑誌事情を聞いたときのお話によると、
> 「ちょっと。じゃ、そのころ一番人気があった雑誌は?」
> 「そりゃ、なんたって、『譚海』だよ、『譚海』。あれが一番面白かった。」
:
> 「少年画報と冒険王はよく買った。でもおもしろかったのは譚海。」
詳しくは、上記HPをあたって下さい。
◆ SM作家 館淳一先生の掲示板
Lounge-Abnormal for Guest(http://hpmboard2.nifty.com/cgi-bin/bbs_by_date.cgi?user_id=QGB01155)
2002/09/14 (土) 05:22の 館淳一先生ご自身の投稿より
創元推理文庫から出版された『人間豹』を購入しての思い出。
> 戦後、昭和30年頃ですが『譚海』という、少年向け小説誌がありました。『少年』『少年画
> 報』『少年クラブ』と違ってグラビアやマンガが極端に少なく、活字主体の雑誌でした。
>
> これに確か『人間豹』が復刻掲載されたと思うのです。
> (以下 略)
この作品の挿絵の「セーラー服がビリビリ裂ける」場面を見たのが、館淳一先生の作品の原点になっているのかもしれない、との事。
詳しくは、上記HPをあたって下さい。
◆ 雑誌「別冊東北学」第3号(2002年1月 東北文化研究センター 発行)
インタビュー「幻の作家・高城高」 より
高城高氏は、日本のハードボイルド小説の嚆矢「X橋付近」などを発表し、乱歩からも絶賛され、その作品は多数のアンソロジーにも収録されている、知る人ぞ知る作家。
インタビューによると、小説を書き始めたのは、
> 冒険小説みたいなものを書いては少年雑誌に投稿してい
> ました。当時は『譚海』とか、少年向けの小説雑誌がた
> くさんあったんです。ところが、まったく相手にされな
> かった。子どものくせに、大人向けみたいな小説を書い
> ていたんですよ。…
「別冊東北学」は、東北文化研究センターのHP(http://www.tuad.ac.jp/tobunken/)より、購入可能です。
[2002年10月7日 1時25分43秒]
お名前: 小林文庫オーナー
URL
コジマさん
玉井徳太郎さんは、ミステリーや少年小説の挿絵や装丁を多数手がけている
ので、探偵小説や少年小説のファンの間では、お名前は知られています。
プロフィールについては全く知りませんが、ミステリーや少年小説の挿絵に
ついては、『名作挿絵全集』などの書籍や、別冊太陽「子どもの昭和史シリー
ズ」などを、調べれば見ることができるのではと思います。
別冊太陽「子どもの昭和史 昭和二十年―三十五年」には、「玉井徳太郎と
いえば、まっ先に『鞍馬天狗』の挿絵で、大佛次郎の文書と共にその品のよさ
が魅力だった」として、鞍馬天狗の挿絵などが紹介されています。(P38 他)
大佛次郎や、ミステリー作家のエッセイにも、登場されているかもしれませ
ん。
「子どもの昭和史シリーズ」には、「少年少女譚海」や「探偵王」をはじめ、
当時の少年少女雑誌の表紙や目次が、沢山掲載されていて、見ていても楽しい
本です。
ネットを検索していて、次のような論文を見つけました。
「幻の昭和二十年代の少年少女雑誌 : 『少年時代』『少女世界』『世界少年』のこと」
根本正義 (東京学芸大学紀要. 第2部門, 人文科学 51集 2000年2月)
「『冒険クラブ』『冒険少年』『冒険ブック』 : 昭和二十年代の少年雑誌について」
根本正義, (東京学芸大学紀要.第2部門,人文科学 53集 2002年2月)
根本氏は、三一書房の「小説少年小説大系」の解説もされている、学芸大教授。
「冒険クラブ」については9冊に渡って、その他の雑誌は2〜3冊づつくら
いですが、詳細な目次が紹介されています。
「冒険ブック」は、「少年少女譚海」の別冊付録です。
[2002年7月14日 11時52分27秒]
お名前: ストラングル・成田
URL
遅くなりましてすみません。当方まったく不案内ですが、ネットで
検索すると下記事典のp.471から玉井徳太郎について記述があるよう
です。こんなところですみません。
日本児童文学大事典(全3巻)
平成5年10月31日
大日本図書
玉井徳太郎(1902〜1986) 画家・挿絵画家
[2002年7月13日 0時8分5秒]
お名前: コジマ
初めまして
少年少女譚海S25年7月特大号の絵物語「夜叉姫変化」の挿絵画家 玉井徳太郎のプロフィール
を分かる方教えて下さい。koji-117@yc4.so-net.ne.jpよろしくお願いします。
[2002年7月4日 4時35分54秒]
お名前: ストラングル・成田
URL
舞い蹴る さま
お知らせありがとうございました。
道立図書館もなかなか捨てたもんじゃないと思いますが、「サライ」
には、届いていませんでしたか。
日比谷図書館の児童部門は、多摩図書館に移転したようですね。
http://www.library.metro.tokyo.jp/14/14310.html
大阪にも機会があれば行ってみたいです。
[2002年6月13日 0時39分8秒]
お名前: 舞い蹴る
次の記事はあるホームページからコピーしたものですが、
もともとが雑誌の紹介ですから、許してもらえると思います。
やはり、日本近代文学館には相当あるみたいですから、
どなたか詳しいリストでも作っていただければ、
ありがたいのですが・・・・。
=================================
少年小説が読める図書館
雑誌「サライ 8号」(1995/4/20)が熱血冒険小説を取り上げてました。
(表紙は伊藤彦造の鞍馬天狗!)
