2000.3.1 「アメリカの叔父さん」 より
・マーヴ・湊さんからメールをいただきました。以下引用。
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『ポップ1280』が単行本になりましたか。
HMMに訳載したまま埋もれさせておくには惜しい傑作だけにミステリ・マニアには朗報ですね。
ベルトラン・タヴェルニエが大胆にも舞台をフランス領アフリカに移し替えて映画化した『Coup
de torchon』を観たことがありますが、原作にはかなり忠実な作りであったものの、主演がフィリップ・ノワレではちょっとマイルドすぎたようです。
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・やっぱり朗報ですよね。それに、おお、「ポップ1280」は、映画化されてましたか。日本公開はされていないのではないでしょうか。御覧になっているとは、うらやましい。タヴェルニエの映画は「田舎の日曜日」というのを見ただけです。
・フランス人ローペール・ドゥールズの怪評論集「世界ミステリ−百科」(JICC出版局)で、「ジム・トンブソン」の項をみると、映画化4作目としてベルトラン・タベルニエの「乱闘」が挙げられている。「これは『人口1275人』からの作品である」と書いてるけど、なんで仏題で人口が5人減っているのだあ。謎。
2000.5.7
・この前買った、小鷹信光「パパイラスの舟」('75)のジム・トンプスンの項目を読んでみる。ジム・トンプスンについて二つの章が割かれており、日本でまとまった形でこの作家を紹介した最初の文章ではないかと思う。この文章が書かれた時点で、著者が読んでいる長編は、「ゲッタウェイ」と「Texas
by the Tail」だけのようだ。
いつか、ここでも触れた「ポップ1280」のフランスのセリ・ノワール叢書の訳題が「人口1275人(1275
AMES)」となっていることに関し、次のように触れられてあった。
「この小説の舞台になっている小さな町の人口が、開巻からフィナーレまでのあいだに確実に五人だけ減少する、ということなのでしょうか。もしそうだとすれば、なかなか人を食った、シャれた改題のしかただと思います」
でも、この文章、古いミステリ・マガジンで読んでいるはずなんだが。「幻影城」編集長島崎博がある本の奧付けの発行月(年ではない)を確認するためだけに、古書店で1万八千円を投じた話とか、ナイジェル・ストレンジウェイズの奥さんジョージアのことを座談会で話したら「情事屋」になっていたとか、という部分は明らかに覚えているのに。当時は、見知らぬハードボイルド作家に関心もなかったからなあ。
2000.5.15 「ポップ1275」問題 より
・なんと5月9日付けで触れた霞流一インタビューのインタヴュアーにして、HMM等で活躍中の評論家、杉江松恋氏からメールをいただき恐悦。御本人の承諾を得て、ここに掲載させていただきます。
5月7日付けの「ポップ1275」問題に関しても、極めて興味深い考察をされています。
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拝啓
初めてお便り申し上げます。
杉江松恋@日本バカミス愛好会です。 このたびは雑誌「ダヴィンチ」における「バカミス」特集に言及いただき、ありがとうございます。
特に霞流一氏のインタビューに言及いただきまして、ありがとうございました。実際にお話をうかがっている間は、果たしてこれが本当にインタビューなのかというような狂気がほとばしり、居合わせた一同思わず霞氏の狂気に感染してしまいました。あのインタビューはそのうちのごく一部を紹介したに過ぎず、残りのエッセンスはぜひ霞氏実作によってお汲みとりいただきたいと存じます。
なお、5月7日にお書きになっておられました、ジム・トンプスンの「ポップ1280」について。
小鷹氏は、
> いつか、ここでも触れた「ポップ1280」のフランスのセリ・ノワール叢書の訳題が「人口1275人
>(1275 AMES)」と >なっていることに関し、次ように触れられてあった。
「この小説の舞台になっている小さな町の人口が、開巻からフィナーレまでのあいだに確実に五人だけ減少
>する、ということなのでしょうか。もしそうだとすれば、なかなか人を食った、シャれた改題のしかただと
>思います」
と書いておられますが、
実際にこの街から姿を消すのは「6人」であって計算が合わないのです。
私はこれを、「6人のうち1人は黒人だから」ではないか、と考えています。
つまり「人口1280人」に含まれているのは、「白人」のみであり、何人かいる「黒人」は初めから人口のうちに含まれていないのではないか(市民権がない)。
そのため、6人の人間が死んでも、死んだ「市民」は5人でしかないので、フランス語タイトルは「1275
ames」になるのでは?
