・Cmment
医学生の初恋の相手である踊り子が金満家の妻になる。「「それ以来、彼女には二度と会わない」などと末語に余韻をふくませた例の老人めいた「初恋」と題する自叙伝的小説の材料になるにとどま」る題材が、医学生の暗い情熱により二つの殺人と三つの死体に終わる。視野欠損という医学的知識や溺死のトリックなどよりも、全体を覆う異様な切迫感とリリシズムが魅力的な最初期の代表作。
「無為沈黙、手傍観をもって犯罪を構成する」というテーマは、後の「夜よりほかに聴くものもなし」などにも通じるものであり、大戦をくぐり抜けた傍観者という風太郎自身の自己規定と深いところでつながっている。「虚像淫楽」と合わせて、デビュー2年目にして第二回探偵作家クラブ賞受賞。
・蛇足
本編は、昭和22年3月、雑誌「苦楽」の編集顧問だった水谷準の要請によって書かれた実質的なデビュー後第1作。依頼は、40枚だったが、試験明けの3月28に書き始められたものが4月3日には80枚に達し、結局「宝石」に原型のまま、発表された。作品中に登場する「松葉医師」は、当時の友人の名という。(「わが推理小説零年」、「奇妙な旅」)
脱獄した凶悪犯が人里離れた母子を襲うが、天の配剤により自滅する。珍しくギミックなしの短編で少々物足りない感じだが、けなげに生きる若き母親やどこかしらのどやかな警察官たちの姿が清々しい一編。舞台となる信州の風景描写は、疎開体験に基づくものだろう。
眼でみるものすべてから音楽が聞こえる特異体質の万太郎に関する奇談。視覚と聴覚の交換という奇想、冒頭の手紙文が一つのトリックになっている構成の巧みさ、愛のさなかで聴いた音楽が万太郎にもたらす逆説。短い枚数ながら当時のミステリの常套を遥かに脱していた風太郎の手腕を示す好編。作中の「幻聴」の描写が美しい。
これも復讐譚。考えてみると、この時期、「みささぎ盗賊」をはじめ「眼中の悪魔」「天使の復讐」「うんこ殺人」「青銅の原人」「芍薬屋夫人」と復讐をモチーフにした作品が実に多い。当時、「復讐」という動機が最も作者にとってリアルだったということか。
「心理のみの推理小説たらしめんとす」として書かれた意欲作。突然の入院患者に端を発する不可解な事件。兄、嫂、少年の奇妙な三角関係の消息が薄皮を剥ぐように明らかになるにつれ、論理を超えた愛と以外な「犯人」が明らかになる。作中の医者たちの推理により、「加害者」と「被害者」、「サディズム」と「マゾヒズム」の間を往還するベッドの上の重病人は、何物かの象徴のようでもある。
初期作品にみられる一種の青臭さ、観念の勝った感じは否めないが、それにしてもこの枚数てこれだけ論理と心理のアクロバットを見せつけるその超絶技巧は、探偵小説史に燦然と輝くものといって過言でない。探偵役塙医師の肖像は、後の名探偵、荊木歓喜の原型ともいえる。
・蛇足
本編は、「旬刊ニュース」コンクール参加作品として執筆されたもの。昭和22年11月、学校の図書館に籠もって書き始められたという。(「わが推理小説零年」)
傷心のうちに蜃気楼で有名な湯ノ巻温泉を訪れた男に、友人が戦争中の自らの罪について語る。その語りが蜃気楼と重なって写真の中に怖ろしい幻影をかいま見せる。友人が語る戦時中の奇談は、妙に生々しい。以前読んだときは、サゲはない方がいいと思ったが、それだと普通の怪談。風太郎は、ここでも常套を嫌う。
そのタイトルのインパクトゆえ、一部好事家の間では幻の作品となっていた短編。竹本健治の「ウロボロスの基礎論」でも、重要な小道具としてこの短編が使われていた(岩谷書店版の「厨子家の悪霊」にうんこが・・という謎)。内容も、ぶっ飛んでいて地獄に落ちた医師とその妻が、メフィストフェレス扮する船頭に導かれて、しっぽのあるミノス最高裁判所長官の前で裁きを受ける。医師と妻は、頭からうんこをかぶっているのだが、裁判が進むに連れ、二人の罪とうんこかぶりの理由が明らかになる。当時の世相を皮肉ったと思われるギャグも連発されるが、「至高天も天上の薔薇もうんこだらけになりやがれ」という涜神的なまでの末尾は、作者の「戦後的なるもの」に対する憎悪に近い感情がうかがえる。
町の芝居小屋の下足番連蔵爺さんが一切の茸料理を受け付けないのには、理由があった。その理由とは・・。曲馬団の男女が謀った空中サーカス中の亭主殺人計画の顛末。しかし、千慮の一失に「茸」をもってくるとは。グロテスクな哄笑に充ちた一編。
「万太郎の耳」は、視覚と聴覚の神経の交錯によるものだったが、本編では、緻密な計画の下に大脳の伝導神経を外部から切断し、連絡し、切り替えて、新しい条件反射を獲得させられた天才児の父への復讐が扱われている。一種のフランケンシュタイン・テーマだが、こんな設定でもミステリのクリシェが使用されているのに驚かされる。アプレ青年の旧世代への反逆を読みとるのは常識的すぎるか。
立読みしたが、全体の筋わからず。そのうち再チャレンジします。
デビュー「達磨峠の事件」と並ぶ「宝石」懸賞小説応募作品。作者の故郷但馬を舞台とした幽霊小説で、乱歩に「鏡花の影響の濃厚な怪談」と高く評価された。「わたし」の実家には、「雪女」と題される観ることを禁じられた絵があった。そこへ謎の画家夫婦が住み込み、怪異な事件が頻発する。「雪女」が出現するシーンは、かなり怖い。謎の絵師の行動の意味が読者の推測を裏切るところが、モダン怪談たるゆえんだろう。
第1短編集に書き下ろされたことからも、当時、最も風太郎が書きたい種類の小説であったと思われる。乱歩は、初期の菊池寛の作品を思わせると評している。
文政8年長崎の鳴滝塾。シーボルトと出会い、西洋素学を修めた鳥吹玄鳳は、江戸に残してきた婚約者お桃を豪商芍薬屋に借財の方に奪われる。妻の難産ゆえ、すがってきた芍薬屋に対し、子供を殺し復讐を遂げようとした玄鳳だったが、夫人の告白で母子を救う。しかし、それは、偽りの告白だった・・。「子どもを愛しくあやしながら、するするとの退いていく芍薬屋夫人のあえかに清麗な姿が、なぜかまるであの睡蓮の地をうねっていく春の妖蛇のように映って、消えた。」
山風版悪女の典型お桃、史実と架空の人物の絡め方、資料の挿入など風太郎時代小説のスタイルが既に完成しているのには驚かされる。
青銅の巨大なレリーフの前で佇んだような読後感。ある種異様な感銘が残る一編。肉体に異常が出現した医師の顛末とその意味。「若書き」とも思える観念小説が探偵小説「宝石」に載るくらいだから、当時の風太郎に寄せられた期待の大きさがわかる。結果として、我々は、乱歩の「火星の運河」に匹敵する観念的幻想小説を手に入れた。それにしても「がさり」の怖さといったら。