1.日本近代文学館(東京都目黒区駒場4−3−55)
2.三康(さんこう)図書館(港区芝公園4−7−4)03-3431-6073
ここには、『譚海』『少年倶楽部』『少年世界』などのバックナンバーの一部が
揃っている。とのこと。
3.日比谷図書館・児童資料室(千代田区日比谷公園1−4)
4.大阪国際児童文学館(大阪府吹田市千里万博公園10−6)『少年倶楽部』は
2巻1号から32巻7号まで、その継続誌の『少年クラブ』も49巻12号までか
なりのバックナンバーがきちんと揃っている。とのことです。
(おまけ)胡堂・あらえびす記念館(岩手県柴波郡柴波町)も紹介あり。
[2002年6月10日 16時15分56秒]
お名前: 舞い蹴る
またまた前言訂正です。
連載小説に「犯人あて懸賞」をつけたのは、「怪犯人赤マント」が最初で
最後だったのではないかなどと、書きましたが、この後、島久平さんが引
き続いて連載を始めた「白蛇王(はくだおう)」にも、懸賞がついている
のを、昭和28年3月号の目次で確認しました。すぐに「柳の下のどじょ
う」を狙ったのだと思います。
しかし、マキイチローさまによると、この後「昭和28年4月号で一時休
刊し、夏増刊号で復刊、その後、昭和29年1月号で再度休刊、昭和29
年3月号が再々度出版されますが、それが最後」とのことですから、この
小説は完結したのでしょうか。そして、当選者発表までいったのでしょう
か。非常に興味をそそられます。
また、「譚海」は全盛時には5万部以上出ていたとのことですから、懸賞
の応募者が1万6千というのも、多すぎはしませんね。すなおに、信じて
おくべきでした。
[2002年5月8日 16時22分40秒]
お名前: 舞い蹴る
しばらくご無沙汰している間に、書き込みが相当ふえていて驚きました。
詳細な情報に感謝いたします。
実は、道立図書館に複写を依頼しておきました「怪犯人赤マント」のコピ
ーが昨日到着し、楽しませていただいております。昭和28年1月号と2
月号の分だけですが、ほかに3月号の当選者発表のページと1・2・3月
号の目次も送ってもらいました。
複写代180円に送料160円の計340円でしばし夢の境地に遊ぶこと
ができます。
小林文庫オーナー様お書きの「近郊の某古書店を覗いてみたら、「少年少
女譚海」四十数冊揃いを売っていました。お値段は、恐くて訊けませんで
した。」との情報。恐いもの見たさでかえって聞きたくなります(笑)。
早速目次をみてみましたが、全然内容を思い出せません。江戸川乱歩の
「人間豹」というのがあって、これなどタイトルからしても当時は興味を
ひかれたはずなのですが・・・。
やはり、「怪犯人赤マント」が「譚海」の超目玉作品だったと思います。
「一体、犯人は誰なのだろう」と当時の少年達はかなり話題にしていたこ
とを思いだします。「犯人あて懸賞」というのは、1回ごと読み切りの作
品につけたのは他にもあったと思いますが、10ヶ月にわたる連載につけ
たのはこれが最初だったのではないでしょうか。そして最後でもあったか
も知れません。
今回真犯人を初めて確認しましたが、当時の私はこれを最終回の頃にはあ
てていたような気がしてきました。(記憶を美化している?)
当選発表をみると、以前にストラングル・成田さまお書きのとおり、8名
しか正解者がおらず、1等1名、2等3名、3等4名になっていて、3等
は予定の15名に達しなかったので、私も応募していれば、少なくとも3
等には当選して、美麗置時計をもらった上、「譚海」に住所氏名を掲載さ
れ、今頃このページで、「あれは私です」と言えていたのにと思うと残念
です。
それにしても、今から見ればそれほど意外な犯人でもないのに、8名しか
正解者がいないとは、やっぱり当時の少年達は純真素朴だったのですね。
「幽霊牧場」も「譚海」掲載と思っていましたが、マキイチローさまご指
摘のとおり、「少年」だったのですね。「少年」傑作集第5巻に収められ
ているとわかりましたので、現在取り寄せ中です。これは、上下2巻の単
行本としても発行されたそうで、最近あるホームページで、これを入手し
て大喜びしているとの書き込みをみつけました。その方も値段は公表でき
ないほどの額のようでした。やはり私などは近づかない方がよい世界とみ
ました(笑)。
「譚海」は「太陽少年」よりも流通していたはずで、
「譚海」>「太陽少年」>「探偵王」
の順との、小林文庫オーナーさまやマキイチローさまのご指摘、そうだっ
たかもしれないと思います。
ただ、私のてもとに「ぼくらの少年雑誌」(草野のりかず、東京法経学院
出版「ライトブックス」、1987年7月25日初版発行)という新書が
あります。
この本は昭和30年の時点で当時の少年雑誌を横断的に紹介しています。
著者は昭和21年生まれで、30年当時をリアルタイムで経験した方です。
それによれば、
「少年」「少年クラブ」「漫画少年」「冒険王」「野球少年」「おもしろ
ブック」「少年画報」「太陽少年」
が8大雑誌扱いです。昭和30年には「譚海」はもう廃刊になっていたと
のことですから、このリストに入りようがありませんが、生き残っていた
ら9大雑誌ないし10大雑誌には位置づけされていたものでしょう。
「探偵王」はマキイチローさまご紹介により、面白い雑誌だったことを、
初めて知りました。残念ながら、私はもう何もおぼえておりません。上半
身ヌードの女性が登場するそうですから、現物をみれば記憶が突然よみが
えってくるかもしれません(笑)。
長くなりますので、今日はこれぐらいで失礼します。
[2002年5月5日 18時40分10秒]
お名前: マキイチロー
すいません!2回書き込んでしまいまいた。
[2002年5月4日 10時43分23秒]
お名前: マキイチロー
小林文庫オーナーさま、スラングル成田さま
ご質問の件、わかる範囲でお答えします。
>「もともと猥雑な要素がありましたが、昭和27年以降が顕著に変な雑誌になっていったよう
>な気がします。」というお話ですが、そのところが、現代の私達にとっても、面白い雑誌であ
>る所以なのでしょうか。
ここのところはむしろわたしが質問したいところです!