...というのは私の妄説です。
作品があえて黒人差別が濃厚に残る社会を舞台にしているところからして、なかなか正鵠を射た説なのではないかと思うのですが、単なる健忘症マニアの戯言かもしれません。
以上蛇足でございました。今後共宜しくお願い申し上げます。 敬白
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実は、常連、マーヴ湊さんからも、ポップ1275問題への考察を含むメールをいただいております。続けてどうぞ。なお、「ポップ1280」をこれから読む方の興味を削ぐかも知れないので、死亡する人間の名前等は伏字にさせていただきました。
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またお邪魔します。
(中略)
成田さんのWhat's Newにはいつも刺激されっぱなしです。
最近の話題について私の妄想を。
◎『ポップ1280』の仏版タイトル問題
私も死者数を引いたのではと推測していたのですが、でも良く読んでみると一人数が合わないんですね。*******で6人。公民権運動以前の話なので老黒人は人口に含まれないって理屈は無理ですね。「編集者が死者数を差し引くつもりで一人数え間違い、半端な洒落になってしまった」あたりが真相ではないかと。(後略)
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杉江さんといい、マーヴ・湊さんといい、拙文に反応していただき、HP制作者冥利に尽きるというものですが、中でも、「ポップ1275問題」を巡る見解は、確実に同じところを射抜いていて、優れた読み手というものは違うものだと、改めて思わされました。後のメールによれば、マーヴ・湊さんは、杉江さんの慶大推理小説同好会の「大先輩」とのこと。なにやら、杉江さんがHMM6月号で『ジョン・ランプリエールの辞書』を大絶賛していたのも暗合めいてきます。これも学風というかサークル風というものでしょうか。
というところで、本日はここまで。
2000/5/18 また「ポップ1275」問題 より
・お二人の「ポップ1275」解釈を読んで、なんらかのコメントをと思ったが、さしたる考えも思い浮かばない。以下は、まったくの蛇足ということで。
・自分でも、ざっと斜め読みして、作中死んだ人数を数えてみたが、6人で間違いなし。多分、ここは、紛れがない。したがって、マーヴさんのいうように、「編集者が死者数を差し引くつもりで一人数え間違い、半端な洒落になってしまった」とすれば、仏訳本の編集者はかなり無能だ、ということになる。しかし、「ポップ1280」というのは、セリ・ノワール1000冊目記念本である。タイトルで、そのような間違いをすれば大失態にほかならない。「パパイラスの舟」の記述によれば、「ポップ1280」は、1945年に始まったこのシリーズの監修者であるマルセル・デュアメル自身が「特に千点記念に選び、自分で翻訳し、序文までつけている」という。まさか、翻訳者が死者の数を数え間違えるとも思えないのである。
まあ、「編集者間違え説」は、湊さんが、一人が黒人だからという可能性に思い当たったが、無理っぽいので軽いジョークで流したということだと思うのだけど。
なぜ、無理っぽいか。思うに、「人口1280人」という小説を「人口1275人」と改題するのでさえ、フランス流のジョークとしても、かなり勇気がいるのに、そこに黒人は数に入らないという、さらなるブラック・ジョークを忍び込ませるのは、翻訳のタイトルとしては凝りすぎなのでははないか。さらに、本書のタイトルに一種の社会批判を(勝手に)盛り込むことは、翻訳者の解釈を読者に強制する点で、越権行為であるように思える。
でも、杉江さんの説はあまりに魅力的である。黒人との性行為を牛とのそれに例えた箇所をはじめ、本書のあちこちに、南部の根強い黒人差別意識が表現される。しかも、本書がアメリカで出版されたのは、1964年。「南北戦争以来の画期的な黒人救済措置」といわれる包括的な公民権法が成立し、キング牧師がノーベル賞をとった年である。しかし、人種差別がこれで終焉したわけではなく、むしろ公民権法成立を引き金に、人種主義者の白人の攻勢いわゆる「ロング・ホット・サマー」が始まった年でもある。(先日、読んだ「黒いアリス」は、この時代のKKKによる黒人攻撃が大きな要素になっていた)。「トンブスンは時代を半世紀前に設定しつつ、執筆時の社会状況とその風刺をはっきりと物語に盛り込んでいるのである。」(同書の吉野仁解説)といわれる所以である。
そこで、こういう妄想は、どうだろう。
セリ・ノワールの編集者デュアメルは、トンプスンに手紙を書いた。
デュアメル「今度、貴兄の本をセリノワールの1000冊目の記念として出したい。翻訳は自分が当たる」
トンプスン「出す片端から絶版の私の小説を評価してくれて、貴兄には感謝している。ところで、仏訳タイトルには、アイデアがある。ポップ1275。よくできたジョークだと思わないか」
