記事タイトル:浜尾四郎と山風の関係について 


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お名前: ストラングル・成田    URL
奥さんの方の親戚でしたか。
親戚に「ヘンな人」がいるって、医大を出たのに小説家ということがヘンなのか、
奇行がヘンなのか、どうだったんでしょうね。
[2002年2月16日 23時7分19秒]

お名前: 法水   
山風と小林信彦氏との関係について、小林信彦氏のファンサイトの方に教えて頂きました。
『1960年代日記』(ちくま文庫・現在入手不可)に記述があるそうです。
以下引用。

(1965年)7月30日(金)晴

正午、池袋の江戸川乱歩邸
山田風太郎さんに挨拶する。妻の実家の親戚にヘンな人がいるという噂があり、それが山田さんだったのだ。
「シンセキになるようですね」
と私が言うと、山田氏、
「どうも、そのようで・・・・・・」

小林氏は両国の生まれなので恐らく奥さんの方のつながりだろうと思っていたのですが、やはり
そうだったようで。それにしても山風、「ヘンな人がいる」と親戚の間でも噂になってたんですね…。
[2002年2月14日 23時19分1秒]

お名前: 法水   
>成田さん

いや、勘違いじゃないです。『週刊文春』のエッセイの中で、乱歩の葬式の時に初対面の氏に、「なにか親戚になるようで……」と話しかけた、というふうに書いてありました。でもこの書き方からすると本人同士もあまりよくご存知でないのかもしれませんね。
[2002年1月3日 14時39分24秒]

お名前: ストラングル・成田    URL
明けましておめでとうございます。週刊文春のエッセイ(亡くなったときの
エッセイ)というのは、全くの勘違いだったかしらん。

「風々院〜」の方は、「従兄弟」になっていますね。この言い方だと、間違
いなく従兄弟ですね。うーむ。
[2002年1月3日 12時6分14秒]

お名前: 関英樹   
明けましておめでとうございます。
小林信彦の週間文春連載エッセイの単行本になった三冊(「人生は五十一から」「最良の日、
最悪の日」「出会いがしらのハッピーデイズ」)の中には山風とのことは書いてなかったように
思います。その後の単行本未収録分のエッセイにあるのでしょうか?
とは言え、当方の記憶力減退も甚だしく、前述の三冊の中に既にあるかも知れません。
[2002年1月3日 7時26分31秒]

お名前: 法水   
浜尾四郎を読んだ後、『風々院風々風々居士』を読んでいたら、偶然にもこの話題について触れ
ている箇所がありました(56ページ)。
そこでもやっぱり「いとこ」になってました。どうでもいいですが、「山田熊太郎(山風祖父)
の妹ちゅうのが、男爵加藤弘之の妻」となってるのは、「加藤弘之の母」の間違いでしょうね。

小林信彦さんとの関係も「遠い縁戚」とだけしか書かれてませんでした。こりゃ氏のエッセイ集
でも漁るしかないかな、と思って書棚にあった『地獄の読書録』(集英社文庫)をぱらぱらとめ
くってみたら『おぼろ忍法帖』と『忍びの卍』について絶賛してあったり、他にもちょこちょこ
名前は出てくるんですが、当時(1968年)はまだご存知なかったのか、関係については触れら
れてませんでした。
[2001年12月30日 0時35分55秒]

お名前: ストラングル・成田    URL
山風と加藤弘之・浜尾四郎との関係面白いですね。
出典は、「父の死」(『半身棺桶』)ですか。

祖父−父 1887−山風
(妹)(従兄弟)
母− 加藤弘之 1836−○−浜尾四郎・古川ロッパ

図解?すると、こんな風になるのでしょうか。
ところが、「あと千回の晩飯」105pでは、「山田家の先祖は但馬の出石藩の
家老筋の家柄で、父の太郎はやはり出石藩士の加藤弘之とは、'また従兄弟'
の縁にあることを知った」とありますか。
「従兄弟」なのか「また従兄弟」なのか。
加藤弘之にちょっと興味をもって(この人、文系マッドの香りがあるような気が
します)、「人物叢書」なるものを持っているはず
なので、もう少し当たってみます。
ちなみに「あと千回の晩飯」に出てくる中山啓氏のエッセイ「人生イロイロ」
は、「怪の会」サイトにのっています。「山田風太郎と古川ロッパ」話に限らず、
あっという面白さです。
http://www.asahi-net.or.jp/~JB7Y-MRST/kai/chika/chikaF.html

小林信彦と親戚関係の話は、「週刊文春」の小林エッセイでしたか。(ウロ
覚え)。こちらは、よくわかりません。
[2001年12月26日 8時2分42秒]

お名前: 法水   
今、浜尾四郎を読んでいるんですが、ちょっと気になることがあるので質問します。
山風がエッセイで、浜尾四郎の祖父にあたる加藤弘之の母が、山風の父方の祖父の妹で、山風の父と加藤弘之が従兄弟同士だということを書いていたと思うんですが、これがどうも謎なんですよね。
というのも、加藤弘之は1836年生まれで、山風の父は山風が5歳のとき享年41で亡くなってますから1887年生まれでしょうか。となると従兄弟同士で50歳以上も年が離れちゃうことになります。更につらつら考えてみるに、もし祖父の妹が16歳で加藤弘之を産んだとしても1820年生まれ、で、祖父を1819年生まれとしてみますと、山風父が生まれたとき祖父は68歳! ううむ、有り得ないことはないかも知れませんが、祖父と加藤弘之が従兄弟同士の方が自然な気がするんですが、いかがでしょう??
ちなみに本日は山風父の命日だそうです。

あ、あと小林信彦さんとも親戚関係にあるんですよね? 具体的にどういうご関係かご存知の方いらっしゃいましたら教えて下さい。
[2001年12月25日 14時49分14秒]

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