かなり以前から関心が高かったので、「譚海」と「探偵王」と長年、昭和20年代の少年雑誌を
コレクションしてきたわけですが、なんで?この時期、急にミステリーのマニアの方々が少年雑
誌に関心が高まってきたのか興味がわいてきます! 以前は、少年雑誌の話題をふっても見向き
もされませんでしたが。
>それでは、「譚海」と「探偵王」の位置付けの違いはどうなのでしょうか?
>「探偵王」というと、桑田次郎や藤子不二雄の作品掲載誌としても名前が出てきますが、「漫
>画誌」としてのスタンスが強かったのでしょうか?
違いに関して?これは難しい質問です。
「探偵王」は、ぜんぜん漫画雑誌ではありません。昭和29年1月増刊号に、オール漫画号が出
版されてますが、その他の号は「譚海」よりもビジュアル性に乏しく、読み物中心の雑誌です。
「譚海文庫」の時代は、ほんと地味です。「譚海」にはたくさんの増刊号がありますが、中でも
「譚海文庫」は地味ですね。「探偵王」に改題後は、昭和26年は、小松崎茂の「黄金の河」、
昭和27年は、永松健夫の「アトム騎士」、昭和28年は、小宮小次郎の「遊星人ザミア」、大
工原の「999」と看板絵物語が登場し、ビジュアル重視となっていきます。
昭和27年に「探偵王」の増刊号としてはじまる「冒険ブック」は、絵物語雑誌として発足して
いますので、こちらはビジュアル性が強いです。でも、漫画は野呂新平のカラー作品と、桑田次
郎の絵物語の掲載がありますが、こちらも漫画は少ないですね。
桑田次郎・藤子不二雄・横山光輝・武内つなよし等の初期作品が掲載されていますが、掲載号を
みても4ページから6ページくらいで、あつかいもわるく、まだまだ無名時代のころです。三流
少年雑誌の「探偵王」くらいしか簡単に作品が掲載できる少年雑誌もなかったんだとおもいます。
>舞い蹴る さまの、「代わりに「太陽少年」はかなりありました。」というお話も、意外でした。
>古書目録や、図書館の所蔵を見ていると、「譚海」>「太陽少年」>「探偵王」 の順で、見
>つかるような気がします。
そうですね。わたしの印象も小林さんと同じです。
ただし、「太陽少年」と「譚海」「探偵王」とでは、だいぶ系統が違う雑誌なので、同系列で語
っていいものなのかどうかという気がします。
「太陽少年」は、昭和25年4月が創刊で、廃刊が昭和30年7月号ですか、この雑誌も当初は、
妙義出版から出版されますが、2回ほど身売りされて出版社名がかわります。この時期でも少年
雑誌の掲載量でいうとまだまだ読み物中心ということになるかもしれません。「太陽少年」は、
昭和20年代半ば過ぎに創刊された雑誌で、もう戦後の創刊ラッシュも終わって安定期に入った
ころ創刊されています。当初は、「譚海」「探偵王」というより、「少年」や「少年クラブ」の
ほうに近い雑誌です。しかし、雑誌を背負う看板作品がなくて、昭和25年の横溝の「皇帝の燭
台」が連載されているころの「少年世界」や、他にもサイズがA5版になったころの「小学世界」、
「面白少年」「中学生の友」とかのほうが近い雑誌ですね。読み物中心という意味では、「譚海」
「探偵王」のように異端?ではないですね。
昭和29年くらいから「太陽少年」は変貌をとげ、絵物語雑誌を目指していくようですが、小松
崎茂の名作「旭日は沈ます」や永松健夫の「黄金バット」、小島剛夕の初期絵物語作品などを掲
載、後半はこちらも変な雑誌となって時代から取り残されて廃刊となります。
あと、怪犯人赤マントは、「少年少女譚海」昭和27年5月号〜28年2月号まで、全号に掲載さ
れています。
それでは!
[2002年5月4日 8時27分55秒]
お名前: マキイチロー
小林文庫オーナーさま、スラングル成田さま
ご質問の件、わかる範囲でお答えします。
>「もともと猥雑な要素がありましたが、昭和27年以降が顕著に変な雑誌になっていったよう
>な気がします。」というお話ですが、そのところが、現代の私達にとっても、面白い雑誌であ
>る所以なのでしょうか。
ここのところはむしろわたしが質問したいところです!
かなり以前から関心が高かったので、「譚海」と「探偵王」と長年、昭和20年代の少年雑誌を
コレクションしてきたわけですが、なんで?この時期、急にミステリーのマニアの方々が少年雑
誌に関心が高まってきたのか興味がわいてきます! 以前は、少年雑誌の話題をふっても見向き
もされませんでしたが。
>それでは、「譚海」と「探偵王」の位置付けの違いはどうなのでしょうか?
>「探偵王」というと、桑田次郎や藤子不二雄の作品掲載誌としても名前が出てきますが、「漫
>画誌」としてのスタンスが強かったのでしょうか?
