OLYMPUS オリンパスフレックスA3.5

    

 随分と古いカメラで、本当の意味でのクラシックカメラということになるので
しょうか。製造年は、1954年くらいなので約半世紀も前のカメラということ
になります。
 この当時の日本は、戦後の復興まっただ中でカメラ業界は、一般大衆向けの平
和産業と言うことで日本の経済を担っていたのではないだろうか。事実、この時
期に多くの四畳半メーカーが誕生し、構造の簡単な二眼レフカメラを中心に製造
されていました。そんな中で、他社にもレンズを供給したりしながらも自らカメ
ラを生産していたオリンパスが作ったのがこのオリンパスフレックスである。
 私の持つオリンパスフレックスは普及タイプのA3.5と呼ばれるモデルで、
四枚玉のテッサータイプのレンズを採用している。このレンズは、本家でもオリ
ンパスシックスに採用されていたり、他社で有名なところではマミヤ(現マミヤ
・オーピー)のマミヤシックスに使われていたレンズでもある。他にもエルモ等
の二眼レフにも供給されていたようだ。上位モデルには七枚玉でドイツのローラ
イのコピーモデルがあるが、当時の製造技術が低かったのか、ろくな物資が無か
ったためかレンズが曇っているものが多いので現代の実用品としてはこちらの方
が上のようだ。
 感心するのは、いまだに機能的には何の問題もないこと。シャッターも1秒か
ら1/500秒までほぼ正確に作動。この時期に普及機で1/500秒を装備し
ていること自体すごいです。他社の製品では、1/200とか1/300が最高
なのに。また10枚も使った絞り羽根の動きも滑らかで、レバーをスライドする
だけで起きあがるピントフードは感動もの。外観自体は年数相応で黒の樹脂製の
貼り皮もはがれかけていたり、ひびが入っているが、これは仕方がない。ここは、
自分でも修理可能なので、いつか本皮あたりに張り替えてみようか考えている。
 残念なのは、ビュワー用レンズもF3.5と暗いので、日中に戸外でピントを
合わせようとするとかなり見難いのである。特に四済の方向は暗くなるのはコス
トの関係(上級機にはピントグラスの下にコンデンサーレンズを入れて明るさを
稼いでいるが、普及機はミラーの上はただのすりガラスしかない)で仕方がない
のかも知れない。しかし、ある情報筋から読書用なんかで売られているフレネル
レンズ(プラスチックの薄っぺらい拡大鏡)を切ってピントグラスの下に入れる
と良いということを発見し、早速探すもの、そういうときに限って見つからない
もの。一年くらい探しただろうか。三信出張のおりに名古屋の東急ハンズでやっ
と発見。たった300円の物なのに地方と都会の違いがこんなところに現れる。
中心をうまくとって切断しカメラへ組み込む。気持ち明るくなったような気がす
る。フレネルレンズ特有の同心円模様が見えるものの確かに隅まで明るくなった
ようだ。

 試し撮りとして西の小京都といわれる津和野へ持ち出してみた。フィルムは白
黒フィルムを選んでみた。50年近く昔のカメラといってもフィルムは現在でも
現役バリバリの120ロールフィルムであるから困ることはない。以前はカラー
でとっていたのだけど、古いカメラに、古い町並みだから何となくモノクロで撮っ
てみたくなった。
 自動露出はおろか、露出計すら持たないカメラでのため、露出はカンまかせ。
どうしても不安なときはもう一台の一眼レフを露出計がわりにすれば問題なし。
 モノクロは昔、現像から引き延ばしまでやっていたので機材はある。しかし、
引き延ばしまでやるとたいへんなので、フィルムの現像まで行い、スキャナ経由
でパソコンから印刷することにした。これなら、暗室を作る必要もないので。
 多少絞りこんであるので、ピンボケも無く良く撮れている。時代的に見て、カ
ラー対応レンズではあるもののモノクロで撮った方が味わいがあるようにも感じ
る。写すものをみんなレトロに変えてしまうような不思議なカメラである。

 クラシックカメラといいながらも国産の二眼レフは1万円前後で売られている
こともあり、実用性含めたいへん遊べるカメラである。古い家だと残っているか
も知れませんので探してみてはいかがでしょう。
 私の場合モノクロの現像セットを実家から持ってきたので今後使う機会が増え
そうな予感。

  

※ 映画「HOPE FLOATS(微笑みをもう一度)」でのサンドラ・ブロッ
クや「あなたのために」でナタリー・ポートマンがローライフレックスを使って
いたりするので、銀幕上にも最近よく二眼レフが活躍しています。ビデオでチェッ
クしてみてください。