デュアメル「確かに貴方の書く小説のように、ひねくれたタイトルだ。採用したい。でも、なぜ、それを米版タイトルに使わなかったのか」
トンプスン「カパーイラストに合わせて2週間で書き上げ、その後飲み狂っていたんで、気が回らなかった。既に出来上がっていたイラストは、肩をはだけた女と背後の「Pottsville
Pop.1280と言う立て看板だけだった。自分の小説には、ポッツヴィルの人口が1280人ということすら書き忘れたので、仏版は、このカバーをそのまま使用し、タイトルはポップ1275でいって欲しい」
カバーうんぬんは、解説にあるとおりだが、これは妖説。お粗末さまでした。
2000/5/19 まだまだ「ポップ1275」問題 より
・ぬ、ぬかった。スラップ・ハッピーコンサートとその後の美酒の余韻も醒めぬうちに寝ようと思っていたら、「ポップ1275」問題にまた、重要な進展があったのを見逃していたのに気づいたので、とりあえず事実関係だけご報告。
まず、マーヴ湊さんからのメール。
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成田 様
『ポップ1280』について私からも蛇足を。
杉江氏は市民権のない黒人は人口に含まれないという推測をされており、私も途中まではそう考えていたのですが結局この思い付きは捨てました。というのも同書の解説によれば物語は1917年前後の設定であり、まさしく南部諸州では悪名高いジム・クロウ法が可決された頃に当たるのですが、ここで私が引っ掛かったのは、黒人市民は果たして人口統計からさえも除外されていたのかという点。
行政的観点からすれば、たとえ二級市民扱いであっても黒人人口を捕捉しないわけにはいかないのでは(1920年生まれの黒人ジャズ・ミュージシャン、チャーリー・パーカーの伝記には彼の出生証明書が資料として載っていますので、少なくとも役所への届け出はあったようです)。もっとも、捕捉するのと公示するのはまた別問題かもしれません。
仮に死者数が正解としても、セリ・ノワールの編集者が黒人市民の行政上の扱いまで考慮したとは信じられなかったので(成田さんのおっしゃる通り、凝り過ぎでもある)、私としては数え間違いという脱力オチを選んでしまいましたが、これは編集者が無能という意味ではなく、日本人ほど細部にこだわらないフランス人気質からすれば、「あ、一人数え落としたけどまあいいや」もありうる話ではないかという実に勝手な想像です。それにひきかえ、ミッシング・リンク・テーマばりのアプローチで「実はトンプスン本人のアイデアだった」とした成田さんの読みこそミステリ者のまっこと正しき姿勢であること勿論です(いや本当に)。では又。
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私のコメントは、次回ということにして。
昨日の時点で見逃していたのは、おーかわさんの掲示板で知った、現調屋さんの掲示板に、なんと「ポップ1280」の解説者の吉野仁氏が「ポップ1975問題」に関して書込みをされているということ。OK氏も、相変わらずするどい指摘をされている。
とりあえず、それぞれの箇所を参照して下さい。うーん、面白い。
●ポップ1275問題リンク集
おーかわさん掲示板
現調屋さん掲示板(吉野仁氏登場)
OKさんの日記
2000/5/21 これでもか「ポップ1275問題」 より
・で、しつこく「ポップ1275」問題の続きです。トリビアルな問題に拘泥しているように見えるかもしれませんが、読み手それぞれの解釈が出てきて、筆者にとっては、非常にスリリングではあります。ただ、黒人問題が本書のテーマであるように受け取られるのは、まったく本意ではありません。とにかく一言で言い尽くせない、やたら面白い小説だとは、繰り返しておきます。
19日の関係リンク集を読まれていることを前提に。
まず、訂正から。
18日の架空のトンプスンの手紙中「自分の小説には、ポッツヴィルの人口が1280人ということすら書き忘れたので」というのは、まったくの誤り。
邦訳35〜36pにかけて、ポッツヴイルの人口が1280人ということが、登場人物3人の間で、繰り返されている。
「それから、ケンはおれに、千二百八十の魂というのと、千二百八十人の人間というのは、完全に同じではない、と言った」というようなくだりや、
OKさん指摘のように、
「その千二百八十って数字には、黒ん坊(ニガー)の数が入っているんだ。北部の野郎どもが作った法律のせいで、数に入れなきゃならなくなったのでね。でも、ニガーに魂はない、でしょ、ケン?」(p.36)という興味深い部分がある。
マーヴさんの指摘している「黒人市民は果たして人口統計からさえも除外されていたのか」という部分は、少なくとも、行政的には、否、ということになりましょうか。
で、今までのこちらの記述や関連リンクでの意見をまとめると(誤読がありましたら失礼)、
●数え間違い説 マーヴ湊さん、OKさん、おーかわさん
マーヴ湊さんは黒人説も考慮、OKさんは売春周旋屋流れ者説も考慮。
●黒人は数に入っていない説 杉江松恋さん、ストラングル・成田