違いに関して?これは難しい質問です。
「探偵王」は、ぜんぜん漫画雑誌ではありません。昭和29年1月増刊号に、オール漫画号が出
版されてますが、その他の号は「譚海」よりもビジュアル性に乏しく、読み物中心の雑誌です。
「譚海文庫」の時代は、ほんと地味です。「譚海」にはたくさんの増刊号がありますが、中でも
「譚海文庫」は地味ですね。「探偵王」に改題後は、昭和26年は、小松崎茂の「黄金の河」、
昭和27年は、永松健夫の「アトム騎士」、昭和28年は、小宮小次郎の「遊星人ザミア」、大
工原の「999」と看板絵物語が登場し、ビジュアル重視となっていきます。
昭和27年に「探偵王」の増刊号としてはじまる「冒険ブック」は、絵物語雑誌として発足して
いますので、こちらはビジュアル性が強いです。でも、漫画は野呂新平のカラー作品と、桑田次
郎の絵物語の掲載がありますが、こちらも漫画は少ないですね。
桑田次郎・藤子不二雄・横山光輝・武内つなよし等の初期作品が掲載されていますが、掲載号を
みても4ページから6ページくらいで、あつかいもわるく、まだまだ無名時代のころです。三流
少年雑誌の「探偵王」くらいしか簡単に作品が掲載できる少年雑誌もなかったんだとおもいます。
>舞い蹴る さまの、「代わりに「太陽少年」はかなりありました。」というお話も、意外でした。
>古書目録や、図書館の所蔵を見ていると、「譚海」>「太陽少年」>「探偵王」 の順で、見
>つかるような気がします。
そうですね。わたしの印象も小林さんと同じです。
ただし、「太陽少年」と「譚海」「探偵王」とでは、だいぶ系統が違う雑誌なので、同系列で語
っていいものなのかどうかという気がします。
「太陽少年」は、昭和25年4月が創刊で、廃刊が昭和30年7月号ですか、この雑誌も当初は、
妙義出版から出版されますが、2回ほど身売りされて出版社名がかわります。この時期でも少年
雑誌の掲載量でいうとまだまだ読み物中心ということになるかもしれません。「太陽少年」は、
昭和20年代半ば過ぎに創刊された雑誌で、もう戦後の創刊ラッシュも終わって安定期に入った
ころ創刊されています。当初は、「譚海」「探偵王」というより、「少年」や「少年クラブ」の
ほうに近い雑誌です。しかし、雑誌を背負う看板作品がなくて、昭和25年の横溝の「皇帝の燭
台」が連載されているころの「少年世界」や、他にもサイズがA5版になったころの「小学世界」、
「面白少年」「中学生の友」とかのほうが近い雑誌ですね。読み物中心という意味では、「譚海」
「探偵王」のように異端?ではないですね。
昭和29年くらいから「太陽少年」は変貌をとげ、絵物語雑誌を目指していくようですが、小松
崎茂の名作「旭日は沈ます」や永松健夫の「黄金バット」、小島剛夕の初期絵物語作品などを掲
載、後半はこちらも変な雑誌となって時代から取り残されて廃刊となります。
あと、怪犯人赤マントは、「少年少女譚海」昭和27年5月号〜28年2月号まで、全号に掲載さ
れています。
それでは!
[2002年5月4日 8時27分21秒]
お名前: 小林文庫オーナー
URL
本日、都立多摩図書館に行って来ました。
折角のGWでも、だれも遊んでくれる人がいないもので…
O次郎さま >
> ちなみに以前検索したところ、東京近辺では都立日比谷図書館に「少年少女譚海」があるとわ
> かったのですが、具体的に何年何月号があるのかまでは、ネットでは調べがつきません。東京
> に赴く甲斐性もないまま、日比谷図書館の改装工事が始まり、やっと先日終了したと思いきや、
> 同館所蔵の児童書はこれから多摩図書館に移管されるそうです。利用サービスの開始は5月以
> 降だとか。
「少年少女譚海」は、1巻、2巻を中心に、計27冊所蔵していました。
舞い蹴るさまがお探しの、「怪犯人赤マント」掲載号は、残念ながら1冊も
有りませんでした。
「探偵王」「冒険ブック」も所蔵なし。
本日は、所蔵号の確認を行っただけで、掲載作品の確認までは手が回りませ
んでした。
その後、近郊の某古書店を覗いてみたら、「少年少女譚海」四十数冊揃いを
売っていました。
お値段は、恐くて訊けませんでした。
[2002年5月3日 23時12分39秒]
お名前: 小林文庫オーナー
URL
マキイチロー さま
わざわざ、ご登場ありがとうございます。
「譚海」の終刊時期でさえ、良く解っていなかったので、大変勉強になります。
舞い蹴る さまと、マキイチロー さまのお話から、「譚海」の位置付けが、わかってきたような気がします。
「もともと猥雑な要素がありましたが、昭和27年以降が顕著に変な雑誌になっていったような気がします。」というお話ですが、そのところが、現代の私達にとっても、面白い雑誌である所以なのでしょうか。
それでは、「譚海」と「探偵王」の位置付けの違いはどうなのでしょうか?
「探偵王」というと、桑田次郎や藤子不二雄の作品掲載誌としても名前が出てきますが、「漫画誌」としてのスタンスが強かったのでしょうか?
舞い蹴る さまの、「代わりに「太陽少年」はかなりありました。」というお話も、意外でした。
古書目録や、図書館の所蔵を見ていると、「譚海」>「太陽少年」>「探偵王」 の順で、見つかるような気がします。
おげまる さま、舞い蹴る さま、マキイチロー さまのお話から、ますます当時の少年誌に興味が出てきました。
現物を購入するのは、かなり困難でしょうから、東京周辺の図書館の所蔵本を閲覧してみたいと思いはじめています。
まずは「国際子ども図書館」、「都立多摩図書館」には、行ってみます。
ちょうど、両館とも5月に新装開館のようですから。
おげまる さま、舞い蹴る さま、マキイチロー さま、今後もいろいろ教えて下さい。
[2002年4月29日 22時16分43秒]
お名前: ストラングル・成田
URL
マキイチローさま
いらっしゃいませ。当掲示板を御紹介いただいた小林文庫オーナーさまも、
ありがとうございます。「門外漢」どころか、「譚海」、「探偵王」、
「冒険ブック」、「おもしろブック」といった少年雑誌にここまで詳しい方
にいらっしゃっていただき、光栄です。
「譚海」の歴史、参考になります。最後の方は、七転八倒という感じなの
ですね。
>昭和27年以降が顕著に変な雑誌になっていったような気がします。
道立図書館で、数回観ただけなのですが、そうでありましたか。「ザミヤ」
なんかは強烈で、リアルタイムに読んでいれば、確実に脳裏に焼き付いて
そうです。ある種の猥雑さが取り込まれているかどうかといった点で、少年雑誌
にも、雑誌や編集による質の違いがあったのですね。読物へのこだわりという点
では、最初に観たとき、文芸春秋並み?に読物が満載されているのに驚き、
「昔の子供は偉かった」と思ったものでした。
また、何かありましたら、御教示いただければ幸いです。
[2002年4月28日 13時10分25秒]
お名前: マキイチロー
はじめて、書込みします。
小林文庫さんから連絡で、この掲示板をみさせていただきました。
戦後、文京出版から出版された「譚海」や「探偵王」「冒険ブック」には、個人的に前々
から関心があります。門外漢のものですが、おもいついたところを少し書かせていただき
ます。
1.「少年少女譚海」が「譚海」へと雑誌名を変更するのは、27年12月号からです。
おそらく、経営不振から雑誌名を変更したんじゃないかとおもっていますが、この後、
昭和28年4月号で一時休刊し、夏増刊号で復刊、その後、昭和29年1月号で再度
休刊、昭和29年3月号が再々度出版されますが、それが最後となります。
「譚海」の全盛期は、おそらく昭和24年の創刊から昭和26年くらいまでじゃない
かと予想していますが、どうでしょうか?全盛期には、5万部以上はでていたとおも
います。当初は、戦前の博文館の「譚海」を目指していたとおもいますが、昭和26
年に編集者も変更されて、編集方針も変更、もともと猥雑な要素がありましたが、
昭和27年以降が顕著に変な雑誌になっていったような気がします。
「譚海」じゃないですが、特に、昭和28年の「探偵王」に連載された小宮小次郎の
絵物語の「ザミヤ」なんかが象徴的で、少年雑誌なのに、敵の女性が上半身はだかで
登場しているところなどは、当時の少年雑誌ではかなり希なことで、逆に当時の「探
偵王」の経営的な悲惨さを感じさせられます。昭和28年後半の「探偵王」は、おも
ちゃというかゾッキっぽい雑誌になっていきます。
表紙絵が小松崎茂さんの時代と、その後の伊勢田邦彦さんの時代とで大きく内容的に
も二分されるようにおもいます。
創刊されたのが昭和24年と、戦後、読物中心の少年雑誌としては、出遅れたかんじ
もありますが、やはり、最後まで読物にこだわった少年雑誌だったのだとおもいます。
2.山川さんの絵物語「幽霊牧場」は、「譚海」には掲載されていません。山川さんの作
品は、原作付きですが、「譚海」昭和25年7月号の「白い牙」だけです。
名作「幽霊牧場」は昭和20年代半ばに「少年」に連載されていました。山川さんは、
「少年」だと、乱歩の少年探偵団シリーズの挿絵を担当していましたが、その後に連載
された絵物語です。
3.「おもしろブック」の目玉作品は、当時だと、山川さんの「少年王者」と「荒野の少
年」、小松崎茂さんの「空魔X団」その後の「太平原児」「宇宙少年」「海底王国」、
手塚治虫さんの「ぴぴちゃん」とかでしょうか?
随分と偉そうに書いてきましたが、気を悪くなされたらすいません。どうしても関心
が高いところなので力が入ってしまいました。大目に見てやって下さい。
少しでも、参考になれば幸いです。
[2002年4月26日 14時40分56秒]
お名前: 舞い蹴る
O次郎さま
初めまして、舞い蹴るです。
どうも、ホントにうれしい情報、感謝いたします。
エラそうな文章になど、どこもなっておりません。
私も改行をトチりました。(管理人さま、よろしければ適当に改行をお入れ下さい。)
ついに四人の少女の姓名が、蜘蛛夏子、クモあらため工藤春子、九毛秋子、雲冬子であること
を教えていただきました。
ありがとうございます。
この四人には神秘的な魅力がありました。
>「譚海」は、ほかの少年誌と比べ猥雑な迫力があります
まさに、その通りで、実はこの四人にも怪しげなお色気が漂っていたのです。
それを当時の読者たちは、子供ながらにうっすらと感じ取っていたのだと思います。
>大人からは俗悪視されていた
という面もあったかも知れません。私は鈍感でそういうことにはあまり気づきません。
>「おもしろブック」の人気が一ランク下だった、というのも意外です(「五大雑誌」だと思っ
ていました)。
いえいえ、断定的に申しているわけではありません。「おもしろブック」も相当流通していまし
た。たしかに「五大雑誌」だったかも知れません。ただ私の印象では、雑誌の個性がちょっと
ボンヤリしています。「おもしろブック」の目玉作品は何だったのでしょう。
「少年少女譚海」が昭和28年に「譚海」という誌名に変わったことは、探索の際に貴重な情報
ですね。
私の記憶には完全になくなっている知識でした。
私の友人が国会図書館で見つからなかったというのも、この事情がからんでいるかも知れません。
しかし、国会図書館というのも意外に駄目だということを私は他の場合に経験しています。
戦前の「キング」を調べてもらったら、「部分的にしか所蔵していない」ということで、私の