成田はトンプスン自身のアイデア説を付加。ただし、杉江さんは「妄説」、私は「妖説」といっている。
●魂なき者5人(ニック、三人の女、レニー)減説 Michal J. McCauley、吉野仁さん
これは、あえて考えればということであって、実際のところは、謎としていると思われる。
吉野仁氏が紹介されているMichal J. McCauleyによるトンプスン評伝 Sleep
with the Devilの中の記述です。大意としては、こんなところでしょうか。(自信なし)
・仏題(1275の魂)は、それ自体謎。
・作中で殺されるのは、6人。
・ポッツヴィルの住人のうち、魂のない人間は何人かということなら、ニックは明らかだが、あとは、3人の女たちとレニーということか。
・唯一の別の考え方としては、ケン・レイシーの「黒人は人間以下である」という言明に根拠があって、ヒモの二人とアンクル・ジョンが除外されるということか。そうだとしたら、後の「魂なき者」は誰か。
仏語「AME」は魂という意味でしたか!ただ、辞書を引くと、「人口〜人」という用法にも使われるようで、ドゥールズの「世界ミステリ百科」でも「人口1275人」と日本語訳されているから、必ずしも英題と意味が違っているということではないように思われる。英語のsoulとpop.が一体になった言葉といったところでしょうか。
ところで、McCauleyのいうように、二人のヒモって黒人なのだろうか。だとしたら、黒人説は、壊滅なのだが。
というところで、時間切れ。
2000/5/22 ひとまず終了「ポップ1275問題」 より
・今回で、ひとまず「ポップ1275」問題も終了ということで。前回の続き。
・死んだ黒人が3人なら、黒人説は成立しない。
2人のヒモに関する描写を拾ってみると、
「ふたりはとろんとした目で見つめていたが、カーリーという名の、縮れ毛を短く刈りこんだ伊達男が、おれに向かって指を振りながら言った。」(54p)
では、一人が縮れ毛だということがわかるだけだが、別な群の保安官ケンのセリフではこうなっている。
「おお、そうよ。きっちりとな。あのヒモどもが白人にちょっかいを出すことは二度とないぜ。」(74p)
このセリフによれば、ヒモの二人は、どうやら黒人のようにもみえる。ところが、ヒモの一人カーリーは、後に「南部の有数の名家」出身であると、判明する。(234p)なんじゃこりゃ。点景人物に対しても、くどいほど「黒人」ということが強調されているところからみても、この二人が黒人というのは、無理ではないか。McCauleyの思い違いではないかと思われる。
次に「魂なき5人」について。個人的には、3人の女のうち、最も性悪でないエイミー・メイスンまで、その範疇に入ってしまうのがひっかかるのだが。それに、魂のない登場人物なら、ローズの夫、トム・ホウクや、ヘンリー・クレイなど、まだまだ候補者は、いそうだ。
結局、よくわからないというところで、終わるのだが、最後にもう一つだけ、OKさんの指摘から思いついた、まったくの妄説を。
ヒモの一人カーリーは、「南部の名家」出身の流れ者。もともと、ポッツヴィルの人口1280人の中には入っていないに違いない。もう一人のヒモも流れ者だろうから、これも同様。いずれも、この長編の主要人物とはいえない。そうすると、作中で死ぬポッツヴィルの人間は、4人ということになる。やはり数が合わないではないかって?同書の解説で触れているオリジナル原稿から抹消されたという二行を思い出そう。トンプスンの構想によれば、ポッツヴィルの住人がさらに1人確実に死に至るはずだ。仏題「ポップ1975」は、この人物の運命を暗示していたのである。
2000.5.23 翻訳者が神々だった時代 より
・「ポップ1275」問題に関し、おーかわさんの22日の日記が意外性十分。あれをそう使いますか。
・ここんとこ、「ポップ〜」を読んでない人には何がなにやらの展開になってしまってすみませぬ。結果的に内容にかなり踏み込んでしまうことになってしまったが、初読の風味が損なわれないよう願っております。
2000.6.25
・パラサイト・関更新。
・マーヴ湊さんからのメールをご紹介。
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少々御無沙汰しておりました。このところ成田さんに書き送りたくなるようなネタに事欠いていまして、やや不調気味です。
『ポップ1280』問題はあの後、これ以上は版元に訊ねるしかあるまいとガリマール社にmailしてみたのですが、残念ながら返事は貰えませんでした。(後略)
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・くまかかか。「ポップ1275問題」フランスへ渡る。どうも、セリ・ノワール版にも、改題の理由が書いていないようなので、一瞬、問い合わせということが、自分の頭をかすめないでもなかったけど、1秒で断念しました。(仏語をまったく解しないので)。湊さん、凄い。行動の人。ガリマール社の社員が、集まって首を捻っている図を想像すると愉快です。返事が欲しいですね。