必要な号は見られませんでした。
あの最大発行部数を誇った「キング」がないというのですから唖然としました。
その後、この件は「近代文学館」で解決できましたが、少年雑誌についてはどうなのでしょう。
道立図書館にも全巻はそろっていないようですが、日比谷図書館から多摩図書館に移された蔵書
と合わせると全巻になるのでしょうか。
今のうちに全巻見つけ出しておかないと永久に失われそうですね。
なお、懸賞応募者の数が16000人ということについてですが、当時小学館発行の「小学○
年生」は毎号懸賞の当選者を2万人ずつ出していたように覚えています。もちろんほとんどが
最下位の当選者で、商品はバッチだったと思います。参考になりますでしょうか。
[2002年4月22日 18時11分14秒]
お名前: O次郎
読みかえしてみるとなんだかエラソウな文章になってますな。しかも改行をトチッてるし。
続きです。といっても大して書くことは残っていません。
28年2月号の225頁に「怪犯人さがし発表」の第一報が載っています。
ついに犯人の正体がわかった! 怪犯人赤マントは(略)であった。
昨年六月号に第一回七月号に第二回の犯人当て懸賞を募集しましたが、残念ながら当せん者は
一名もありませんでした第三回以後は次号に発表します。
舞い蹴るさまのお友だちの御記憶にあったのは、この記事でしょうか。
ということで、ご挨拶が遅れましたが、舞い蹴るさま、はじめまして。
リアルタイムの「譚海」読者のお話を伺えるとは感激です。
「譚海」は、ほかの少年誌と比べ猥雑な迫力がありますので、大人からは俗悪視されていたの
ではないかと、勝手に想像していました。逆だったのですね。
「おもしろブック」の人気が一ランク下だった、というのも意外です(「五大雑誌」だと思っ
ていました)。
このあたりのニュアンスは、古雑誌をいくら眺めてもわかりませんので、たいへんに貴重な証
言です。
よろしければ、当時の少年小説などについてもお話しください。
>オーナーさま
ご指名なので出てきました。無沙汰しております。
やっぱりオーナーさまはすごい。
>成田さん
お元気でしょうか。無理なさらずに、ご自愛下さい。
[2002年4月22日 6時19分39秒]
お名前: O次郎
なんだかすっかり出遅れましたが、とりあえず屋上に屋根を架けてみますか。
道立図書館には「少年少女譚海」の昭和25年〜27年分(の一部)が収蔵されています。かつて
私が大騒ぎして、成田さんが目次のコピーをとったのがこれです。
で、この雑誌はのちに「少年少女」がとれて「譚海」という誌名になります。この昭和28年分
も収蔵されているのですが、どういうわけか、道立図書館ではこれを別の雑誌として分類して
いるようです(「中学時代一年生」と「中一時代」、「別冊週刊大衆 漫画ストーリー」と
「漫画ストーリー」を別扱いするのは、わからないでもないんですが、でも「少年少女冒険
王」「少年少女おもしろブック」は、それぞれ「冒険王」「おもしろブック」で閲覧請求でき
るんですけどね)。「別の雑誌として分類する」というのは、つまりたぶん想像するに、「少
年少女譚海」は書庫の「さ行」の場所、「譚海」は「た行」の場所に置かれているのでしょう。
これがどういうことかといえば、たとえば「昭和28年の「少年少女譚海」の1月号はあります
か?」と問い合わせた場合、担当者によっては「その号は当館にありません」という答が返っ
てきますので、くれぐれもご注意くださいませ、ということです。
ちなみに以前検索したところ、東京近辺では都立日比谷図書館に「少年少女譚海」があるとわかったのですが、具体的に何年何月号があるのかまでは、ネットでは調べがつきません。東京
に赴く甲斐性もないまま、日比谷図書館の改装工事が始まり、やっと先日終了したと思いきや、
同館所蔵の児童書はこれから多摩図書館に移管されるそうです。利用サービスの開始は5月以
降だとか。
さて、件のリストは「探偵王」の広告記事を参考に記したもので、道立図書館で実見できたの
は「譚海」の1月号と2月号、つまり「怪犯人赤マント」の最終二回分にすぎません(このあと
「白蛇王」の連載が始まります)。
以下に引用するのは、まず1月号の冒頭部分です。
------------------------------------------------------------------------------ 名探偵の少年少女しょくん! 大ひょうばんの「怪犯人赤マント」もいよいよ、らい月号が
完結篇――どうしてもみなさんに犯人をたいほしてもらいたい!……
大むかしの英雄、蜘蛛甚九郎が地下の毒蜘蛛塔にかくした大秘宝をめぐってあらそう、四人
のクモ姓をなのる少女――蜘蛛夏子、クモあらため工藤春子、九毛秋子、雲冬子のなかに犯人
がいるのか? 赤マント義足の夏子は、殺人犯人として木下刑事に追跡されているが、はたし
て殺人鬼は夏子か? 夏子そっくりの赤マント義足の怪少女は、黒雲荘の主人をころし、正体
を見やぶりかけた雲冬子をころし、春子の父のギャング、剛造をころし、六郎たちをたえずこ
ろそうとしている。しかもいま、ナイフをくわえてひっしに井戸をのぼる六郎めがけて、殺人
鬼はサッと悪魔の短剣をふりおろした。
「あーっ!」ロープをきられた六郎は、まっさかさまに地下の暗黒の川めがけて落ちていった
…… (前号まで)
------------------------------------------------------------------------------
本日はここまで。
[2002年4月21日 23時40分31秒]
お名前: 舞い蹴る
小林文庫オーナーさま、ストラングル・成田さま、
どうもありがとうございます。
詳しい情報でまた色々なことがわかりました。
「雲冬子」に「蜘蛛夏子」でしたか。
どちらも誤植ではないと思います。
姓の方は、「くも」という読みだけを一致させて、漢字はそれぞれ別の
字をあてはめてありました。
名の方は単純に「春子」「夏子」「秋子」「冬子」だったのでしょうね。
こちらはよくおぼえていません。
懸賞は4回にわたって募集したのですね。
そして第2回までは誰も正解者がいなかったとのこと、
友人はそこまでを言っていたのだとすれば、
あながち間違いではありませんでした。
応募者が16000人とは、実数を正直に発表したのでしょうか?
営業用数字の可能性もあると思います。
(疑い深くてすみません。)
「譚海」は我々の周辺では、例の4大雑誌に比べると流通量は10分の1
以下という感じがしました。
「漫画少年」はさらに希少でした。
代わりに「太陽少年」はかなりありました。
「野球少年」も別に野球だけがのっているのではなく、一般少年雑誌でした。
懸賞の商品にグローブがあるのでもわかるように、「野球」は「戦後」を
アッピールするシンボルだったと思います。
なお、「譚海」は「少年少女」のつかない単なる「譚海」が戦前(大正
末期?)からあり、それが少年雑誌化したのだと思います。
当時の大人は「譚海」というと、一目おいてくれる感じがありました。
しかし、それだけに、漫画が少なく(全然なかった?)、次第に他の雑誌に
負けていった感じがします。
「少年少女譚海」で、もう一つの印象的な作品を忘れていました。
山川惣治の「幽霊牧場」です。
おげまるさんのリストには「山川惣治」がのっていませんが、探偵小説のジャンルに入らないとみなされているのでしょうね。
この作品は、たしかに西部劇で、冒険小説とでも分類されるのでしょうが、
怪奇的な要素を含んでいました。
私が覚えているシーンは、主人公が敵と決闘をするのに、ある牧場だか屋敷
だかのまわりを互いに反対側にまわっていき、出会ったところで撃ち合おう
というものでした。
そして出会ったときにも正々堂々と勝負するのではなく、物陰から撃つなど
は自由ということでした。
それで、いよいよ戦いに入ったのですが、敵はどこから現れるのだろうと、
大変気になり、ハラハラしました。
でも、結末は覚えていません(笑)。
道立図書館も本当は札幌市内にある方が利用は便利でしょうに、
市内ではスペースがとれなかったのでしょうね。
昔もあまり大きい感じは受けませんでした。
市立図書館も時計台の建物でした。
両方とも北1条でしょうか。
道立と市立のはしごが簡単にできました。
市立図書館も今は南24条(?)だかの、元・学芸大学の建物跡に移ったら
しいですね。
[2002年4月21日 18時27分23秒]
お名前: ストラングル・成田
URL
道立図書館で写しをとってきた「譚海」系の目次をひっくり返そうと思って
いるうちに、時間が立ってしまいました。(結局、手元には、「譚海」の該
当号の目次はありませんでした。)
小林文庫オーナー、ずばり即答いただきまして本当にありがとうございました。
しかし、「たまたま」持っているおられるのがほんとに多いですね(笑)。
粗筋からは、少年探偵小説の王道の香りが立ち昇ってきて、なんとも楽しいで
す。応募者が1万6000人以上というのも、驚き。私も、もっとマイナーな
雑誌かと思っていました。1万6000人で正解者がゆ人とは、一体どんな
意外な犯人だったのでしょうか。
舞い蹴るさまの書かれた往時の少年雑誌の状況も参考になりました。
道立図書館は、取次ぎの栗田書店というところから一括の寄贈が
あって、雑誌蔵書が非常に充実しているようです。「見本」と判を
押されているのも結構あります。昔は、中央警察署の近くにありま
したか。今は、JR駅から徒歩10分くらいのところにあります。
「原始林の中」というほどではありませんが。
来道の際、時間がありましたら、覗いてみて下さい。
[2002年4月21日 14時50分42秒]
お名前: 小林文庫オーナー
URL
長文になってすみません。
犯人あて大懸賞発表が、翌月の「譚海」昭和 28 年3月号に載っていたので、
こちらも引用してみます。
---------- 引用開始(「譚海」昭和 28 年3月号) ----------
犯人あて「怪犯人赤マント」の犯人は先月号にもはっぴょうしたように、第一
回と第二回には、ぜんぜん当せんした人がおりませんでした。さらにそのごの
ぼしゅうでもあてた人がすくないので、はっぴょうをはやめて、だい三回とだ
い四回をいっしょにはっぴょうすることにしました。
だい三回は、昨年の十月号、だい四回は十一月号でぼしゅうしたのですが、犯
人××××をはっきりあてたかたは、一万六千八十二通のうち、ただ八名きり
でした。
---------- 引用終了 ----------
一等賞品は「高級写真機」1名、二等は「革製グローブ」3名、三等は「美
麗置時計」15名(当選は4名)でした。
応募者が 16,000 名以上というのは、凄いですね。
賞品も立派ですし。
当時の人気が伺われます。
当選者をみても、兵庫県から北海道まで、全国に散らばっています。
私は、もう少しマイナーな、読者の少ない雑誌だったのかと、思っていまし
た。
舞い蹴る さま、また思い出した事がありましたら、教えて下さい。
[2002年4月21日 12時2分2秒]
お名前: 小林文庫オーナー
URL
小林文庫です。
舞い蹴るさま、早速ご返事ありがとうございます。
私は、舞い蹴るさまより、一回り程度年下ですが、「少年クラブ」「少年」
「少年画報」「冒険王」は、読んでいました。
「少年」で、乱歩の少年探偵団シリーズ連載をリアルタイムで読んだ最後の
世代、というのが自慢です。(笑)
「譚海」や、兄弟誌の「探偵王」、「漫画少年」や「太陽少年」などは、近
年になって存在を知り、懐かしい漫画や、探偵作家の知られていない作品が掲
載されていることから、現在非常に関心があります。
昭和 20 年代の少年少女雑誌のことは、非常に情報が少ないので、大変参考
になりました。
「怪犯人赤マント」については、最終回・完結編の冒頭に前号までの粗筋が
要約されているので、全文を引用してみます。
読みやすいように、改行を加え、明かな誤植を勝手に書き換えています。
---------- 引用開始(「譚海」昭和 28 年2月号) ----------
しょくん、ついに殺人鬼の正体がわかった!
赤マントをきてぶきみな義足の音をひびかせ、虫山老人、秀、雲冬子、工藤剛
造を殺し、少年探偵加藤六郎たちをあくまで殺そうとした、おそるべき怪少女
の正体は、ついに六郎の手でベールをはがれたのだ。
それは何者だったか?
(しょくんの名探偵ぶりは、みごと犯人の正体をつきとめただろうか?)
さて、ここで今までの物語のあとをふりかえてみよう……
戦国の英雄、蜘蛛甚九郎が六甲山のおく黒雲荘(こくうんそう)の地下道にた
てた毒蜘蛛塔の秘宝をめぐって、クモ姓をなのる四人の少女があらそってきた。
それに毒蜘蛛塔を研究していた国文学者、山中博士の息子の良夫と、伝法探偵
の助手の加藤六郎が事件にまきこまれ、死をかけてさいごまでたたかってきた。
このうち冬子はすでに殺され、良夫は井戸になげこまれた。
六郎も井戸におちたが、かろうじて毒蜘蛛塔までたどりついた。
秋子と春子は手錠をかけて、けいさつにつれてゆかれたが、毒蜘蛛塔をめの前
にした六郎は、とつじょとして殺人鬼赤マントにおそわれ、さいごの決闘とな
った。
ついに六郎は犯人のベールをはぎとった。
怪犯人赤マントの正体をみた六郎は、のけぞってさけんだ。
(前号まで)
マントの光のなかに、はぎしりをして六郎をにらみつけている殺人鬼赤マント
の顔。
ああ、その顔! 意外! また意外!……
「き、きみは!」六郎はあえいだ。
---------- 引用終了 ----------
次の1行で、真犯人の名前が明らかにされています。(笑)
続きが読みたいでしょう。>皆さま
これは、当時の少年だったら、手に汗を握って、読んだでしょうね。
(私は)最終回しか読めないですが、地底の洞窟や、洞窟に眠る木乃伊、謎
の暗号、列車からの消失など、少年探偵小説のアイテムが満載だったようです。
私も、最初から読んでみた〜い。
4人の少女の名前(姓)は、最終回からは、良く解りませんでした。
姓と名が書かれているのは、雲冬子と蜘蛛夏子の二人だけ、それぞれ1度し
か出ていないので、どちらかが誤植かもしれません。
それとも、読みが「くも」で、表記は全員異なるのかもしれません。
少年探偵は、加藤六郎(かとう ろくろう)です。
[2002年4月21日 11時56分38秒]
お名前: 舞い蹴る
小林文庫さま
早速お教え下さりありがとうございます。
大感激です。
長年の疑問が解けました。
島久平という作家だったのですね。
タイトルももっとユニークな名前のような気がしていました。
昭和28年2月号が完結編のようですが、当時私は小学校4年生、
一応「少年少女譚海」をリアルタイムで読んでおりました。
ただし一度も自分で買った(買ってもらった)ことはなく、誰かのを
見せてもらっていました。
この雑誌は小学生にとっては少し難しすぎる感じでした。
しかし、小松崎茂の「ハリケーン・ハッチ」は絵が入っていることも
あって、わかりやすく、大好きでした。
「ハリケーン・ハッチ」と嵐寛寿郎の「鞍馬天狗」が私にとっての2
大ヒーローでした。
他の雑誌としては、「少年クラブ」「少年」「少年画報」「冒険王」
(以上が当時の4大少年雑誌でしょうか?)をよく見ましたが、「お
もしろブック」「野球少年」「漫画少年」「太陽少年」などもときど
き見ました。
当時の少年雑誌が懐かしいのですが、私の手元には1冊もありません。
例の友人も同様で、国会図書館まで行って探したそうですが、ほとん
ど無かったそうです。
道立図書館はすごいですね。
昔は札幌市の中央警察署の近くにあったように覚えていますが、今は
野幌の原始林の中にあるそうですね。
私はもう北海道に行くことは数年に1度というところですが、今度行
ったときには是非訪ねてみたいと思います。
この「怪犯人赤マント」については、早速コピーを申し込んでみます。
なお、この小説、私は完結編の号は見ておりません。
当時、他人から結末だけは聞いたのですが、もちろん今となっては、
全部忘れています。
やはり、正解者はゼロではなかったとのことですが、8人というのは
少ないですね。
友人の話では、ほとんど肩すかしのような結果だそうでした。
この小説、主人公達の姓名に「蜘蛛」や「春夏秋冬」を散りばめるとこ
ろなど、人工的な工夫が私の趣味にあっていました。
現実性を重んじる松本清張などの推理小説も好きですが、パズルとして
の推理小説にはこういうのもあっていいと思います。
島久平の他の作品も読んでみたくなりました。
お願いですが、例の「蜘蛛」が入る4人の女性と「ろくろう」の正しい
名前を教えていただけないでしょうか。
よろしくお願いします。
[2002年4月21日 6時17分5秒]
お名前: 小林文庫オーナー
URL
舞い蹴る さま
はじめまして、小林文庫と申します。
お尋ねの作品は、島久平「怪犯人赤マント」です。
おげまるさんの「少年探偵小説作家別リスト」では、
○*怪犯人赤マント 「少年少女譚海」昭和27年5月号?〜28年2月号 ☆伝法探偵登場
となっています。
本当にたまたま、最終回・完結編掲載の号を持っていたので確認しましたが、おっしゃる通りの内容です。
犯人当てについては、最終的には8名の正解者がいたようです。
おげまるさんのリストには 「○」が付いているので、道立図書館には所蔵しているのかもしれません。
舞い蹴る さまと、ご友人はリアルタイムで「譚海」をお読みになったのでしょうか?
この頃の、少年探偵小説の状況には、非常に興味を持っています。
どんな雑誌を読まれていたのか?や、記憶に残っている作品など、そのころの思い出を教えていただければ幸いです。
私は完結編しか確認できませんでした、O様がフォローをして下さると思います。
O様、よろしくお願いします。
[2002年4月20日 8時42分9秒]
お名前: 舞い蹴る
初めまして。北海道出身の熟年男性です。よろしくお願いします。
「譚海」を検索してこのサイトにたどりつきました。
早速ですが、昭和30年頃の「譚海」に、連載で犯人あて懸賞小説がのったのを
ご存知ないでしょうか。
タイトルも作者も思い出せません。横溝正史か島田一男か高木あき光あたりでは
ないかと思います。登場人物は女性が4人で全て姓に「くも」が入っていました。
「雲」とか「久毛(?)」とかです。そして名は4人それぞれ「春夏秋冬」が割り
当てられていました。つまり、「雲春子」とかいう具合です。
そして少年探偵は「ろくろう」だったと友人は申しております。
以上について是非教えて下さるようお願いいたします。
なお、この懸賞は誰も正解者がいなかったと、上記の友人は言っているのですが、
それも本当でしょうか。気になって夜も眠れないというところです。
[2002年4月18日 17時50分16秒]
このテーマについての発言をどうぞ。
※半角カナは使用しないようにしてください。文字化けします。
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